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(^v^)新米は、ほんとうに美味しいですね。
ついつい、おかわりをしてしまいます。
日本人が大切に守り、育てた味。
瑞穂の国
これからも大事にしていかなければならない味です。
http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/choes/bibimbab/siru/siru04.html
お父様はいらっしゃいません
日本語の尊敬語は,目上であっても,それが「身内」と目される人であれば尊敬語を用いない。だから,自分の会社に電話がかかってきて社長に代わってくれと言われたとき,「社長はいま席を外しております」と言うし,家に人が訪ねてきて父はいるかと聞かれたら,「父はいません」と答える。
ところが,朝鮮語では「身内」であろうがなかろうが,目上であれば無条件に尊敬を使うので,上のような状況では「社長さんはいま席を外していらっしゃいます」,「お父様はいらっしゃいません」のように言わなければならない。もしこのようなとき,日本語流に「外しております」とか「いません」と言おうものなら,その人は「礼儀知らず」のレッテルを貼られてしまうのである。
言語学では,日本語の尊敬語は相手との相対的な関係によって使い分けるので「相対敬語」と呼ばれ,朝鮮語の尊敬語は自分を基準にして上か下かという絶対的な関係によって使い分けるので「絶対敬語」と呼ばれる。同じ敬語1つでも使い方を間違えれば,かの国では「礼儀知らず」になってしまうので要注意だ。
http://www.dbpia.co.kr/view/ar_view.asp?arid=811668
韓国語ではごく自然な敬語の使い方である重層敬語が現代の日本語の敬語の使い方としては一般的に誤用と言われるほど制限的である。しかし時代を遡れば日本語にも重層敬語は使われていた。
日本語の敬語は上代には敬意を表すべき対象は神や天皇であり、動作主と動作の受け手の関係はあまり問題にならず重層敬語の例は現れない。中古は作者か動作主と動作の受け手の上下関係を考慮すると同時に自分の敬意も含めて物語を作っている特徴を見せる面もあり重層敬語は頻繁に行われていた。中世の資料平家物語の敬語の使い方は中古の作品に使われてい中世末の資料である天草本平家物語には「申し上げらる」のように謙譲+尊敬の重層敬語が使われている。
中世末から近世にかけての日本資料である狂言では話者の太郎冠者は上位者である大名のことを尊敬語で待遇し絶対敬語の面を見せている。しかし、聞手を動作主とし、話題の人物を動作の受け手とした場合、「仰せ上げられー」のように尊敬+謙譲+尊敬という重層敬語の形をとっている例もあるが、尊敬語「おおせられい」のように聞手のみを崇める相対敬語の面が強くなっている。同じ時期の資料と見られる『捷解新語』の原刊本には話者が自分側の上位者のことを話題にする場合、尊敬語を使って崇めており絶対敬語の面を見せている。一方聞手を動作主とし話題の人物を受け手とした場合は動作主と話題の人物の両方を崇める重層敬語が使われているが、相対敬語の面も見られる。
なお、会話体の外国資料であるキリシタン資料(天草版平家物語)と『捷解新語』には日本人による資料よりも重層敬語がはっきり現れている点は興味深い。これは話題の人物に対する著者や語り手の敬意が介入して当時の一つの現象である相対敬語の傾向が軽視されたのか、あるいは実際の会話ではよく使われていたが文章体的な日本資料には反映されてなかった重層敬語が口語体の資料には反映されたのか判断し難い。
日本語の重層敬語は動作主と動作の受け手との上下関係により現れる絶対敬語としての一面を見せるものであるが、時代の流れとともに衰退していくのは話題の人物よりも聞手への配慮が優先する相対敬語としての傾向が強くなっていくにつれて起る現象だと言えよう。
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