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日経ビジネス オンライン
「米国凋落論」の甘っちょろさ
つまづいても素早く立ち直る米国経済のタフネスに学べ
* 2008年2月6日 水曜日
* 竹中 正治
「米国崩落」「ドルの凋落」などの見出しが経済誌や新聞に踊っている。まことに懐かしい議論だ。「基軸通貨ドルの終焉が始まった」という議論が醸す終末論的な雰囲気は、非米諸国の私たちには魅惑的ですらある。
しかし「危機」の度に再構築される米国の覇権、そのしたたかさを過少評価していないだろうか。
「懐かしい議論」と言うのには理由がある。金為替本位制に基づく戦後の国際通貨制度ブレトンウッズ体制は、1971年にニクソン大統領のドルと金の交換停止宣言で終焉した。スミソニアン体制と呼ばれる過渡期を経て、73年から日本を含む主要先進諸国は変動相場制に移行した。この時期にも日本や西ドイツの経済的な台頭と米国のベトナム戦争の失敗が重なり、「ドルの不信認」「米国の凋落」が大いに議論となった。ところが、80年代にかけて再構築された姿は金(ゴールド)の制約から解放されたペーパーマネー「ドル本位制」だった。
70年代後半に敷かれた経済・金融グローバル化の下地
さらに70年代に後の経済・金融のグローバル化が進む重要な変革が行われた。国境を越えた資本移動の自由化である。この変革はそれ以前と以後で戦後の経済史を二分するほど重要なものだったと私は考えている。国際的な資本移動の自由化は各国が固定相場制を放棄して変動相場制に移行したことで可能になったことを理解しておこう。
仮にドル円相場が固定相場で、かつ内外の資金移動が自由である場合、日米に金利差があり、例えばドル金利が5%で円金利が1%ならば、外為市場での円売りドル買いを通じて日本の円資金は高金利で運用できるドルに際限なくシフトしてしまう。固定相場で為替変動リスクがないからである。その結果、政府が外為市場でドル売り介入をしても、際限のないドル買い需要のために固定相場は維持できなくなる。従って、固定相場制ならば内外の資本移動を規制する必要があり、ブレトンウッズ体制の下で先進国でも資本移動は規制されていた。
逆に自由変動相場制の下ならば、そうした規制は不要である。実際70年代後半以降、日本を含めて世界的な資本移動の自由化と金利・金融の自由化が進み、国境を越えて移動する資本の規模は飛躍的な拡大を続けた。これが現代の経済・金融グローバル化の下地となったのだ。
つまづくたびに強くなる米国
80年代後半にも「米国崩落・ドル凋落論」は甦った。米国の経常収支赤字の拡大、グローバルな不均衡の調整のために行われた85年のプラザ合意は、ドル相場の下落誘導を行い、それに成功した。ところが、逆にドル相場の下落に歯止めがかからなくなってしまった。しかも経常収支赤字の累積で80年代半ばに米国は対外純債権国から純債務国に転落し、87年のブラックマンデーでは米国発の株価急落が世界に波及し激震が走った。
ところが90年代になると先進諸国間、特に米国と欧州の間での直接投資が双方向で急増した。米国には経常収支赤字のファイナンスに必要な規模をはるかに超えて資本が流入する一方、米国からの対外直接投資、証券投資も急増した。その結果、経済全体のバランスシートで見ると米国は世界最大の債務国(2006年時点で約16兆3000億ドル)であると同時に、世界最大の対外債権国(同じく13兆8000億ドル)となった。
要するに70年代後半の国際的な資本移動自由化によって用意された下地の上に、米国の金融・資本市場がグローバルなマネーフローの中核となり、金融帝国として米国の経済的な覇権が再構築されたことになる。
驚くべき復元力
昨年から表面化したサブプライムローン(信用力の低い個人向け住宅融資)危機の重要な含意は、世界的な優位と効率性を標榜していた米国の金融ビジネスモデルに対する信頼が損なわれたことである。70〜80年代に日本や西ドイツ経済が台頭し、米国の産業競争力の優位を脅かしたが、今日ではBRICs (ブラジル、ロシア、インド、中国)諸国の経済が台頭し、高度成長を遂げている。米国の凋落が再び語られるのもある意味で自然なことだろう。
しかし、米国は経済も政治もしぶとい。「IT(情報技術)革命で労働生産性を持続的に向上させ、米国経済はインフレも不況もない姿に変貌した」という90年代のニューエコノミー論は、2000〜2001年のITバブルの崩壊と景気後退で木っ端微塵に吹き飛んだ。
ところが、それが米国の経済成長を停滞させたのは2001年だけだった。2002年以降の住宅ローンの信用膨張に支えられた住宅バブルとその資産効果による個人消費の拡大という経済成長パターンは、今回のサブプライム危機で頓挫した。恐らく2008年は米国にとってリセッション(景気後退)の年となり、個人破産も増えるだろう。しかし、それでも米国の大地が割れるわけでもない。
実際、米国のメガ金融グループは、損失の計上、引き当てを四半期サイクルで進め、不足する資本はCEO(最高経営責任者)がトップ交渉で世界各国のSWF(ソブリン・ウエルス・ファンド、政府系ファンド)から数千億円単位で獲得している。1990年代の日本の大手金融機関の対応と比較すれば彼我の差は歴然としている。米国のメガ金融機関の基礎的な収益力は日本とはケタ違いであり、損失計上さえ終了すれば、収益も株価も復活するだろう。
