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(回答先: 「ツァイトガイスト」展 【美術館・展覧会】 投稿者 愚民党 日時 2008 年 3 月 27 日 20:31:20)
「内部」の終焉
堀 浩哉(ほりこうさい・美術家)
(ギャラリイK推薦作家展「知性の触覚2002それぞれの他者」に寄稿)
他者とは、当然のことながら隣り合う他人のことではなく、「外部」の者のことだ。原理の異なる外部の者、端的にいえば言葉の通じない者。
言葉の通じない者同士が、どうコミニュケーションするのか。まずは共通言語がないのか、と互いに手探りでさぐり合う。かろうじて共通言語らしきものが見つかる。と、今度はその概念と意味するものの差異をさぐり合う。そうしてひとつずつ掘り起こしながら、次にはその差異で自分の自我の殻に亀裂を生じさせるようにして、差異を受容しようとする。亀裂は拡大し、その亀裂の間から自我自体にも差異の触手がのびて、傷つけていく。自我が傷つき、その果てに自我が分裂するかもしれない危機の中で、ようやく「内部」は溶解して流れ出し、「外部」と混ざり合う。
「内部」を決して揺らがせない原理主義は、他者とは通じあわず、他者はひたすら排除すべき者でしかなく、そこでは他者は決定的に拒絶される。原理主義のその完結した美しさに、他者は「外部」としてそれに酔うことはできても、他者がそこに踏みいることは絶対にできない。
あの9.11「同時多発テロ」で世界が目撃したのは、そのような凍り付くほどに美しい、恐怖そのものだった。原理主義とは、「内部」だけでかたくなに完結しようとする固い殻のような「超内部」なのだ。テロへの恐怖の核には、そんな決して解けることのない「超内部」がある。
それは芸術のアナロジーでもあるはずだ。「超内部」としての表現。そして自我を分裂させながらも「外部」と通じ合おうとする表現。その間には、あいまいにもたれあったままの「内部」の表現もあるだろう。それは文明の差異であると同時に、ある固有の文明の歴史的時差である場合もあり、さらには個体発生が系統発生を遡行するように、ひとりの作家の中の階層構造としてもありうるだろう。
あの9.11で、アメリカの時代は終わった。であるとして、アメリカの時代とは何だったのか。それは、「内部」のゆるさ、がもたらしたものだったのではないのか。
「内部」のゆるさ故に、容易に「外部」と通じ合い、「外部」を受け入れ、マルチカルチュラリズムが広がり、それがアメリカの経済を拡大し、政治力を増大させ、文化を活性化し、アメリカ一国支配のグローバリズムを招来したのではなかったか。アメリカ美術の時代、というのもまさにそのようにしてあったはずだ。アメリカの美術にひとつの時代をもたらし、その時代の普遍的な人類美術への可能性を開かせた強さとは、「外部」を受け入れ、通じ合っていく、ゆるやかな「内部」という構造だったのであり 、それはかっての最盛期のフィレンツェにも、かってのパリにもあったものだ。
「超内部」である原理主義の生み出すものを、他者は「外部」から眺めてその存在理由を認め(ぼくは認める)、そこにある美しさを認める(ぼくは認める)としても、「他者」があらかじめ排除されている以上、(ぼくを含めた)他者はそれを受け入れるわけにも、組みするわけにもいかない。そこには普遍へと至る構造がないのだ。
しかし、今アメリカはその「超内部」を喉元につきつけられることによって、ピーク(ベトナム敗戦後にその傷を癒しながら積み上げてきたピーク)を折り返してしまった。アメリカはかって、ネイティブアメリカンを虐殺することで建国した。それをフロンティア精神という「正義」で正当化することで国家を成り立たせてきた。その建国の「正義」を証明するために、アメリカは自らの「正義」に反するものを虐殺しつづけるしかない。かつて、日本で、ベトナムで、イラクでやったように、今また。と、岸田秀は分析するが、そのアメリカの「正義」に反するものとは、喉元につきつけられた「超内部」だったのではないか。そうして今、アメリカは自らの強さの源泉でもあったゆるい「内部」を固く締め上げて、アメリカ自体が敵対者と同じ、排外的で全体主義的な「超内部」へと折り返そうとしている。アメリカの強さは失われ、アメリカの時代は終わったのだ。少なくとも、終わりつつあるのだ。そして、アメリカ美術の時代もまた。
東西の冷戦構造が終結したときから、世界は「外部」的世界のグローバリズムと「超内部」的世界の対立構造の時代に入っていた。あの9.11の恐怖が改めて教えてくれたのは、そういうことだった。そこにはすでにして、あいまいにもたれあった「内部」の居場所などはなかったのだ。あいまいにもたれあった「内部」とは、自らの意志で「外部」と交わろうとはせず、したがって自らの「内部」を分裂の危機にさらすこともなく、核の傘の下で「内部」をただ温存してきた日本国のようなもののことだ。アメリカ美術の傘の下で「内部」を危機に曝すこともなくただ温存してきた、表層でしかなかった日本現代美術もまた。
それは「檻」の中の自由でしかない、と言ったのは小倉利丸だが、あらゆる制度はその「内部」でだけ自由を保障してくれる「檻」である。まして、自らの血を流すことなく「アメリカの傘」として、何でも在りの現代美術という概念=制度を与えられた日本現代美術は、その「檻」に依存してしか生きえない動物園の動物の自由を謳歌してきただけだった、のかもしれない。いずれにせよ、あいまいにもたれあった「内部」の美術は冷戦構造の終結と同時に、終わってしまっていたのだ。国民国家の一国的「内部」の幻想は、グローバリズムと「超内部」の夾撃の中ですでに破産していたし、その一国内にあいまいな「内部」を温存するような日本現代美術は、比喩として言えばすでにひとつの「団体展」だった。そして一方、あいまいな「内部」が許されない場とは、端的に言えば、そこは他者とむき出しに対峙する「戦場」そのものなのだ。「戦場」で「外部」=他者と身を曝して向かい合う境界線上にしか、現代美術はない。9.11の恐怖が、改めて明らかにしてくれたのは、そういう教えだった。
他者はどこにいるのか。
*
ここに紹介される6人のアーティストは、ギャラリイKによる選抜であり、ぼくにとっては半数は未見の作家である。ぼくもまた、彼らの前に他者として立つことを迫られるだろう。 (2001年11月3日)
http://homepage3.nifty.com/galleryk/second/columns/horikousai_columns.html
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