そうしたある日、ダイヤモンド社の編集者、坪井賢一氏が訪ねてきた。
「データベースというものが開発されたので、使ってみませんか」と言う。
「データベース……資料基地……それは何ですか」
聞けば、ロイターやAPなどの外電のニュース、あるいは現在のアメリカCIA長官の履歴などを知りたいときの外国の人名録、さらに、IBM社の重役名簿や企業情報などを即時に入手し、最新の資料を読むことができる通信手段であるという。時期が、ソ連でチェルノブイリ原発事故が発生した直後であり、事故に関する資料を渉猟していた私が、そのシステムのテスト第一号に選ばれたものらしい。
あらゆる外電記事を読んで事故の真相を知りたいと思っていた私は、坪井氏が操作して出してくれる欧米の記事を読み、愕然とした。日本の新聞が伝えていた外電ニュースは、大量の記事の中から、新聞社が勝手に取捨選択したわずかなもので、そこには恣意もあり、事態の深刻さを伝えていないことが、たちまちにして判明した。
この内容を雑誌。“BOX”に連載したところ、高く評価してくれたのが、立花隆氏であった。さらにそれを『ジキル博士のハイドを探せ』という本にまとめたところ、立花氏が講談社ノンフィクション賞に推挙してくれた。が、
「他人の賞讃は、己に対する正直なる評価を歪める。己の人生の前進は、たゆまず繰り返される自己批判によってのみもたらされる」
このような哲学を有する私が、ご辞退申し上げたことを思い出す。
おそらく立花氏がインターネットに夢中になったきっかけは、この時、「日本の新聞が報じない海外のニュースや資料を、自分で呼び出して読むことができる道具」としてのデータベースに魅せられたからであろう。
ところが皮肉にも、当の私は、氏とあべこべの方角を向いていた。その時期だけ、出版社の費用で高価なデータベースを利用し、しかも得体の知れない両面操作には、指一本触れなかった。ダイヤモンド社から、私にデータベースー式を寄贈したいという申し出を受け、それは、聞くところ当時百万円もするようなセットだったが、それもお断りした。機械にふりまわされるだろうと思ったからだ。
それで、損をするどころか、操作を専門家にまかせ、自分の作業の無駄を省き、きわめて効率的に頭を使えたわけである。
『ジキル博士のハイドを探せ』を出版したため、目本のデータベースの草分けが小生だと誤解した人もいたようだが、草分けは坪井氏である。私がこの種のコンピューター情報を駆使して本を書くと誤解されることがあるのは、まったく心外で、腹立たしい。 自分の本で最も長い
『赤い楯』は、出版社には大変な苦労をかけたが、四百字づめ原稿用紙が当初四百枚で、のち三千枚にふくれあがり、バルザックもおよばないほど書きこみだらけの原稿をすべて手書きで仕上げた。全世界の人脈を追跡した内容でありながら、すべて書籍資料によって調査をおこない、
エレクトロニクスに頼る調査資料は一点もなかった。ワープロさえ待っていなかったのだ。 実は、チェルノブイリ事故についてデータベースで呼び出した外電記事もまた、まったく不完全なものであった。当持私は、
データベースを補助手段のひとつにしただけであり、書物に記した大半の知識は、ヨーロッパから郵送される新聞と、友人の手紙から入手したものだ。
外国の人名録や企業情報をデータベースで引き出してもらった場合も、その資料を取り出す前には、データベースの何十倍もの基礎知識を、図書館などの古書で調べてから、最後の詰めに、書物にない最新資料を利用したにすぎなかった。何も基礎知識のない人間がデータを受け取っても、おそろしい紙屑の山ができるだけだからである。