もう1つの米国の強さは対外ポジションのポートフォリオ構成の特徴にある。13兆8000億ドルの対外債権の52%が直接投資と株式投資に投じられている。一方、米国の対外債務(=海外の対米債権)16兆3000億ドルのうち、直接投資と株式投資の比重は29%にとどまり、米国債と社債への投資が 30%を占める。
長期的なリターンは直接投資と株式が債券を大きく上回るため、米国経済は対外的に2兆5000億ドルの純債務者であるにもかかわらず、債権運用利回りが債務コストを大きく上回ることが確認されている。しかも対外債権の50%は非ドル建て、対外債務の90%はドル建てなので、ドル相場の下落は海外投資家の為替損、米国投資家の為替益を生み出す構造にある。
対照的なのは日本の対外ポジションである。558兆円の対外資産は外貨準備も含めて58%が米国債を含む債券に投じられ、直接投資と株式投資は 20%に過ぎない。2004年以来の個人投資家の外貨投資信託ブームも多くは米国債を含む海外の国債に投じられている。これでは巨大なインベストメントバンクと化した金融帝国に低リターンの安定資金を貢いでいるようなものだ。
タフでなければ生き残れないグローバル投資
今回傷ついた米国の金融・投資ビジネスモデルがどのように修復、再構築されるかはまだはっきりとは見えてこない。問題の温床となったCDO(債務担保証券)の市場は取りあえず消滅に向かうだろう。しかし金融証券化市場自体はいずれ回復するだろうし、金融証券化ビジネスの発展が停止してしまうこともないだろう。
以前このコラムで書いたように米国では企業の財務危機、マクロの金融危機を収益機会にするビジネスモデルが働いている。巨額な損失も、富のリシャッフル(再配分)を起こし、負け組の一方に新たな勝ち組を生み出す。しかも今回のラウンドでの負け組が米国勢と決まったわけでもない。
1989年、日本の不動産バブルの最中、力の頂点にあった三菱地所がロックフェラーセンターを買収したことはあまりに有名だ(当初1200億円規模、その後2000億円まで投資額は増えたと報道されている)。結局90年代初頭の米国不動産不況と円高で莫大な損失を計上して95年に事実上撤退した。
昨年5月に米国の巨大上場投資ファンド、ブラックストーンに30億ドル(約3300億円)投資すると発表した中国投資公司は、昨年夏以降の同社株価の急落で既に大きな損失となっている。中国投資公司に三菱地所の二の舞いを感じるのは私だけではあるまい。
米国の凋落を語る前に“タフに生き抜く日本”を考えよう
むしろ私の懸念は、今回もまた日本の投資家や金融機関が「米国凋落議論」にカタルシスを感じるだけで、指をくわえて好機を逃す、あるいは内向き志向に傾斜することだ。以前書いた通り(「“ミニハゲタカ”が巨象をついばむ?」2007年12月10日)、相手の金融危機や不況は、株式や不動産など優良な銘柄を安値で買う絶好の機会だ。
ところが多くの投資家、企業は自分の所得が増え、キャシュフローの余剰が大きくなった時に大規模な投資に手を出してしまう。これが間違いのもとだ。対象となる市場が不況・景気後退の時にこそ大きく投資すべきなのだ。もちろん、私も含めて「言うは易く、行うは難し」である。例に挙げた三菱地所も中国投資公司もこの点同様で、相手の不況時ではなく、自らのキャシュフローの増加に反応して投資のタイミングを決めたと言えよう。
そのように考えれば、日本にとって2008年は、米国相手に低リターンの安定資金を貢いでいるような対外投資ポートフォリオを修正し、直接投資と株式投資の比率を上げるチャンスが再び巡って来たらしいということになる。2001年の世界的な景気後退以来のチャンスだ。このことに家計の金融資産 1555兆円の運用に関わる私たち一人ひとりが目覚めれば、日本の所得収支は一段と増加するだろう。
所得収支とは対外的な配当と利息の受け払い差額であり、GDP(国内総生産)には含まれないが、国民所得の一部である。昨年の日本の所得収支は史上最高の16兆円程度に増加した見込みであり、世界最大規模の黒字だ。16兆円という所得規模は巨大産業部門に匹敵するが、これをもっと大きく育てることができる。
米国人は斬られても撃たれても容易にくたばらないダイハードなタフガイが大好きだ。それは米国映画のヒーローたちを見ればよく分かる。危機に直面すると米国人はそうしたタフガイのイメージを自分にも投影して自らを鼓舞するのだろう。もちろん冗談をかますのも忘れない。
反対に日本では危機や挫折に遭遇するとあまりに自罰的、悲観的な論調や報道が横行し過ぎではないか。改革を唱える人々ですら、「このままでは没落する」「危機感をバネに」などと言ってますます悲壮感を強めてしまう。米国は経常収支赤字になっても、純債務国になっても、日本の自動車メーカーに席巻されても、ダイハードに経済成長と覇権を維持してきた。その凋落を語る前に私たち日本人はもっとタフな存在に変貌しようではないか。
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