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アカデミー賞:外国語映画賞受賞「おくりびと」 宗教色薄めて家族を描く(毎日新聞)
http://www.asyura2.com/08/bun1/msg/363.html
投稿者 クマのプーさん 日時 2009 年 3 月 03 日 18:53:50: twUjz/PjYItws
 

http://mainichi.jp/select/world/news/20090302ddm014200006000c.html

アカデミー賞:外国語映画賞受賞「おくりびと」 宗教色薄めて家族を描く


 映画「おくりびと」が第81回米アカデミー賞外国語映画賞を受賞した。主演の本木雅弘さんが青木新門さんの著書『納棺夫日記』(93年に富山市の桂書房から刊行。現在は増補改訂版が文春文庫から出ている)に感動したのが、この映画製作のきっかけになった。『納棺夫日記』との比較から見えてくる映画「おくりびと」の特質や受賞につながった背景を考えるとともに、映画の原作者とされることを辞退している青木さんに話を聞いた。【棚部秀行】

 『納棺夫日記』(以下『日記』)と映画「おくりびと」を比較すると、さまざまに興味深い相違点と共通点が見えてくる。いくつか列挙して、それぞれに魅力的な表現の特色を考えた。

 『日記』では、納棺師の仕事現場の記述は主に前半で描かれている。湯灌(ゆかん)や納棺についての詳細な描写もそれほど多くない。一方で、特に後半部分は、青木さんが納棺師という仕事に就き、身近に死を感じることで得た宗教観や死生観をつづっている。

 『歎異抄(たんにしょう)』に示された親鸞の思想や、臨死体験を思わせる宮沢賢治の詩を繰り返し引用し、生と死が一体化したときに見える<ひかり>について言及している。この著書は、青木さんの納棺師という体験を経ての哲学的、宗教的な思索の軌跡が読みどころになっている。

 映画では、人の死に際しての場面が頻繁に扱われている。しかし、特定の宗教色は感じさせない。また、人の生死について、登場人物が垂直に思索を深めるような場面もあまりない。

 他方で、ベートーベンの「第九」、主人公の本木雅弘さんが演奏するチェロの音色、葬送会社でクリスマスを祝うシーンが印象的だ。個別の宗教に深入りしないことで、ともすれば、暗くて重いイメージの棺や葬送儀式の場面がなじみやすいものになっている。宗教色の代わりに、家族のきずなや死者への尊敬の念が、直接に強調されている。本木さんが『日記』で感動したという、遺体に群がるウジムシが光って見える場面もない。

 家族という切り口で考えると、映画には実に多くの家族の形が描かれている。これは現代日本で発表されている多くの映画や小説と共通している。

 湯灌、納棺のシーンでは多くの家族たちが詰めかけ、主人公が勤めた会社の社長や秘書もそれぞれに家族にまつわる過去を抱えている。

 また主人公は、自分を捨てた父親のことを恨み続けるが、作品は主人公の父親探しの物語であり、親子のあつれきを克服するストーリーにもなっている。さらに、広末涼子さんが演じた妻との関係も、物語を牽引(けんいん)する大きな力になっている。差別に苦しんだ二人が和解する過程(新しく家族をつくっていく経緯)も、映画全体の流れを形づくっている。

 『日記』には、きわめて印象的な場面がある。家族や親族が「私」の仕事を嫌悪し、つらい思いを抱いていた時に、昔の恋人に出会う。亡くなった彼女の父の遺体を湯灌している「私」に、彼女は寄り添いながら、額の汗をふいてくれる。感動的な場面だ。

 「私」は、この元恋人のしぐさに心を動かされ、前向きに納棺師の仕事に取り組むきっかけをつかむ。

 『日記』と映画には、共通点も多くある。その筆頭は納棺師という仕事に込められたメッセージだろう。生きている人はいずれ死ぬ。死者を敬う心は変わらず、その象徴的な仕事として、光をあてているのが、まず大きな魅力だ。そんな中、職業的な差別意識や違和感を徐々に克服していく主人公の姿も、共通するものだ。

 舞台となっている土地も微妙に共通し、微妙に相違している。『日記』は富山、映画は山形(撮影は酒田市と鶴岡市を中心に実施された)。ともに日本海側の土地で、その風土の美しさや気候の厳しさは、活字にも映像にも、大いに力になっている。

