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ロックの思想とキリスト教(小室直樹 日本人のためのアメリカ原論)
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投稿者 そのまんま西 日時 2008 年 3 月 17 日 23:07:36: sypgvaaYz82Hc
 

ロックの思想とキリスト教(小室直樹 日本人のためのアメリカ原論)

ロックの思想とキリスト教(前編)
2008年02月13日 小室直樹(政治・経済学者)

マルキシズムに優るロックの思想

 ロックの思想は、燎原の火の如く、全ヨーロッパに広がっていった。昔の人ならば、マルキシズムの如くと表現したであろう。

 しかし、マルキシズムは、ソ連の崩壊によって消え去ったのに対し、ロックの思想はというと、それを先駆けとして生まれた資本主義が未だに隆々として栄えている。故に、ロックの思想は、マルキシズムより遙かに強かったとさえいえる。

 フランスでは、ナポレオン法典の根幹を今もそのまま維持しているではないか。例えば、私有財産の絶対、事情変更の原則の拒否など。これだけを見ても、ロックの思想がマルキシズムよりも遙かに根強く、遙かに根本的であることがわかるだろう。

 例えば、アメリカの政治の思想といえば、直ちにロックの思想を意味する。

ロックを源にアメリカ帝国が出現

 ケインズは“セイの法則”を拘束したが、セイの法則を成立させるためには、私有財産の絶対が必要であり、やはりロックの思想の上に立っている。

 シャハト(1877〜1970年)が、ヒトラーの経済大臣として、インフレなき好況を実現し、わずか6年の後、10万の陸軍からヨーロッパ最強の大陸軍を作り上げたということは、資本主義の本質を見極めているという意味で、やはり、ロックの真髄を見ているというべきであろう。

 このように、ロックの思想は、スミス、リカードからケインズに至る諸学者だけでなく、ヒトラーからイスラム原理主義者に至るまで影響を与え、宗教家もまたその本質に引き寄せられたのであった。

 ロックの思想を根本として、アメリカは、中国の秦の帝国の如く、あるいはローマ帝国の如く、今やアメリカ帝国となり、パクスアメリカーナを実現している。これまたロックの思想の出現か。

 このアメリカがいつ滅びるかについても、秦やローマ帝国を参考にすべきである。

なぜロックの思想が体現できたのか

 ロックの思想は、アメリカでこそ実現した。それは、アメリカの独立宣言に表れただけではない。いとも奇妙なる宗教「キリスト教」がアメリカに渡って初めて、その本来の姿を現して大活躍を始めるのである。

 ここでもう一度、キリスト教について振り返ってみよう。

 キリスト教の本質とは、「予定説(プリディスティネーション)」であり、啓典宗教(リビールド・レリジョン)である。プリディスティネーションやファンダメンタリズム(奇跡を事実だと信じている者)といったものは、アメリカにおいて初めて顕示的(リビールド)に現れる。

 アメリカの建国の時には、アメリカ合衆国の理想は何1つ実現されていなかった。自由主義も、資本主義もなかった。民主主義に至っては、1断片すら見当たらなかった。あるのはそれを目指して進むという決意だけであった。

 それが、時が経つに従って、1つひとつ実現されていく。これこそ、まさに神の意思そのものではないか。「ヨブ記」の論理の徹底ではないか。

 また、アメリカの時代になって初めて聖書が普及したことも注目に値する。ヨーロッパにおいては、聖書を読むと焼き殺される宗派さえあったのである。

アメリカでのキリスト教の実態

 アメリカの時代になってから、キリスト教には余りにも見るべきものが多かった。例えば、今や『グッド・ニュース・バイブル』となっているものがある。本来、福音(evangelium)と訳すところを「グッド・ニュース」と訳した。赤ん坊や子供でも聖書がわかるようにするという趣旨で訳された聖書である。

「我が言を聞きしや」とするところを「グッド・ニュース」とした。これくらいわかりやすく聖書を訳すのだが、なんとアメリカ聖書協会の宿老までもがこの訳に参与しているのである。昔は、聖書のラテン語訳ですら、教皇の秘書を務めた聖書学者ヒエロニムス(342頃〜420年)によって初めて翻訳されたくらいであった。何という違いであろうか。

 これすべてアメリカの所産である。

 予定説の論理が一般人の間にも普及し、宗教家だけでなく、発明家、実業家などの間にも多く見られることは、既に述べた(第1回参照)。

 ファンダメンタリズムは21世紀になってもまだ残っている。聖書の内容を絶対視することから、進化論を否定する裁判、つまりモンキー・トライアルもしばしばなされている。

 それどころか、予定説を外国にも広めようとし、しばしば戦争まで起こしているではないか(古くは、我が国にペリーが開国を迫ってきて、開国しないなら戦争するという脅し、日本への不平等条約、最近では、湾岸戦争やイラク戦争など。その他、アメリカのする戦争)。

http://diamond.jp/series/komuro/10007/?page=1
http://diamond.jp/series/komuro/10007/?page=2


