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(回答先: ストーカー 【アンドレイ・タルコフスキー映画祭】 投稿者 愚民党 日時 2008 年 3 月 30 日 16:32:46)
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/nstlg.html
[スタッフ]
脚本:アンドレイ・タルコフスキー、ト二一ノ・グエッラ/撮影監督:ジュゼッペ・ランチ/カメラマン:ジュゼッペ・デ・ビアージ/録音:レモ・ウゴリネッリ/美術監督:アンドレア・クリザンティ/装置:マウロ・バッシ/メークアップ:ジュリオ・マストラントニオ/ヘアー・ドレッサー:ヨーレ・チェッキーニ/衣裳:リーナ・ネルリ・タヴィアーニ/音楽:ベートーヴェン<交響曲第9番>、ヴェルディ<レクイエム>、他/音楽協カ:ジーノ・ペグーリ/音響効果:マッシモ&ルチア一ノ・アンゼロッティ/編集:エルミニア・マラーユ、アメデオ・サルファ/スクリプト:イルデ・ムーショ/助監督:ノルマン・モッツアート/ラリッサ・タルコフスキー/スチル:プルーノ・ブルーニ/製作主任:フランチェスコ・カザーティ/製作:レンツォ・ロッセリーニ、マノロ・ポロニー二
[キャスト]
アンドレイ・ゴルチャコフ:オレーグ・ヤンコフスキー、ドメニコ:エルランド・ヨセフソン、エウジュニア:ドミツィアナ・ジョルダーノ、ゴルチャコフの妻:パトリツィア・テレーノ、髪に夕オルを巻いた女:ラウラ・デ・マルキ、ドメニコの妻:デリア・ボッカルド、清掃婦:ミレナ・ヴコティッチ
1983年/RAI(イタリア)、オペラ・フィルム(フランス、イタリア)、ソヴィン・フィルム(ソ連)製作/長編劇映画/35mm/ヴィスタサイズ/カラー/126分
1983年 カンヌ国際映画祭・創造大賞
配給:ザジフィルムズ、協力:パイオニアLDC/日本公開:1987年
[解説]
ソ連の天才映画作家アンドレイ・タルコフスキーの長篇第6作『ノスタルジア』は、タルコフスキーがはじめてソ連国外でつくった映画である。83年カンヌ映画祭にイタリアから出品して、グランプリと同格の<創造大賞>を受賞、同時に、国際批評家連盟賞、エキュメニック賞を受賞し、英国のインターナショナル・フィルム・ガイド誌は、83年度のすべての国のベストワン作品に選んでいる。
水と、光と、霧と、闇と、火の、タルコフスキー独特の詩的宇宙が、『ノスタルジア』では、従来のカラー作品の深く渋い色彩美にイタリア撮影技術の艶と鮮かさを加えて映像美の極致に達したといえよう。
『ノスタルジア』(原題はロシア語をアルファベット表記してNOSTALGHIA)は、ロシア人がソ連国内を旅行した時には感じないが、ひとたび外国に旅行すると必ず強く襲いかかる感情で、死に至る病いに近いとさえ言える独特のものだとタルコフスキーは言う。『惑星ソラリス』や『鏡』『ストーカー』で登場したテーマを、イタリアに旅行したロシア人の愛の物語としてさらに発展させようというもので、タルコフスキーがトニーノ・グエッラと想をねりはじめたのは『ストーカー』カンヌ出品の直後だった。
製作準備は3年半。ソ連映画の合作公団ソヴィン・フィルムの協力、フランスの大手ゴーモンのイタリアでの製作会杜オペラ・フィルムを母体に、ロベルト・ロッセリー二の息子レンツォ・ロッセリーニとマノロ・ポロニーニが製作、イタリアの国営放送RAIが映画製作レベルで全額出資という、実質的には国際的合作のスケールをもつイタリア映画として撮影に入ったのが82年の9月だった。トスカーナ地方を中心にタルコフスキーが選びぬいた撮影場所は、新鮮な美しさで、くまなくイタリアを知っていたはずのスタッフを驚かせ、タルコフスキー本人も、故郷と設定されるシーン、とりわけラストの廃虚の撮影場所をトスカーナに発見して驚いたという。
