★阿修羅♪ > Ψ空耳の丘Ψ52 > 701.html
 ★阿修羅♪
Re: 音楽活動の途中で蒸発したりされたとか言いますが、・・・岡林信康さんの略歴を補足。
http://www.asyura2.com/08/bd52/msg/701.html
投稿者 ヤハウエハのタタリ、祟りじゃ〜!! 日時 2008 年 5 月 02 日 06:19:53: DO6P.hRyTTh86
 

(回答先: 昔思ったこと。岡林信康は今何を考えているのだろう。興味のある人だけどうぞ。 投稿者 ヤハウエハのタタリ、祟りじゃ〜!! 日時 2008 年 5 月 02 日 06:16:28)

岡林信康について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B2%A1%E6%9E%97%E4%BF%A1%E5%BA%B7

実家は教会(メンタム製造メーカー近江兄弟社の創業者であるウィリアム・メレル・ヴォーリズが創設した)。

@近江兄弟社中学、滋賀県立八日市高等学校を経て、1966年に同志社大学神学部入学。
A高石ともやの影響でギターを始める。自らのキリスト教への信仰に疑問を感じた事が、フォークに目覚めたき

っかけだったとも言われている。
B1968年、山谷に住む日雇い労働者を題材とした『山谷ブルース』でビクターよりレコードデビュー。
翌年までに、『友よ』『手紙』『チューリップのアップリケ』『くそくらえ節』『がいこつの歌』など、名作・

問題作を発表。その内容から、多くの曲が放送禁止となる。
C一世を風靡し、「フォークの神様」と言われたが、労音との軋轢や周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ(同時期、岡林はすでに直接的なプロテストソングに行き詰まりを感じており、ロックへの転向を模索していた)などにより、翌年五月に一時蒸発。
D1970年になると、ボブ・ディランに影響を受けたロックを、当時無名だったはっぴいえんどのバックで展開し始める。『それで自由になったのかい』『私たちの望むものは』『自由への長い旅』などの作品を発表するが、1971年の「自作自演コンサート 狂い咲き」及び、「第三回中津川フォークジャンボリー」を最後に、表舞台から再び姿を消す。

E1973年にソニーへ移籍し、活動を再開。ロック路線のアルバム『金色のライオン』『誰ぞこの子に愛の手を』などを発表。

  拍手はせず、拍手一覧を見る

 次へ  前へ

▲このページのTOPへ      HOME > Ψ空耳の丘Ψ52掲示板

フォローアップ:

このページに返信するときは、このボタンを押してください。投稿フォームが開きます。

 

  拍手はせず、拍手一覧を見る


★登録無しでコメント可能。今すぐ反映 通常 |動画・ツイッター等 |htmltag可(熟練者向)
タグCheck |タグに'だけを使っている場合のcheck |checkしない)(各説明

←ペンネーム新規登録ならチェック)
↓ペンネーム(2023/11/26から必須)

↓パスワード(ペンネームに必須)

(ペンネームとパスワードは初回使用で記録、次回以降にチェック。パスワードはメモすべし。)
↓画像認証
( 上画像文字を入力)
ルール確認&失敗対策
画像の URL (任意):
投稿コメント全ログ  コメント即時配信  スレ建て依頼  削除コメント確認方法
★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。