★阿修羅♪ > 文化1 > 162.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
http://amesei.exblog.jp/7945589/
2008年 05月 21日
広瀬隆講演会、園田義明新刊、スパイクマン新刊・・・
アルルの男・ヒロシです。昨日は、午後6時半から東京の八重洲ブックセンターで開催された、広瀬隆さんの『持丸長者』三部作の出版記念講演会に出かけてきました。そのついでに、新書関係が発売される時期なので、新刊をざざっと観て参りました。
20日に、お世話になっている園田義明さんの新刊『隠された皇室人脈〜憲法九条はクリスチャンがつくったのか』(講談社+アルファ新書)が出ると聞いていたので、早速新書コーナーに行ったのですが、もう一冊しか残っていませんでした。スゴイ人気です。やはり、皇室問題は皆さん、ビリビリと来るものがあるんですね。
皇室関係では、例のスターリング・シーグレイブの『黄金戦士』を解説しながら、自分の経験も交えて語っている、高橋五郎氏の『天皇の金塊』(学研)も出ていました。このシーグレイブは私も少し前に「格闘」したことがあり、格闘の記録はこのブログにも書きました。竹田宮と秩父宮の両殿下が、先の大戦中に、フィリピンの洞窟に日本軍がアジアで略奪してきた金塊をインゴットにして埋蔵したという話。
シーグレイブは、フィリピン人の老人の話を出発点に、他のトレジャーハンターの手記や取材をまとめて、「皇室の黄金」の存在を裏付けたとしているのですが、前にブログにも書いたように、実際の皇室関係者の戦時中の足取りとデータを付き合わせないうちは真偽の判定は下せない。竹田宮だったら、ご子孫が存命の筈です。この本を読んでどういう感想を持つのか気になります。「竹田宮日記」のような手記は確か刊行されていないはずで、秩父宮も含めて、二人が金塊埋蔵に関与していたのか、ということをシーグレイブの本だけで判断するのは危険でしょう。(シーグレイブは資料をCDロムにして販売している筈で、これを取り寄せてみることにしました。他の何冊かのトレジャーハンターの手記も注文しました。それらが全部入手できたら、まとめてこの「山下黄金」の問題は取り上げたいと思います)
山下黄金が、戦後の日本の裏金になったと高橋五郎さんは書くのですが、慎重に判断しないといけない。慎重、慎重というのは、ワンタ事件のようなどこからどこまでが真実かどうか分からない問題もあるからだ。一方で、だからといって、シーグレイブの一部の記述が歴史公証に反するかと言って、部分真実をシーグレイブが書いているかもしれないので、全部を否定するのも危険です。事実、シーグレイブは、過去の著作『マルコス』では『黄金戦士』で初登場した竹田宮(キムス・ムラクシ?)の皇族人脈には触れず、山下黄金の存在のみを書いていました。マルコスと黄金の関係は広瀬隆さんも『赤い楯』で軽く触れていました。
園田さんの本は、過去のコラムの焼き直し以上の内容で、是非読んでみて欲しいと思います。
私が、まず開いたページに出ていたのは次の一言。
「この馬鹿正直なニクソンこそが、米国史上二人目のクエーカー教徒だった。歴代大統領の中でクエーカーだったフーヴァーも、ガチガチの共和党員である。
声を大にして言っておくが、日本の保守派や右派が軽々しく連想しそうな、クエーカー=平和主義=民主党=左翼=ニュー・ディーラーといった単純な図式など、まったくあてはまらない。こういった日本人特有の無邪気さは見直した方がいい。」(『隠された皇室人脈』177p)
この一言がこの本の性格を全て表していると思う。脳天直撃である。そうだったんだ〜。私もクエーカー、クエーカーと園田さんがいうので、クビをかしげていた時期があった。これで疑問が解けた。
要するに、クエーカーというのは、一種のキリスト教のセクトのようなものであり、その中の仲間意識と人脈で戦略が出来上がっている。それらの宗教セクト同士が、カトリックであれ、聖公会であれ、プロテスタントであれ、組めるときは組むという関係にあるのではないか。
ただ、カトリックとプロテスタントはネオコンの問題で浮かび上がったように、組める問題と組めない問題があり、ユダヤ教とキリスト教も一神教というセクトの中で、差異化を計っているのであって、リベラル的な正義か悪かという問題ではないのだ、と。