脚本のトニーノ・グエッラ(フィルモグラフィー及ぴインタビュー参照)は詩人で小説家。アントニオーニやフェリーニ、ロ一ジ作品で知られるイタリア最高の脚本家。『ノスタルジア』では、クレジットは脚本だけだが、実際にはタルコフスキーの助言者として完成までたずさわった。主人公アンドレイが読む詩は監督の父である詩人アルセニー・タルコフスキーの作品。撮影のジュゼッペ・ランチはマルコ・ベロッキオ監督『虚無への跳躍』ほかで注目される。音楽はヴェルディの<レクイエム>とロシア民俗音楽OI VI KUMSCIKIをテーマに、べートーヴェンの<第9交響曲>が印象的に使われている。
アンドレイは『鏡』で父親を演じたモスクワドラマ劇場のオレーグ・ヤンコフスキー。ドメニコにはベルイマン映画で知られるエルランド・ヨセフソン。ヒロインのエウジェニアには、スポレート演劇祭での演技がタルコフスキーに認められこの作品がデビューのドミツィアナ・ジョルダーノ。ボッティチの面からぬけでてきたような美しさとカンヌ映画祭で人気を集めた。広場の清掃婦役で登場するのは、ブニュエル映画でおなじみのユーゴスラヴィア出身のミレナ・ヴコティッチ。なお、タルコフスキーは『ノスタルジア』完成後も故郷には戻ることはなかった。
[ストーリー]
イタリア中部トスカーナ地方。朝霧がけむる風景のなかに男と女が到着する。男はモスクワから来た詩人アンドレイ・ゴルチャコフ。女は通訳のエウジェニア。ふたりは、18世紀にイタリアを放浪し、故国に帰れば奴隷になると知りつつ帰国して自殺したロシアの音楽家パヴェル・サスノフスキーの足跡を追って旅をつづけてきたが、旅もすでに終りに近かった。
古都シエナ南東の村まではるばる来たのは、アンドレイがマドンナ・デル・パルトの聖母画を見たがっていたからだが、アンドレイは車に残り、エウジェニアひとり、教会を訪れる。ピエロ・デラ・フランチェスカが描いた出産の聖母像に敬虔に祈りを捧げる女たちと、跪こうとしても跪けないエウジェニア。
村の広場の温泉で知られる、バーニョ・ヴィニョーニの宿屋で、女主人が起きてくるのを待ちながら、アルセニイ・タルコフスキーの詩集をイタリア語訳で読んでいるというエウジェニアに、アンドレイは「詩は翻択できるものではない、すべての芸術も」という。どうすれば私達は理解しあえるのと問う彼女に、アンドレイは事もなげに答える。「国境をなくせばいい」と。
アンドレイの夢に故郷があらわれる。なだらかな丘の小さな家。木々と1本の電柱。妻とふたりの子供。白い馬とシェパード犬、そしてタ陽。
シエナの聖カテリーナさえ訪れたとされる広場の温泉に、今は、退役将軍ほか数人の湯治客が朝からよもやま話に花さかせながらつかっている。話のおちつく先はたいてい、ドメニコだ。世界の終末が訪れたと信じて家族ぐるみ7年間もあばら家にとじこもったために狂人と呼ばれ、聖カテリーナと言葉をかわしたと言って狂信者と噂されるドメニコが、その朝はめずらしく、シェパード犬をつれて広場へ散歩にきたのだった。アンドレイは何か強く心をうたれ、エウジェニアを通して、ドメニコと話そうとするが、エウジェニアは鏡の間にはさまったようないらだちを感じて、アンドレイをすてて去る。
ドメニコのあばら屋に入るアンドレイの目に思いもかけぬ風景がひろがる。たどたどしいイタリア語で話しかけるアンドレイに、ドメニコは、自分が果たせなかった願いを託す。ド」メニコ自身は、村人や湯冶客から狂人扱いされて広場に近づくだけで危険視されるのだが、あの広場を、蝋燭の火を消さずに往復することができたなら、世界はまだ救われうるというのだった。
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