ロックの思想とキリスト教(後編)
2008年02月27日 小室直樹(政治・経済学者)

キリスト教の邪教・邪説

 中世のキリスト教は、1神教としては珍しく、邪教・邪説が多かった。教会から離れたところに住む人々に多いだけでなく、教会そのものも邪教・邪説に満ち満ちていた。

 例えば、洗礼に使った水は病気にも効くとか、終油の油は難病の特効薬だとか、神父が上った教壇に上ると“てんかん”が治るとか……etc。

 中世中期までのカトリックにおける因習は、「疑わしきは罰する」ということであった。故に「疑い」つまり「嫌疑」をかけられると、拷問をかけられるので、これに耐えることが当時の能力の1つであった。

 かの有名なサボナローラ(1452〜1498年、イタリア人ドミニコ会の修道士。宗教改革の先駆けとなる)も「雄弁広辞あたる所なき」能力を有しながらも、拷問に耐える力が弱かったというだけで、有罪となり、死刑になってしまった。

 だから、この時代の人々の間の論争も、結局は拷問に耐えるだけの競い合いであった。

 それ故に、キリスト教の論理は僧侶の間においてすら徹底することはなく、邪教・邪説は、宗教改革が起きるまで、至る所にはびこっていた。

 宗教改革のテーマは、このような邪教・邪説の論理を、キリスト教本来の論理で、打破することであった。

 中世の教会は、疑いを発することは自由で、「疑わしきは罰せず」ではなく、疑われることは有罪だから、魔女・魔人(ディセンダー)だと嫌疑をかけられる人々を、実質的に支配する権限を持っていた。こうした人々は、至る所に幾らでもいたから、この意味で教会の勢力、権限は絶大になっていった。

 教会の勢力は、無限に拡大する方向を有していた。魔女・魔人だけではなく、カトリック教会のディセンダーたちは、人々の倫理的評価を与えたから、この意味においても、中世社会を襲断していたともいえる。

 このように、キリスト教の原理とはまったく無関係な、単なる人々の気持ちによる任意評価が社会一般を覆いつくしていたといえる。

 極端な判例としては、“背徳の町”とか“悪魔の村”とか、そういうものさえ存在した。この町や村に行くと、“福音書はすべて逆に読め、バイブルなんてめっそうもない”というルールが支配した。こうした人々は、朝から晩まで、正気の沙汰には見えないが、本気でこのようなことを実行していたのである。

 宗教改革によって、ルター(1483〜1546年)やカルヴァン(1509〜1564年)が出てきた時、この逆の村や町を如何に処理すべきかに、かなりの苦労をしたのである。

 これらのことは、魔女裁判が中世末期、資本主義勃興の直前に行われたことを見ても証明されうるであろう。

奇天烈な中世のキリスト教

 実際、魔女の嫌疑をかけられた者は、古代、中世初期、中世中期にも至る所にいたが、魔女裁判が中世末期に集中したのは不思議とは思わないか。その理由は、キリスト教は1000年以上も前に、ヨーロッパに入ってきたと伝えられるが、当時のキリスト教は1神教としては真に奇妙奇天烈であったからである。

 キリスト教の根本的教義の1つは、3位1体説(トリニティ)なのだが、子なるキリスト、天にまします父なる神、聖霊(ホリーゴースト)、という聖なる3位を認めれば、3神教にならないか。それに、聖母マリアを加えれば、4神教にならないか。

 だから、イスラム教およびイスラエルの宗教(バビロン捕囚の後にユダヤ教となる)に比べれば、キリスト教は1神教とは認めがたい。モーゼは3位1体説のような戯言を一言も言っていない。モーゼの母はエジプトの王女であっても、神であるなどとは言っていない。

 イスラム教に至っては、ムハンマドの母について、一言も触れられていない。

 だからイスラム教やユダヤ教から観れば、キリスト教の3位1体説や聖母マリアなど、とんでもないことなのだ。

 キリスト教が本来の姿に戻ったのは、実をいえば、宗教改革まで待たなければならなかった。つまり、ルター、カルヴァンの出現を待たなければならなかった。

 それまでに改革をなさんとする者が出てきても、キリスト教からの迫害を受けて、焼き殺されるのが常であった。教会でも聖書は読ませられず、聖書を読んだ者は焼き殺された。信者が読んだものといえば、祈祷書を読ませられ、賛美歌を歌うだけであった。

 このように、宗教改革前のキリスト教はひどいものであり、宗教改革後、特にアメリカに渡ってから、キリスト教は本来の姿を取り戻したのである。

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