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【みちのく鬼行】(9)鶴岡市・羽黒山の松例祭 山岳信仰の地で「悪鬼退治」
1月12日8時2分配信 産経新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090112-00000035-san-l06
■松明の綱切り刻み魔よけに/地域活性促す伝統の祭り
山形県庄内地方の月山、羽黒山、湯殿山は「出羽三山」と呼ばれ、山岳信仰の地として知られる。鶴岡市羽黒町に車で向かい、出羽三山への入り口となる大鳥居をくぐる。しばらくすると山に参拝する人が泊まる宿坊が並び、門前町の趣を濃くしていく。目指す羽黒山山頂には三神を祭る出羽三山神社三神合祭殿が建つ。
出羽三山の開山は、崇峻天皇の皇子で、聖徳太子の従兄弟(いとこ)にあたる蜂子皇子。羽黒修験の開祖とされる。約1400年前、蘇我氏との政争から逃れるため、船で北上し出羽国に入った。3本足の烏(からす)に導かれ、羽黒山に入り羽黒権現を感得、山頂に祠(ほこら)を創建したことに始まり、この後、月山、湯殿山を開山したと伝えられる。
出羽三山歴史博物館所蔵の蜂子皇子の画像は“鬼”のように怖い顔をしている。蜂子皇子は人々の苦悩を取り除いたことから能除大師とも呼ばれたという。「人々の苦しみや災難を受けたために、このような顔になったのでしょうか」と出羽三山神社企画弘報室の吉住登志喜室長は話す。
大晦日(おおみそか)から元旦にかけて羽黒山で行われる出羽三山の代表的な祭り「松例祭(しょうれいさい)」では「悪魔(悪鬼)」を退治する。同神社によると、昔、里では多くの人が悪魔に刺されて働けなくなり田畑は荒廃、飢餓に見舞われた。窮状を救おうと蜂子皇子が羽黒山麓の聖山で百日間祈願したところ、「悪魔を焼き捨てよ」という神のお告げがあり、そのようにすると、災難がたちどころに除かれたことに由来するという。
祭りでは、地元の山伏の中から「位上(いじょう)」「先途(せんど)」と称する2人の松聖(まつひじり)が選ばれ、参籠(さんろう)して百日間祈願、大晦日に満願となる。12月30日には地元の若者が「位上方」「先途方」に分かれ、悪魔に擬した「ツツガムシ」をかたどった2本の大松明(たいまつ)を作る。31日午後、大松明に用いた綱を切り刻み、境内で松聖がまき、人々が奪い合う。「切り刻んだ綱は神格化し魔よけになるのです」と吉住室長は説明する。
夜、綱まきで切り刻まれた大松明を復元するが、昼退治した悪鬼が闇の中で復活するのだという。本殿では山伏が位上方、先途方に分かれ修行の成果を競い合う「験競(げんくら)べ」をし、「烏とび神事」や「兎の神事」がある。境内では法螺(ほら)貝の音を合図に位上方と先途方に分かれ、それぞれ4本の綱を大松明に結びつけて引き、最後は焼き捨てる。燃え具合などでどちらが勝ったか判定され、位上方が勝つと「豊作」、先途方が勝つと「豊漁」と翌年を占う。年が明けると、新しく清浄な火を迎える「火の打替神事」が行われ、早く火を付ける競争をする。
祭りは“競う”形を取るが、「競うことで自分を高めることができます。村も2つに分かれて競うことで活性化します。現代では競争は悪いイメージですが、世の中のすべてが向上していくためには大事です」と吉住室長は意義を強調する。
山の清澄(せいちょう)な空気を吸い、大鳥居をくぐって帰途につく。心と体に元気がふつふつと沸いてきた。
出羽三山の開祖、蜂子皇子と「鬼」の話が伝わる。「神道体系」に収められた縁起などによると、羽黒山の近くの鬼ノ沢というところで魔石という鬼が出現、蜂子皇子がこれを封じ込めたという。鬼ノ沢は羽黒山の北東に位置する現在の木ノ沢とされる。昔ここの村人は鬼徒と呼ばれたという。
また蜂子皇子は魔石という鬼を封じた後、秋田の男鹿に住む庭石という鬼を封じ込めたとされる。蜂子皇子の墓は羽黒山山頂にある。
(石崎慶一)=おわり