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終焉に向かう原子力――なぜ六ヶ所再処理工場の運転を阻止したいのか
http://www.asyura2.com/08/genpatu5/msg/130.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2008 年 12 月 19 日 17:22:34: twUjz/PjYItws
 

ちきゅう座より転載。図は元記事よりご覧下さい。

http://chikyuza.net/modules/news1/article.php?storyid=514

<08.12.19>終焉に向かう原子力――なぜ六ヶ所再処理工場の運転を阻止したいのか <小出 裕章>


<こいで・ひろあき:京都大学原子炉実験所>  


T.再処理は核開発の中心技術

原爆の強烈な破壊力

1945年3月10日、東京は300機を超えるB29による空襲を受け、下町を中心に市街地の40%が灰燼に帰し、10万人の人々が焼き殺されました。その時に雨あられと投下された焼夷弾の量は1665トンでした(平凡社、世界大百科事典)。その5か月後、広島、長崎に原爆が投下されました。広島原爆の爆発力は火薬に換算して16キロトン、すなわち1万6000トンで、長崎原爆のそれは21キロトン、2万1000トンでした。そして、それぞれ10万人の人々が筆舌に尽くしがたい苦悶のうちに短期日に死亡し、幸か不幸か生き延びた人々は被爆者となって、その後の人生を奪われました。

ウラン原爆

ウランの核分裂現象が発見されたのは第2次世界戦争の前夜、1938年の暮れも押し詰まった頃でした。ナチスの迫害を逃れて米国に移っていたアインシュタインをはじめとする優秀な科学者たちが、ナチスより先に原爆を作らなければいけないとルーズベルト大統領に進言し、米国の原爆製造計画である「マンハッタン計画」が始まりました。
もちろん、当初はウランを材料にして原爆を作る構想が生まれました。しかし、一口にウランと呼ぶ元素の大部分は「非核分裂性ウラン(U-238)」で、「核分裂性ウラン(U-235)」はわずか0.7%しか存在しません。そのU-235を集める作業を「ウラン濃縮」と呼びます。しかし、この「ウラン濃縮」という作業はとてつもなくエネルギーを必要とする大変な作業でした。そのため、原爆炸裂時に放出されるエネルギーより遥かに多くのエネルギーを、ウラン濃縮だけのために使わなければなりませんでした(図1参照)。

図1広島原爆のエネルギーバランス


プルトニウム原爆

一方、超優秀な科学者たちは、U-238を「核分裂性のプルトニウム(Pu-239)」に変換し、Pu-239で原爆を作る方法もあることに気づきました。シカゴ大学のフットボール場観客席の地下で人類初の原子炉が臨界に達したのは1942年の暮でした。その成功を受け、ワシントン州ハンフォードに巨大なプルトニウム製造用原子炉と、生み出されたプルトニウムを分離するための再処理工場が作られました。こうして、マンハッタン計画ではウラン原爆とプルトニウム原爆を作る作業が平行して進められました。結局、1945年夏になって米国は3発の原爆を完成させましたが、そのうち2発がプルトニウム原爆でした。1発は人類初の原爆として、米英ソ3国首脳が日本への降伏勧告を協議するポツダム会談の日にあわせて、米国の砂漠アラモゴルドで炸裂(トリニティ=三位一体)。もう1発が長崎原爆・ファットマンとなりました。「核分裂性のウラン」で作られたウラン原爆は広島に落とされたリトルボーイです(図2参照)。

核と原子力は同じもの

日本では、「核」といえば軍事利用で「原子力」といえば平和利用であるかのごとく宣伝されてきました。「Nuclear Weapon」は「核兵器」、「Nuclear Power Plant」は「原子力発電所」と訳されます。「Nuclear Development」は、もしそれを行う国がイランや朝鮮であれば「核開発」と訳され、それを日本が行う場合には「原子力開発」と訳されます。しかし、もともと技術に軍事用も平和用もありません。かつて野坂昭如さんが指摘したように、もしあるとすれば「戦時」利用と「平時」利用の差しかありません。今日「原子力の平和利用」などと称して使われているすべての技術は米国のマンハッタン計画で生まれたもので、「ウラン濃縮」「原子炉」「再処理」が核開発の中心3技術です。もちろん、米、ロ、英、仏、中の核兵器保有国はこれら3つの技術を保有しています。日本はこれら3技術を保有する世界で唯一の非核兵器保有国になりました。


