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(回答先: これが国常立尊が出口王仁三郎に、ミロクの世が来るまでの、世界の型になる日本の国の模範となる政治です。 投稿者 ヤハウエハのタタリ、祟りじゃ〜!! 日時 2008 年 5 月 03 日 05:55:33)
これが国常立尊が出口王仁三郎に、ミロクの世が来るまでの、世界の型になる日本の国の模範となる安全保障です。
国常立尊の神のミロクの世の前に日本に型をしたかった日本の外交政策と現日本の指導者層、自由民主党と官僚、財界の外交政策の違い。獣の同然の日本の指導層にはとても理解できなかったこと。中国人とロシア人がやって来て苦境に陥ったときの反省点。
日本人一般人も日本が第二次世界大戦以前に東南アジアで日本が何をやったかを知ろうとしない人たちをよく知っておいて欲しいと思います。国常立尊の正義公正公平の考え方を身に着けないと、日本のカルマとして、彼らが日本人が彼らにしたようなことをやります。これをカルマの法則といいます。南京虐殺は全くなかったという人のところには国常立尊の家来の神々がやって、中国人がやられたようなことを体験させるようにされます。
これしか、戦争という意味が魂の中に刻み込まれません。ほっこんからの改心とは戦争を正当化する者に対しては戦争の残酷な面を体験することになります。仏教で言う、カルマのことです。仏教のカルマの法則はみんな神仏の世界の源、大奥山すなわち国常立尊のもとから出たのですから。その大本の神がなさるという事です。これも知っておいてください。
(正道の戦と外道の戦)
「戦には善にもあり、悪にもあり、右には右の、左には左の、上には上の、下には下の、中には中の、外には外の戦あるぞ。新しき御代の時代が到来してもいくさはなくならん。いくさも歩みぞ。弥栄ぞ。
じゃと申して今のような外道のいくさはいくさでないぞ。人殺し、生命殺すようないくさは外道。やればやるほどはげしくなるぞ。
正道のいくさは人を生かすいくさ。やればやるほど進むのじゃ。今の臣民いくさと言えば、人の殺し合いと早合点するが、それは外道のいくさ。天国へのいくさもあるぞ。幽界へのいくさもあるぞ。人民のいう今のいくさ、今の武器は人殺す外道の道、それではならんのう。外道なくして下されよ。外道はないのだから、外道抱き参らせて、正道に引き入れて下されよ。新しき霊界は神人共で作り出されるのざ。それは大いなら喜びであるからぞ。神のみ旨であるからぞ。新しき世はあけているぞ。夜明ければヤミはなくなるぞ。新しきカタはこの中からぞ。日本からぞ。日本よくならなければ世界はよくならん。外道の武器すてよ。外道の武器生かして、活かして。いのちを生かす弥栄の武器とせよ。かえられるでないか。」
(原典日月神示春の巻 第四十二帖)
「与えよ、与えよ、与えよ、与える政治と申してあろうが。戦争とか平和とか人民申しているなれど、道はその二つでないぞ。三が道とくどう申してあろう。水の外道の武器と火の外道の武器の他に、新しき武器気づかんか。神示よく読めば示してあるのであるぞ。ほかに道ないと決めてかかるから判らんのざ。生まれ赤子になれば判るぞ。知らしてやりたいなれど、知らして判るのでは自分のものとはならん。自分が体得し、自分から湧き出でねば自分のものでないぞ。つけ焼刃は危ない、危ない。気違いに刃物ぞ。平面的考え、平面生活から立体に入れと申してあろうがな。神人共にとけ合うことぞ。外道でない善と悪ととけ合うのぞ。善のみで善ならず。悪のみで悪のみならず。外道は夜明ければ消えてしまうぞ。夜明けの御用大切と申してあろうが。外道の悪頃素手ないぞ。抱き参らすから消えるのであるぞ。」
(原典日月神示春の巻 第四十三帖)
「右の頬うたれたら左の頬を出せよ、それが無抵抗で平和の元じゃと申しているが、その心根をよく洗って見つめよ、それは無抵抗でないぞ。打たれるようなものを心の中にもてっているから打たれるのぞ。マコトに居れば相手が手を振り上げても打つことはできん、よくききわけて下されよ。笑って来る赤子の無邪気は打たれんであろうが、これが無抵抗ぞ。世界一家天下泰平じゃ、左の頬を出すおろかさをやめて下されよ。」
(原典伊勢黙示録極め之巻 第十五帖)
「岩とかくれしひめのミホトは焼かへ給ひて。三分の一の人民になると、早うから知らせてありたことの実地が始まっているのであるぞ。何も彼も三分の一じゃ、大掃除して残った三分の一で、新しき御代の礎と致す仕組みじゃ、三分難しいことになっているのを、天の神にお願い申して、一人でも多く助けたさの日夜の苦心であるぞ、カンニンのカンニン、ガマンのガマンであるぞ、光の神の花咲くぞ。」
原典日月神示扶桑之巻 第七帖)
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