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http://ameblo.jp/warm-heart/entry-10085909074.html から転載。 2008-04-05 22:04:50 せっかく岡山方面にまで出かけるのだから、映画だけではちと物足りない。午前中は倉敷の美観地区を回り、午後は岡山城周辺で桜見物としゃれ込んだ。ちょっとした観光旅行のあとは、いよいよメインの映画鑑賞だ。 映画は岡山城近くのシネマ・クレール石関という小さな映画館で上映されていた。4月4日が最終日で15時上映開始にあわせて入館した。もちろんシニア料金で。 -------------------------------- アンナは、なに一つ不自由のない、まずは優雅な暮らしをおくっている9歳のパリの女の子。母方の祖父母のうちはお城のように立派。映画の後半部分で父親の故郷を訪ねるシーンがあるが、おとうさんは弁護士でスペインの貴族出身、どうやらスペイン内戦で人民戦線側に立ったためにフランスに亡命したらしい。おかあさんは雑誌記者。典型的な「インテリ上流」一家である。弟が一人いる。 ところがある日、アンナの両親はそろって共産主義者の仲間になった。同志たちを援助するために子どもの願いなどはおかまいなしになる。きゅうくつなアパートに引っ越すやら、大好きな宗教学校からの転校話がもちあがるやら、かわいがってくれたキューバ人のお手伝いさんもいなくなる。 キューバ人のお手伝いさんは「自分がキューバを出なければならなくなったのはフィデル(キューバのフィデル・カストロのこと)のせいだ。悪いことは『ぜんぶ、フィデルのせい』だ、と言っていた。 家に両親の同志たちやおかあさんに悩みを告白する女性が出入りし、よそのうちみたいになったのは両親が「キョウサンシュギシャ」になったせいだ。ぜんぶ、フィデルのせいなんだ、とアンナは思う。 ここから両親とアンナの葛藤を映画はおもしろ、おかしく描いていくが、そのうちふくれっ面で反抗していたアンナのくらい目が、だんだん輝きを取り戻していく。ただ従順に生きるようお説教するだけの学校で、「自由」の大切さにめざめていく。自由というのはただ単にわがままや勝手気ままをすることではないと、本当の「自由」の尊さが分かっていくのだ。 おそらく、アンナのこの目覚めは、ジュリー・ガブラス監督の実体験が根底にあるのではないだろうか。彼女の父は独裁政権やアメリカを告発する多くの名作を撮った社会派監督だったというから。 映画の中でチリ人民連合政権(アジェンデ大統領)がアメリカの介入などで武力崩壊させられる場面が出てくるが、その時 gataro の目からは止めどもなく涙があふれ出た。ベンセレ・モスを歌いながら軍事クーデターに息絶えるまで抵抗しぬいたビクトル・ハラの最期を思い出したからだ。 アンナの台詞で印象的なものに「ミッキーはファシスト」というのがある。チリの人民連合政権が米CIAの支援する軍事クーデターで倒されたとき、ディズニーのコミックスが執拗にクーデターをそそのかすストーリーを展開した事実があり、ディズニーの反動的な政治性を物語っている。 映画のラストシーンで、ミッション系のお嬢さん学校から一般の小学校に転校したアンナは、新しい友だちの踊りの輪に楽しく入っていく。
gataro-cloneの投稿
映画「ぜんぶ、フィデルのせい」を観るために「青春切符」で岡山へ行く。
テーマ:閑話休題
「青春切符」があと1日分だけ残っている。よし、「ぜんぶ、フィデルのせい」を観るために岡山へ行こう。大阪、神戸、京都ですでに上映されていたがいろんな都合で見損なった。かねてからこの女の子(アンナ役)のきりりとした「仏頂面」をスクリーンでぜひ見てみたいと思っていたが、4月4日、いよいよ実現することになった。