U.再処理工場の危険の内容

「十分な希釈・拡散」とは広範囲に汚染を広げること

再処理という作業の危険さ、六ヶ所再処理工場が放出する放射性物質の危険さについては、すでに「終焉を向かう原子力」の集会で何度か聞いていただいていますので、今日は省きます。再処理は高度の軍事的な要請により開発され、実行されてきたもので、安全は二の次です。六ヶ所再処理工場も例外でなく「原発が1年で放出する放射能を1日で放出する」と言われるほどに厖大な放射能を環境に捨てます。六ヶ所再処理工場で平常運転時に放出が予定されている放射能のうち被曝に最も寄与すると考えられる放射能はクリプトン85(Kr-85),トリチウム(H-3),炭素14(C-14)の3核種です。日本原燃はそれらの核種は「フィルタでは取り除けません。・・・充分な拡散・希釈効果を有する高さ約150mの主排気筒、沖合い約3km、水深約44mの海洋放出口から放出します」と書き、全量を放出するとしています。
しかし、クリプトンは沸点が零下152℃で、その温度まで冷やしさえすれば、液化して捕捉できます。年間3.3×1017ベクレルの放出が予定されているクリプトンの全量を捕捉しても、23kgでしかありません。クリプトンの捕捉技術開発にはすでに160億円の国費が費やされましたが、それを活かすことなく全量を放出すると言うのです。また、費用はかかりますが、トリチウムの同位体濃縮技術はすでに確立されており、トリチウムを捕捉しない理由も要は経費がかかるというだけです。炭素14についても、全量放出とされていますが、炭素の捕集は化学的な手法で可能ですから、たとえば水酸化ナトリウムと反応させれば固体化して捕捉できます。

捕捉手段をとらないのはカネがかかるから

当初、六ヶ所再処理工場は7600億円の建設費で建設できると試算されました。しかし、次々と計画が見直され、現在ではすでに2兆2000億円もの費用がつぎ込まれました。そして、2002年になって、運転を始め、それを解体するにはさらに巨額な費用がかかるということが公表されました。何と総額では13兆円にもなってしまいます。
六ヶ所再処理工場は年間800トンの使用済燃料を処理する計画ですが、仮に計画通り40年にわたって順調に工場が稼働したとしても、処理できる使用済核燃料は総量で3万2000トンです。そうすると、使用済核燃料1トン当たりの再処理費用は約4億円になります。これ迄、日本の電力会社は英国・フランスに再処理を委託してきましたが、その費用は1トン当たり約2億円でした。その上、再処理工場が期待通り稼動することなどありません。たとえば、日本には1977年に当初計画「210トン/年」で運転を開始した東海再処理工場がありますが、その再処理工場で2008年1月11日までに再処理した使用済核燃料は累積で1180トン、稼働率は20%にもなりません。六ヶ所の再処理工場の稼働率が同じように20%にしかならなければ、再処理費用は使用済み燃料1トン当たり20億円にもなってしまいます。本当のことを言えば、六ヶ所再処理工場は現状でも経済性はすでに破綻しており、経済的な考慮だけから判断するなら、当然放棄されるべきものです。その上、クリプトン、トリチウム、炭素14の捕捉のために経費をかけるとすれば、ますます窮地に陥ります。

あらゆる被曝は危険を伴う

国や日本原燃は被曝量が少なければ安全であるかのように装っていますが、もともと放射能に「安全量」はありません。どんなに少量の被曝でもそれなりの危険を伴います。かつて物理学者の武谷三男さんが指摘したように、「許容量」と呼ばれるものも「安全量」ではなく、「がまん量」に過ぎず、我慢できるか否かという判断の問題です。その上、今日の原子力利用においては、利益を受ける集団と利益を押し付けられる集団が乖離していて、実際には「がまんさせられ量」になっています。六ヶ所再処理工場が毎年放出するKr-85, 炭素14などは全地球規模に汚染を広げ、全世界では7400人・シーベルトの被曝を与えます(図3参照)。1000人/1万人・シーベルトというがん死のリスク係数を当てはめれば毎年約740人、40年の操業では約3万人ががん死することになります。
また、再処理工場の運転は立地地域の住民にかつてない被曝を与えます。放射性物質のクリアランス基準は年間10マイクロシーベルトであり、国や日本原燃による22マイクロシーベルトという被曝評価値は、すでにその値を2倍以上超えています。経済的な費用を惜しんで本来為すべき処置も取らない工場を稼動させることは故意の犯罪だと私は思います。

