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人物名は、匿名化しました。
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より
不確定情報なので、この板を選択しました。
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[1131]日比谷公園の「年越し派遣村」を見学した 投稿者:****(会員番号****)投稿日:2009/01/01(Thu) 22:44:34
あけましておめでとうございます。
貧乏会員の****(会員番号****)です。
新聞やwebで日比谷公園の「年越し派遣村」のニュースを知り、
実際に現地へ足を運んでみました。
「年越し派遣村」とは、役所が閉じている年末年始の一週間程度、
20前後の労組やNPOなどが共同して、宿無し者の生活支援・
就職支援などを行うというものだ。
私が観察に行った動機は二つ、貧困が私にとって身近で重要な問題であるため、
もうひとつは、先月(2008年12月)に、日比谷公園内の松本楼で
飯を食ったばかりだからだ。その場所で、副島隆彦の租税裁判の
公聴会後に行われた懇談会…という名の忘年会が行われた。
****
一月一日の午後三時ごろ、日比谷公園内へ行くと、
野外音楽堂の正面あたりにテントが張られていた。
人間の数は、ボランティアと利用者、合計250〜300人ほど。
ひとことで言うと、「難民キャンプ」だ。
宿泊用の小テント、医療用の大テント、炊き出し、簡易散髪所、
銭湯への案内、ボランティアの受付、ハローワーク出張窓口、など。
大テントに「災害用」の文字があるのを私は見た。
一千円、カンパしたら、リンゴが3つ入った袋を渡された。
もらった3個のリンゴのうち、1個は現地でそもまま食べた。
のぼりを見ると、全農連があった。野菜や果物はそこからなのだろう。
その他、連合をはじめ、労組群。労働者支援団体として最近有名になった、
NPO「もやい」もあった。「もやい」代表の湯浅誠の『反貧困』(岩波新書)は好著だ。
機会があれば「もやい」を訪問しようと私は考えています。
集合していた宿無したちを描写します。
40〜50歳代の男性ばかりだった。
時間帯のせいか、20〜30歳代は見かけなかった。
「ホームレス初心者」という見かけであり、
崩れたかんじの「浮浪者」は少なかった。
喫煙者は目立ったが、酒を飲んでいるものはいなかった。
私の住所の比較的近所に、取手競輪場(茨城県南西部)がある。
そこには飲んだくれがたくさん集まってくる。
JR常磐線(上野〜水戸〜いわき〜仙台)の
列車内や特定駅のホームでは、酒盛りをする者が絶えない。
佐藤優の言葉を思い出される。
ロシアではウォッカがあれば社会問題は(頭の中から)消えさる、と。
また、ロシアではツァーリに直訴すれば、問題は半ば解決したという気分になるらしい。
日本では、インターネットのブログや掲示板に書き込めば、同様な気持ちになれる。
さて、会場には、最底辺層である、精神障害者の浮浪者はいなかった。
もともと、日比谷公園にはその層は少ないのだろう。官庁街だから。
しかし、日比谷公会堂の前には、叫ぶ浮浪者が一人いた。
私が見た時は、2人の警官が彼をたしなめていた。
「なんでこんなことされるのかわかんねーんだよォ!」と叫んでいた。
精神分裂症(統合失調症)だろう。
帰宅するときにあ、私は売店で新聞を複数購入した。
朝日新聞・読売新聞・産経新聞・日経新聞・毎日新聞・東京新聞、以上6誌。
この件に最も詳しかったのは、東京新聞の2009年1月1日号だった。
そいうのは、日比谷だけでなく、新宿の支援活動についても言及していたからだ。
また、写真がよかった。webには載っていないようなので、
ぜひ実物を見てもらいたい。
「大晦日の夜の日比谷公園。炊き出しの飯を食う宿無したち。
その頭上には、厚生労働省のビルが聳えている――。」
他誌の写真は、カメラを水平に構え、飯を食う宿無したちを近くから、
または遠くから捉えているだけだったのだが、カメラを上に向けて
官庁街をフレームに収めていたのは東京新聞だけだった。
もちろん、元日の6誌だけでの話であるけれども…。
以上で、日比谷公園の「年越し派遣村」の観察レポートを終わります。
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