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米中せめぎ合い、では日本の戦略は? 2009年03月10日16:02
自由主義のもと、どんな民族でも、個人を取り上げて価値観を問えば、色々な価値・意見があるでしょう。
しかし、その民族総体となると、民族としての特徴が表出するはずです。そしてそれは、そう簡単に変わるものではないでしょう。
アングロサクソン・プロテスタント(アメリカ人)も、中華思想の華人も、です。
プロテスタントは、神から与えられた自分の使命をまっとうすることが正義です。いかなる困難をも乗り越え、使命を果たすこと。
中華思想は、中央に華人。そこに貢ことが正義(冊封体制)。そのために喜々として働くことがいいことのようです。しかしエリートは働かないようですけど。
プロテスタントはよく働きます。神から授かった使命をまっとうするために。
そして個人主義です。他人と自分では神から与えられた使命が違うからでしょう。この個人主義と自由主義の背景にある価値体系こそ、民主主義の基幹概念です。
中華思想は、良く働いた者に対する華人からの感謝で成り立つようです。ですから権威付けが物凄く、きらびやかです。接待がうまいのは、「感謝表明の術」に長けているということでしょう。
しかし所詮「収奪システム」ですから、働く動機付けが弱いです。中華圏の人々に、労働に対する蔑視感があるのはそのためではないでしょうか?
働く時に上位の顔色を伺い、見ていないとサボりをする。それが時々中共製品に表出しているようですね。自由主義と利己主義の区別がつけられないようで、ゆえに自由主義を悪しきものとして、表現の自由などは巧みに抑圧します。
日本人はなんと言っても「天皇」。天皇=日本であることは、左翼が何と言おうと変わりません。
天皇は祭事を行いますが、もっぱら農業の営み。天皇陛下は、自ら田植えなどをなさいます。儀式とも見えますが実際に収穫し、神にささげます(神はスピリット、一神教の神ではありません)。そしてこれが労働の奨励を意味します。額に汗して働くことが正しいこと、という価値観です。(聖徳太子が中国に絶縁状を送った理由かも?)
しかし個人主義ではありません。協力して働くからこそ収穫が得られるという発想だからです。
天皇陛下は暦と儀式を使って、協力して働く時期と期間を暗示する権威です。利己主義は排除しますが自由主義は認めます。
3つとも権力による収奪システムは持っています。問題はその手法。民主主義によらない収奪システム(徴税)が良くないということが近年の価値観、人間社会の進歩。
日本の戦略として組むのは、勤労(生産)意欲のための合理性から考えて、やはりプロテスタントとの方が相容性がいいのではないでしょうか?
社会主義思想はどんなに聞こえが良くても、中華思想の収奪システムに近似しているように感じます。(勤労意欲は削がれます)
そこでプロテスタンティズムとの協力が、日本としての戦略に向いていると考えます。日米同盟を「良し」とする根拠です。
最近公開されている映画「オーストラリア」の中で、ニコール・キッドマンが、けな気に人種差別と戦っています。
アボリジニの持つスピリチュアルなものを肯定的に描き、差別と偏見の街を日本軍の空襲が焼き尽くしていくあたりの描き方も微妙です。
そして映画の最後に「オーストラリア政府は、過去の少数民族に対する抑圧を謝罪した」とテロップで表示します。
この映画は、戦前に日本が必死で言っていた「平等に扱え!」という抗議に答える、アングロサクソン・プロテスタントの、一つのメッセージなのでしょうか? >>