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(回答先: 「 共産主義と資本主義は両立しない」・・・・「民主主義と資本主義も両立しない」 投稿者 ミスター第二分類 日時 2008 年 2 月 24 日 19:36:27)
この問題を避けて、20世紀の世界史は総括できない。「ソ連=国家資本主義」論の立場からの大胆なアプローチ ― として編まれた「ソ連の『社会主義』とは何だったのか」の「はしがき」から抜粋引用。
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本書の執筆者に共通する基本的見解は次のとおりである。
ソ連の社会システムは、社会主義でなかったどころか、じつは、われわれがいま生活している社会システムと同じ社会システム、すなわち資本主義のそれだったのであり、このことをはっきりと把握しないかぎり、スターリンによって「社会主義の成立」とされたこの社会システムの成立、それのその後の発展、したがってまた、われわれの眼前で進行しつつあるそれの崩壊の過程を正確に理解することはできない。ただしそれは、資本主義だというかぎりでは西側の先進資本主義諸国と同じだが、しかしまた、それの成立の独自な歴史的状況のなかで、これらの国々の資本主義とは著しく異なった特殊性をもつことになった資本主義であって、「国家資本主義」と呼ばれるにふさわしい資本主義である。
本書では、この共通の見解は、それぞれの論稿の展開のなかで得られる結論であるけれども、執筆者たちの共通の関心はむしろ、「国家資本主義」と呼ぶべき独自のシステムがどのような歴史的経過のなかで成立してくるのか、西側の先進資本主義国の資本主義とは異なるそれの特殊性はどのような点にあるのか、ということを解明しようとするところにある。そのような分析を通じて、この社会システムの成立が、根本において、スターリン個人の恣意によって生じた「偏向」とか「逸脱」といった偶然事ではなくて、一定の歴史的状況のなかで必然的に生じたものであり、だからこそ、それの崩壊も必然的であったことが明らかにされるのである。
しかしまた、ソ連の国家資本主義の成立の背景とそれの特殊性とについては、本書の執筆者たちのあいだにも、巨細にわたるさまざまの見解の相違がある。本書では、それらの点についての見解の統一をはかることをまったくしていない。あるいはむしろ、基本的な共通認識をもちながらもなお残っている見解の相違をあえて明示し、互いの理論をより鋭いものにすることをめざしている。
本書では、いわゆる「社会主義諸国」のうち、とくにソ連の「社会主義」に焦点を当てている。それは、一九三〇年代にまっさきに成立した「社会主義」がソ連のそれであり、その後に成立してくる「社会主義」はすべてこれに倣って形成されたものであって、社会システムの基本的性格という点では、ソ連のそれと同一だと考えられるからである。もちろんこのことは、それらの国々にそれぞれ独自の成立過程があり、それぞれが独自の諸特徴をもつことを否定するものではない。それどころか、それらについての分析が行われてはじめて、それらの社会システムもソ連と同じ国家資本主義であることが最終的に明らかになる、と言うべきであろう。とりわけ、ソ連・束欧の 「社会主義」が崩壊したのちにも、政治的には大きな変革を経ることなく存続している「社会主義諸国」、すなわち中国、北朝鮮、べトナム、キューバなどの社会システムの分析が行われなければならない。その意味では、本書は二〇世紀のいわゆる「社会主義」の分析としては十分なものとは言えない。しかし、ソ連について本書で述べた基本的な諸特徴がそれらの諸国にも妥当することを、慧眼な読者は見抜かれるにちがいない。
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ソ連の「社会主義」とは何だったのか(大月書店)
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/19714145