図3 全世界での集団被ばく線量

V.核燃料サイクルは実現しない

著しく貧弱なウラン資源

人類が原子力に手を染めた当初、原子力は無尽蔵のエネルギーで、値段もつけられないほど安価なエネルギーだと言われました。私自身もそうした宣伝に夢を抱いて原子力の世界に足を踏み込みました。しかし、すぐにでも枯渇するといわれた石油の可採年数推定値は増加の一途をたどり、最新の可採年数推定値は50年を超えました。今後開発される油田を考えれば、石油だけでも今後100年はもちます。また、最近天然ガスの利用が急速に進んできましたが、次々と有望な資源が発見され、天然ガスだけでおそらく1000年の需要を満たすと言われています。石炭もまた究極埋蔵量で言えば、現時点での世界の総消費量の1000年分の資源があります。ところが原子力の資源であるウランは、利用できるエネルギー量に換算した上で石油に比べて数分の1、石炭に比べれば50分の1しかない貧弱な資源です(図4参照)。こんな資源に未来のエネルギーを託送としたこと自体が愚かなことでした。

図4 再生不能エネルギー資源の埋蔵量
 数字の単位は1.0x10^21J 上段が「究極埋蔵量」、下段が「確認埋蔵量」

プルトニウム利用のための核燃料サイクル

すでに述べたように、ウラン全体の中で燃えるウラン(ウラン235)が占める割合はわずか0.7%です。そのため、原子力に夢を託す人たちはウラン全体の99.3%をしめる燃えないウランをプルトニウムに換えて利用することを思いつきました。それを実現するために必要なものが、燃えないウランを効率的にプルトニウムに変換するための高速増殖炉を中心とする核燃料サイクル計画でした(図5参照)。そして、原子力をエネルギー資源にしようとして、米国を含め核(=原子力)先進国は高速増殖炉路線に足を踏み込みました。世界で一番初めに原子力発電に成功したのはEBR-1と呼ばれる高速炉で1951年12月のことでした。ところが、高速増殖炉は技術的、社会的に抱える困難が多すぎて、一度は手を染めた世界の核開発先進国はすべてが撤退してしまいました。

図5 核燃料サイクルの全体像

日本の原子力開発長期計画(以下、長計)による高速増殖炉実現の見通しを図6に示します。高速増殖炉の開発計画が初めて言及されたのは1967年の第3回長計でした。
その時の見通しによれば、高速増殖炉は1980年代前半に実用化されることになっていました。ところが実際には高速増殖炉ははるかに難しく、その後、長計が改定されるたびに実用化の年度はどんどん先に逃げていきました。1987年の第7回長計では「実用化」ではなく、「技術体系の確立」とされ、さらに2000年の第9回長計では、ついに数値をあげての年度を示すことすらできませんでした。2005年に「原子力政策大綱」として改定された計画では、2050年に初めの高速増殖炉を動かしたいと書かれていますが、そんなことが実現できる道理がありません。

図6 高速増殖炉実用化の見通し
(1987年の第7回原子力開発利用長期計画では、目指す目標が「実用化」から「技術体系の確立」に変わる)


本来の核燃料サイクルの破綻と厄介もの処理としてのプルサーマル

日本は、先の戦争でアジアを中心に海外の人々に多大の厄災を及ぼしました。現在の日本の為政者たちは「国際社会」なる言葉が大好きで、日本は国際的に信頼されているかのように装っています。しかし、かつてドイツのシュミット首相は「日本はアジアに友人がいない」と評しましたが、アジアどころか世界中に友人がいません。一方で、エコノミックアニマルとしてカネをちらつかせ、一方で米国に従うのが国益だなどという国が「国際社会」から信頼される道理もありません。そんな日本が、「原子力の平和利用」と称しながら使い道のないプルトニウムを保有することも国際社会が許す道理がなく、日本は余剰プルトニウムを持たないと国際公約させられたのでした。
しかし、仮に原子力を進めている人たちの計画通りに行ったとしても一番初めの高速増殖炉が動き始めるのは2050年です。それにも拘わらず、それが実現するとの前提で日本は使用済み核燃料の再処理を英国・フランスに委託し、すでに45トンにも上るプルトニウムを分離して溜め込んできてしまいました。それで長崎型の原爆を作れば4000発も作れてしまいます。そのため今、日本は何が何でもこのプルトニウムを始末しなければならなくなりました。そのために苦し紛れに考えられたのが、プルトニウムを普通の原子力発電所の原子炉として利用されている熱(サーマル)中性子炉で燃やすという「プルサーマル」計画です。プルトニウムは高速増殖炉で燃やさないかぎり資源的な意味がなく、熱中性子炉で燃やしてしまうことはむしろ資源を捨ててしまうことになるだけです。

