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(回答先: 映画 「ディアラ」 27 【youtube】 投稿者 愚民党 日時 2008 年 6 月 05 日 02:02:40)
稗田阿礼は男か女か
『古事記』は、稗田阿礼(ひえだのあれ)が読み伝えていたモノを、太安万侶(おおのやすまろ)が書き記したとされていますが、その阿礼には、性別をめぐって男性説と女性説があります。
『古事記』の序文には、「時に舎人有り、姓は稗田、名は阿禮、」とあって、阿礼は、天皇に近侍して護衛にあたる舎人(とねり)だったとありますので、この記事によれば男性なのですが、阿礼は女性だと言いだした人がいます。
それが平田篤胤です。篤胤は、その著『古史徴開題記』で、『弘仁私記』という平安時代に行われた『日本書紀』の講義の記録の序文に阿礼はアメノウズメの末裔であるという記事があることに注目します。スサノオの乱暴に怒って岩戸ごもりしたアマテラスを天の岩戸から引き出すため、アマテラスの関心をひこうと神々が宴会を催しますが、その際に宴会の中心にあって乳房と女陰を露わにしてストリップ・ダンスをした女神がアメノウズメです。
古代の宮廷には猿女(さるめ)という、天皇の霊的活力の回復と強化を目的とする鎮魂祭で神楽の奉仕をする女性宗教者がいました。この猿女の祖神もアメノウズメであり、稗田氏の女性がその任についていた記録があります(『西宮記裏書』)。
そこで、篤胤は、阿礼─アメノウズメ─猿女という方程式を着想し、阿礼女性説を唱えたのです。
この説は、文献解読に重きを置く実証史学の立場からは相手にされなかったのですが、民俗学者の柳田国男(『妹の力』所収「稗田阿礼」)によって受け継がれ、さらに補強されました。
柳田の影響力は大きく、民俗学におさまらず宗教学、国文学においても阿礼女性説の支持者がいて、現在、この説の有力な論者の一人が西郷信綱氏(『古事記研究』『古事記注釈』)です。
小説やマンガなどで、阿礼が女性として描かれることが多いのですが、それはこうした平田─柳田という発想の流れの影響をうけているのです。
http://blogs.dion.ne.jp/yohaku/archives/2150725.html
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