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http://mainichi.jp/enta/travel/news/20080728dde012070015000c.html
◇風にささやく地霊
広島に帰った。
ヒロシマではない。この映画を見て、生まれ故郷の土に立ったような気分にとらわれるのはなぜか。同郷の人ならわかるだろう。
登場者たちの名に広島の地名が使われているからだ。主人公の平野皆実(みなみ)、母のフジミ、妹の翠(みどり)、弟の旭(あさひ)、職場で恋心を分かち合う打越(うちこし)、同僚の古田……。ひそかに言霊のようにすべり込み、語りかけてくる。あるいは地霊のささやきか。確かにそこに広島の風、街と川のにおいを感じる。
平野は原爆ドームから1・5キロほどの近さ。私の両親と姉たちが被爆し、九死に一生を得た町である。古田は戦後、私が育った町だ。その言葉が単なる記号であろうはずがない。
そして、あの昭和33(1958)年。東京が「三丁目の夕日」に映えるタワーを見上げ、誇ったころ、広島は弱いカープを愛した。映画では、旭と打越がこもごも石を薄暮の川に投げながら、対巨人戦の実況中継を自演するシーンがある。
「バッターは新人長嶋。長谷川、投げました! ストライク!」
「長谷川、3球目はシュート! ストライク! 長嶋空振り三振!」
原爆症を発症した皆実は立ち木の根元で2人を見守りながら、折れるように意識を失う。胸中で最期の言葉をこう語る。その表情は救われたように穏やかだ。
「ひどいなぁ……てっきり私は死なずにすんだ人かと思ったのに……。なぁ、うれしい? 13年もたったけど、原爆を落とした人は私を見て『やったあ、また1人殺せた』って、ちゃんと思うてくれとる?……ああ風……夕凪(ゆうなぎ)が終わったんかねぇ……」
皆実は26歳。原爆投下の朝、一緒に登校した妹を救えなかったことに苦しみ続けた。打越の愛を受け入れようとしても、妹の声の幻聴が立ちはだかる。何かに心が動いても「お前の住む世界はそっちではない」と言われる気がする。
柱1本、壁1枚のようなわずかな差で生き残った被爆者の多くが、そうした負い目を抱き続ける。解放の時。それは死しかないのか。この作品は重く、静かに問いかけてくる。
広島市の基町の川沿い一帯は戦後、原爆や戦争で家を失った人々の簡易な公設住宅のほか、無届け家屋が継ぎ足すように建て増しされ、雑然と密集化した。映画の舞台である。再開発事業が進んだ1970年代まで残り、実際のたたずまいは深作欣二監督の東映映画「仁義なき戦い・広島死闘編」に撮られている。千葉真一が襲撃されるシーンだ。今は公園化され、かつての面影はまったくない。
西日がじりじりと首を焼く。わかってはいるが、風がやんだ広島の街の何という蒸し暑さか。帰郷者を少しは優しく迎えてくれよ、と心中ぼやく。
薄暮。原爆ドーム横の木立を抜け、プレーボール間もない市民球場に入った。レフトの向こう、己斐(こい)の山塊に日が沈んだ。夕凪が終わり、スタンドを風がわたる。中盤。カープは勝っている。ビールがうまい。
「やったあ! ゲッツーじゃ」。ピンチを併殺で切り抜けた瞬間、若いファンが叫んだ。「やったあ!」
スタンドに皆実。マウンドに往年のエース長谷川良平。そんな幻を思い描いた。いや、皆実は本当に私の隣に座っていて、「やったあ」と小さく叫んでいたかもしれない。【玉木研二】
◇努力で成った緑の街
広島市は、役所、繁華街、歓楽街、公園、美術館、バスセンターなどが路面電車、自転車、あるいは歩いても間に合うぐらいの範囲に収まっている。それは6本(かつては7本)の川に断ち切られた三角州に発展した街で、土地が限られ、機能を集約しなければならなかったためでもある。原爆で草木も生えまいといわれた戦後、市は緑化に力を注ぎ、街路樹や公園の緑に恵まれた街になった。平和記念公園や平和記念資料館などを巡るかたわら、復興・発展に重ねた市民の努力も感じ取ってほしい。来シーズンからカープの本拠地は広島駅近くに建設中の新スタジアムに移る。
◇今の家族を軸に原爆描いた−−07年公開
1958年の広島のスラム街を舞台にした「夕凪の街」、07年夏の東京から始まる「桜の国」の二つの時代から、被爆者とその家族らの姿を描いた現在の「原爆映画」。多くのメジャー会社から配給を断られたが、スタッフらの執念で公開にこぎつけた。毎日映画コンクール女優主演賞の麻生久美子、田中麗奈の両女優の熱演も高い評価を受け、劇場では多くの観客が涙を流した。
こうの史代(ふみよ)の同名ベストセラー漫画が原作。「夕凪の街」で母と2人暮らしの皆実(麻生)は、生き残ったことに負い目を感じている。同僚からの愛の告白に応えようとするが、原爆症に襲われる。「桜の国」では皆実の弟で退職して家にいる旭(堺正章)が家族に黙って広島に向かう。心配した娘の七波(田中)は後を追い、自分の家族の歴史と向き合っていく。
佐々部清監督はそれぞれの時代の親子や男女の愛情、生活を丹念に描き、それを破壊するものへの憤りを浮かび上がらせた。被爆2世、3世の苦悩や今も残る偏見や差別をも映し出した。内田奈織のハープの音色も、観客の情感を大いに揺さぶった。キネマ旬報9位。1時間58分。2007年作品。東北新社からDVD(税込み4935円)発売中。【鈴木隆】
毎日新聞 2008年7月28日 東京夕刊