再処理をすれば使い道のないプルトニウムがますます溜まる

ただでさえ使い道のないプルトニウムを抱えて、愚かな「プルサーマル計画」に追い込まれた日本が再処理をしてプルトニウムを取り出せば、さらに苦境に陥るだけです。高速増殖炉の見通しもない現在、まずは再処理をやめることがあまりにも当然な選択です。


W.核の廃絶と警察国家の拒否

核研究に対する抵抗

日本が欧米型の近代科学技術に接したのは、せいぜいこの100年ほどのことです。特に、原子力の場合は、第2次世界戦争で負けたために核=原子力研究を禁じられ、理化学研究所のサイクロトロンなどごく基礎的な研究装置すらが、米軍によって破壊されて、東京湾に沈められました。日本で核=原子力研究が許されるようになったのは、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効してからです。しかしその後も、原子力と核が同じものであると洞察した学者は核=原子力研究に抵抗しました。
特に日本学術会議は1950年4月の第6回総会において、「日本学術会議は、1949年1月、その創立に当たってこれまで日本の科学者がとりきたった態度について強く反省するとともに科学を文化国家、世界平和の基礎たらしめようとする固い決意を内外に表明した。われわれは、文化国家の建設者として、はたまた世界平和の使徒として、ふたたび戦争の惨禍が到来せざるよう切望するとともに、先の声明を実現し、科学者としての節操を守るためにも、戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わないと言うわれわれの固い決意を表明する」なる声明を採択しました。しかし、1952年10月24日になって、「原子力委員会を政府に設置すること」、つまり原子力研究を始めようとするいわゆる「茅・伏見提案」がなされました。これに対し、自らもヒバクシャである広島大理論物理研究所長だった三村剛昴さんが、広島の惨状を話した後、以下のごとく「声涙共に下る」大演説をされました。
「だからわれわれ日本人は、この残虐なものは使うべきものでない。この残虐なものを使った相手は、相手を人間と思っておらぬ。相手を人間と思っておらぬから初めて落し得るのでありまして、相手を人間と思っておるなら、落し得るものではないと私は思うのであります。ただ普通に考えると、二十万人の人が死んだ、量的に大きかったかと思うが、量ではなしに質が非常に違うのであります。しかも原子力の研究は、ひとたび間違うとすぐそこに持って行く。しかも発電する―さっきも伏見会員が発電々々と盛んに言われましたが、相当発電するものがありますと一夜にしてそれが原爆に化するのであります。それが原爆に化するのは最も危険なことでありまして、いけない」。
そのため、「茅・伏見提案」は成立せず、日本が原子力に手を染めることはできませんでした。