 青木さんは「立山(富山)がないのは残念だけど、鳥海山(山形)もいいですね。平野は富山もあんな感じです。滝田(洋二郎)監督も富山出身なんです」と話した。

 ◇松竹伝統のホームドラマ−−評論家、川本三郎さんの話

 「おくりびと」で描かれている死は、ほとんどが家族の死です。日本人の死生観では、生死の間をはっきり分けない。先祖の墓参りを大事にする民族だから、家族の死を身近に感じる。それを描いたので日本人は親しみを持った。松竹伝統のホームドラマで、観客が感情移入しやすかった。

 この映画には、侍の美学もある。正座して死装束を着けていく。米国人はストイックなしぐさに感動したのではないか。9・11で身近に多くの死者を見たことも、背景にあると思う。

 ◇葬送が芸術化された−−映画評論家、佐藤忠男さんの話

 「おくりびと」には、これまでによくある悲痛感が漂う死ではなくて、のんびり安らかに、死んでゆくのがいいという考え方が流れている。そこに、日本人の死生観の進化を感じます。

 そのこともあって、葬送が芸術化された。ここには宗教性はなく、納棺師が遺体を芸術的、美的に扱う。

 宗教にこだわりが少ない日本人だからこそ、先端的に洗練させた文化だと思う。世界をリードしているのかもしれない。この点が海外であっと驚かれた理由ではないでしょうか。

 ◇本木君に心から喝采を−−『納棺夫日記』著者・青木新門さん

 −−アカデミー賞の受賞をどう受け止められましたか。

 青木さん 主演の本木君に心から喝采(かっさい)を送りたいと思いました。もともと、『納棺夫日記』の中の、ウジが光って見える場面の文章を、写真集に引用したいとおっしゃられて、それがきっかけなんですが、私は非常に感動したんですね。生と死がつながっていると感じなければ、ウジは光って見えない。若いのにすごいと。

 その後、ある雑誌で本木君が『納棺夫日記』の映画化を切望していると読んで、私は彼に手紙を送りました。「僕が思うに、本木さんしか、映画化は出来ないでしょう」と。初めはお棺や死体が出てくる映画は、興行収入的に採算が合わないと反対されたようですが、そのうち賛同する人が出てきた。映画化にあたって、一つだけ条件を出しました。行きがかり上、私は本木君を主演から外すんであれば断りますと。彼からは「映画化についてお許しいただき、ありがとうございました」という手紙をいただきました。

 −−しかし青木さんは原作者として名前が挙がることを、辞退されていますね。

 青木さん 送られてきたシナリオを見るとね、親を思ったり、家族を思ったり、人間の死の尊厳について描かれているのは、伝わってきて、すばらしいんです。ただ、最後がヒューマニズム、人間中心主義で終わっている。私が強調した宗教とか永遠が描かれていない。着地点が違うから、では原作という文字をタイトルからはずしてくれって、身を引いたんです。

 −−できあがった映画「おくりびと」をご覧になってのご感想は。

 青木さん ここまできれいで、美しい映画になるとは思わなかった。風景がよかった。俳優さんたちの力に脱帽しますと本木君には言いました。本音です。やはりスタッフもみんな力がありますよ。人間中心主義かもしれないけど、人と人とのつながりや家族のきずなが大事だとアピールしていますよね。どの場面でも、必ず家族が後ろにいます。本木君が『納棺夫日記』に出合って、映画が出来たというのは確かですが、『納棺夫日記』は『納棺夫日記』で、映画は映画というスタンスは今も変わりません。

 −−日本や海外で映画がどうして高い評価を受けたのだと思われますか。

 青木さん いかにも現代の世相をクローズアップした作品です。アメリカも金融危機やオバマ大統領誕生など、価値観の変化が起こってきている。生と死とを分けて、生が絶対で、お金や経済が大事でそちらに向かったけど、それだけではない、という感じが出ています。例えば、あの大統領は集会をキャンセルして、危篤のおばあちゃんを優先したんです。1、2年前だと、受賞は分からなかった。本木君が、「オスカーにノミネートされました」と電話をしてきたとき、「絶対取れますよ」と答えたんです。「ウジの光は、オスカーの黄金の光にもつながりますから」って。