この指摘があると、すっきりする。例えば、聖公会というのはアングリカン・チャーチで、日本では立教大学がその出先になっているというが、これはカトリックと新教の間のブリッジになっているセクトだという。マッカーサーは聖公会であり、かつフリーメーソンだったから、和集合が多いということであり、その点で日本統治の責任者に為ったという見方もできるだろう。
園田さんは、あとがきで「憲法九条擁護論」を展開している。私が、堤堯から刺激を受けて書いた、「憲法九条を護持して戦略的安全保障を」という記事と、考え方が同じである。吉田・大平ドクトリンは、ひょっとして「最強」なのではないかと改めて思った次第。
そして、国際関係論というか、地政学の学者であるアメリカ人のニコラス・スパイクマンが書いた、『平和の地政学』(芙蓉書房出版/奥山真司訳)を購入。この本では、地図がたくさん入っていて、「世界の地図化」などという項目もある。これを高校の現代社会なり地理の授業で使うと面白いと思う。言うまでもなく、地図をどのように描くかということ自体にその人の先入主が入り込むからである。本自体は意外に薄く、地図が大量に掲載されているのもよい。
広瀬隆さんの講演会は、淡々とOHPで新聞記事や地図を写しだして、それに広瀬さんが解説を加えるという形で進んでいった。天木直人さんが係わった「自衛隊海外派遣違憲訴訟」の記事のところで、かなり感情を吐露されていた。広瀬さんは、ご自分でも認めておられたが、典型的な左翼リベラルの人で、原発反対の人である。経済成長など不要で生きていければそれでいいではないですか、とまで言うのだから腰が据わっている。構えとしては最強である。だから、外資も怖いが、戦前人脈に繋がる内資もろくでもない破壊者だという考えである。ある意味では浮世離れしている。
若造の私などは、まだそれでも「国家戦略はどうあるべきだ」などと論じたくなるのですが、あの人の場合はそういう思想はないのだ、ということが分かりました。
その点では、農本主義の権藤成卿(ごんどうせいきょう)のいう、東洋的自然社会=社稷(しゃしょく)国家論を標榜する、陰謀史観の太田竜氏とは次元の違う面でではありますが、重なり合っているような気もします。(『何から始めるべきか』太田竜著/風濤社・昭和56年参照)
広瀬隆氏は神社や神道についても語っていました。
伊勢神宮=渡来人系、出雲大社=日本原住民系という分類など、ハッとさせられる指摘が多かった。日本ナショナリズムというのも東アジアの「近親憎悪」だったりするんだろうなあ。日本の右翼には実際のところは「在日」の人が多いですしね。
「持丸長者」はやはり第一巻が一番面白いんじゃないかと思いますが、最終巻の第3巻も資料性が十分にある。任天堂の歴史について書いてあります。これは私見ですが、左翼運動が衰退して、学生がレジャーランド化する大学に通い始めたときに登場したのが、テレビゲームで、メディア・ミックスさせた若者洗脳が行われて、政治的な思考を持たないように為ったのだと思う。堀井憲一郎の『若者殺しの時代』で展開された「モデル」にあてはめてみるとそうなる。
ただ、ゲームに明け暮れた身としては、今の日本の国家戦略の一つがアニメとゲームの輸出と言われるとちょっと微妙な気分になる。
広瀬隆氏は、インターネットは誤報の発信地としてまったく参照しなかったというけれども、あれだけの資料集めはやはり編集者の強力があったのだろう。彼は、以前、国際財閥の研究をしていた時期があったが、この時はダイヤモンド社の誇る巨大データベースを駆使して情報を集めていたらしい。そのようにどこかの本で書いてあった。私の情報収集は「広瀬方式」ではないが、資力の範囲で修正して広瀬氏のやり方も参考にしている。つまり、信頼できるデータベースと図書館の活用である。インターネットは誤報の発信地であるという彼の考えは正しいと思う。情報のクリーニングをしないと本の資料としては使用できないと言う意味で。
広瀬さんは明治以降の日本がおかしくなったのは、平田神学の影響と言われていた。確か、最近読んだ松本清張の『小説日本帝国大学』(新潮社)にも似たようなことが書かれていた。松本清張の謀略史観は私は結構好きである。ライシャワーにあれこれと歴史小説の書き方について指示された、新聞記者上がりの司馬遼太郎はあの文体がどうしても好きになれなくて、昔も今も殆ど読まないが、清張は実はずっと読んできた。
多分、清張は共産党員じゃないかしらと思うが。
帰りがけに中公の『日本の名著 平田篤胤』を購入して帰宅。
写真は広瀬隆氏