日本の技術レベル

業を煮やした改進党代議士中曽根康弘が突如として2億3500万円(燃えるウランの質量数235をもじったもの)の原子力予算を国会に提出し、ろくな審議もしないまま成立してしまったのが、1954年3月のことでした。しかし、その年には、すでにソ連では世界初のオブニンスク原子力発電所が運開を迎えていましたし、米国でも1957年には商業用のシッピングポート原子力発電所が運転を開始しました。遅れて原子力に参入した日本は、1966年になって東海1号炉を運転させましたが、それは自分の技術で作ったのではなく、英国からコールダーホール型原子力発電所を輸入したものでした。その後、1970年に敦賀1号炉、美浜1号炉を運転開始させますが、それらもまた自分の技術で作ったのではなく、米国から輸入したものでした。その後は、ほとんどの原子力技術を米国から導入することになり、ようやく今日に至っていますが、今日でもなお炉心の中心部など核心技術はいまだに自立できないままです。
ところが1979年に米国スリーマイルアイランド原子力発電所(TMI)が事故を起こした時には、「米国の運転員は質が低い」とか、些細な型の違いを強調して「型が違う」と言い張りました。1986年にチェルノブイリ原子力発電所で事故が起きた時には、「ロシア人は馬鹿で、日本人は優秀だ」「ロシア型は日本が使っている米国型と型が違う」と言って、日本の原子力発電所だけはいついかなる時も安全であると言い続けました。
しかし、日本でも信じられないような事故が続いてきました。1995末には、高速増殖炉「もんじゅ」が試運転開始直後、出力が定格出力の40%に達した時点で事故を起こしました。1997年には、東海再処理工場のアスファルト固化工場が爆発事故を起こして、周辺に放射能をまき散らしました。そして1999年にはJCO事故が起きて、2名の労働者が被曝死しました。日本国内では当初驚きを持って迎えられたその事故は、海外では「やはり日本だから起きた事故」と言われました。JCO事故後も、2001年には浜岡原発1号炉で非常用炉心冷却系の配管が水素爆発と思われる爆発で砕け散りました。2004年には、美浜3号炉で2次系の配管が大破断し、5名の労働者が熱水を浴びて死にました。2007年7月には柏崎・刈羽原子力発電所が予想をはるかに超えた地震に襲われ、多数の故障を引き起こしました。
日本が原子力後進国であることは悪いことではありません。原子力技術は核技術そのものであり、本来手を付けるべきでない技術です。その技術の後進国であることはむしろ誇るべきことでもあります。ただ、事実そのものは、価値判断を別にして、くもりない目で見なければいけません。
もともと日本には再処理を実施する能力もなく、実験的な東海再処理工場もフランスに作ってもらいました。それを動かすことで技術を習得し、六ヶ所再処理工場は日本独自の力で作ろうとしましたが、それもできず、六ヶ所再処理工場もまたフランスに作ってもらいました。おまけに、日本の原子力産業がそれぞれに独自の利益を求めて再処理工場の工程を奪い合ったため、つぎはぎの工場となってしまいました。今現在躓いているガラス固化体の製造工程は、もともとはすでに再処理から撤退したドイツの技術を石川島播磨が導入したものです。

必然的な警察国家

原子力を意味のあるエネルギー源にしようとすれば、プルトニウムを利用する必要があります。そのためには、高速増殖炉と再処理が必要ですが、そのいずれもが技術的・社会的な困難に直面しています。仮に、その壁を強引に突破してプルトニウムを利用する未来が来ると想像してみましょう。
プルトニウムは100万分の1グラムの微粒子を吸い込んだだけで肺がんを誘発するという超危険物です。ごく微量でも環境に漏えいすれば大災害となります。高速増殖炉は、そのプルトニウムを数十トンの単位で内包し、核燃料サイクルはプルトニウムを社会の中に循環させる仕組みです。そして、数kgのプルトニウムがあれば原爆が作れます。実際に原爆を作るのは過去の歴史が示すように国家そのものですが、仮にテロリストと呼ばれるような人たちがそれを奪取して原爆を作ろうとすれば、それも容易なことです。
そうした性質をもつプルトニウムを利用しようとすれば、住民を守るためにも厳重な管理が必要ですし、すでにそうなっているようにテロリストからプルトニウム自体を守るとの理由で、厳重な情報統制と、警察力による防護が必要です。かつて、ドイツの哲学者ロベルト・ユンクは原子力を利用するかぎり、国家による規制の強化は必然で、国は必然的に「原子力帝国」と化して庶民の自由が奪われると警告しました。いったいそれ以外にどんな未来が描けるでしょう? 高速増殖炉、核燃料サイクルを含め、原子力を利用することそのこと自体が自由な社会を破壊します。

選択

まったく危険を伴わない行為であっても、なす価値がない行為もあるでしょう。逆に、どんなに巨大な危険を抱える行為であっても、それをなす価値がある行為もあると私は思います。しかし、六ヶ所再処理工場の場合は、巨大な危険を抱える上に、まったく価値がない、いやそれ以上に著しく有害な行為です。こんな行為は決して選択してはいけません。私たちは、原子力とは一体何なのか、しっかりと見極めなければいけません。すでに半世紀以上前に三村さんが発した警告を、何度でも繰り返し繰り返し考えてみるべきです。

2008年12月13日(土)
(この記事は同日の現代史研究会の講演によるものです。)

〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔eye481:081219〕


 

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