 −−宗教色や生死への哲学的な思索が薄くなって、わかりやすくなったということはないでしょうか。

 青木さん 複雑です。死者と生者のきずなが大事だよと映画は教えてくれるけど、最後は「癒やし」なんですよね。そこで止まっていたら、やがて人間中心主義・ヒューマニズムは、自己中心主義になるのではないでしょうか。癒やしだけだと、その場を取り繕うことになりかねません。におい消しみたいなもので、においそのものを断っているわけではない。においそのものを断つには、宗教的なものが必要になるんです。本を書いたときから、なぜ宗教を書いたのって、言われました。(より専門的に宗教を書いた)3章を書かなかったらノンフィクションの賞に推薦すると言った人もいました。でも宗教に目覚めたのは、3000体の遺体を送ってきた経験からですよ。元々勤めていた会社の社員に読ませようと思って刷ったんですから。

 −−納棺師への問い合わせが殺到しているという報道もあります。

 青木さん 悪いことではないし、職業に貴賤(きせん)がないということではいいと思うんです。ただ死者に対する心は大切にしてほしい。毎回、ドキドキしないとダメなんです。

==============

 ■人物略歴

 ◇あおき・しんもん
 1937年、富山県生まれ。富山市内で飲食店を経営したが倒産。冠婚葬祭会社に勤めた。詩集に『雪原』、エッセー集に『木漏れ日の風景』など。

 

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コメント
 
1. 2017年4月02日 04:12:34 : kobMJpPvPc : OCM2SndsGAg[7]
クマのプーさんブログ

2009年07月15日00:14

死顔の真実
http://blog.livedoor.jp/amaki_fan/archives/51691404.html(一部拝借)

(略)

●中野孝次の死顔について妻の秀さんが文芸春秋(2006年7月号)で次のよう
に語っている。「中野の死顔は、妻が言うのもなんですが、たいへんきれいな
見事な顔でした。主人は生前、死んだら後のことについて自ら記した『死に際し
ての処置』という遺書のような文を残していました
『死顔というのはろくな顔であるはずがないから、他人には絶対見せたくはない』
とありました。でもあれほど見事な顔だったら、お世話になった皆さんに見てい
ただきたかったと思いました」

著名な作家や知識人が、なぜ「死顔はろくなものでない」と思ったり、「死顔を見
せるな」と言ったりするのだろう。仮面をつけて突っ張って生きてきたのが暴かれ
るとでも思うからだろうか。私は納棺夫として多くの死顔を見てきたが、どんな死
に方をしても硬直前の死顔は<安らかで美しい>と思った。
「死の瞬間」の著者キューブラー・ロスも「死を待つ人の家」のマザー・テレサも
死者の顔に<神々しさ>さえ感じとっておられた。


『納棺夫日記』青木新門のHPより(http://homepage.biglobe.ne.jp/errorpage/404.html削除)

*死後のことを思い煩う必要はないのですが、特にその死顔が気になる方には、この真実を伝えたい。付け加えるならば、死後のことは縁ある人達に任せればよく、今生において努めることは、縁ある人を日々大切にし、己の思いを伝えること。


ーーーー


中野孝次の名言|死を認識し、生を楽しめ
http://systemincome.com/21598

生きている間に生を楽しまないでいて、いざ死に際して死を恐れるのは道理にも合わぬことではないか。人が皆このように本当に生きているいまを楽しまないのは、死を恐れないからである。いや、死を恐れないのではない。死の近いことを忘れているからに他ならない。


ーーーー


名言ナビ☆名言データベース
http://www.meigennavi.net/word/006/006181.htm

[ 名言 ]

人、死を憎まば、生を愛すべし。

存命の喜び、日々に楽しまざらんや。

愚かなる人、この楽しびを忘れて、いたづがはしく他の楽しびを求め、この財を忘

れて、危く他の財(たから)を貪るには、志満つ事なし。

生ける間、生を楽しまずして、死に臨みて死を恐れば、この理あるべからず。

[ 出典 ]

吉田兼好
[よしだ・けんこう、兼好法師]

(鎌倉〜南北朝時代の随筆家・歌人、1283〜1350)

『徒然草』第九十三段


[ 意味 ]

人は死を恐れて憎むよりも、生きることを愛するべきだ。
生きていることの喜びを日々楽しまないでよいものだろうか?
愚かな人は、この楽しみを忘れて、他の楽しみを求め、やたらに物欲に走るが、それで心が満たされることはありえない。
生きている間は生を楽しまずに、死ぬときになって死を恐れるようでは道理にあわない。


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