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◎甦るか、天地創造 ◎ 小泉万馬 雑誌「JI」平成10年5月号
チャーチワードの残したムー文明に付いての著書『ムー大陸のシンボル 大陸書房』を読んだところ、ムー文明が旧約聖書の天地創造、諸々の宗教及び科学の源である可能性が分かりましたので、概略を紹介します。また、其の中で旧約聖書の天地創造は、ムーの天地創造を元にしたものだとの推理により、両者を合体して太古の宇宙人の科学に近い天地創造についてまとめました。
下記で、ムーに関する記述はすべて『ムー大陸のシンボル』の抜粋もしくは、その内容を纏めたものです。
1.ムー文明の概要
ムー大陸が太平洋に消えたのは、約1万2千年前ごろで、その時までに少なくとも人類の歴史は十万年続いていた。
ムー帝国の聖典『聖なる霊感の書』は、教義の部と科学の部に別れていて、しかもこの二つの部分が互いに裏付け合い補完し合っている。宗教と科学はしっかりと組み合わさって切り離せないものです。科学無しには、完全な宗教はありえない。なぜなら、科学は自然を解明する物であり、自然とは創造主(忍:自然を創造する宇宙大自然の法)の代弁者であり、神の存在を証明するものであるからだ(誰かの著書で、次のような名言を目にした記憶があります。”科学を無視した宗教は迷信に陥り、宗教を無視した科学は、悪魔を産む” さしずめ”千年の森”を批評した梶本某などは、科学抜きの宗教を迷信的に信じる性格のお方なんでしょうねえ。 千乃)。しかし、偉大な学術は、ムーの崩壊とともに、ほとんど崩壊してしまった。
この創造主(ビッグバンから始まる宇宙の創造のこと)(忍:ビックバンは、無から有の法則の自然現象の一つである。此の逆の現象(有から無)がブラックホールである。全ての自然現象は一つの法則の下で輪廻している事。だから、自然を創造する宇宙大自然の法(生から死、死から生、有から無、無から有へと回り回っている輪廻の法則)を指している。)を天帝とし、その天帝が何かを創り出す為には、陰と陽の二元性が必要であり、この創造力の陽の象徴(シンボル)として、「太陽」を、陰の象徴として「月」を使用した。従って、太古の文明から引き継がれた太陽や月は天体の意味ではなく、創造主の事を指している。ムー文明の神官はラ・ムーと呼ばれ、ラは太陽の意味である。
ムー帝国の宇宙図は、中央の円は太陽の象徴、二個の三角形の組み合わせによりつくられる十二の空間は天国への十二の門を示す。これらの門は、愛・希望・慈悲・純真・誠実などの十二の美徳を象徴していて、最高の美徳は愛とされていた。その外側にある二重の円に狭まれた狭い空間は、霊魂が神の門にたどりつく前に通らねばならない世界である。その外側の十二の装飾は、地上の十二の誘惑を示していて、人間はこれらの誘惑を克服しなければ、天国の門をくぐることはできない。其の下にさがっているリボン状のものは、天国への道を示し、八つの部分に別れているのは、人間の行為と思考が八つの道をたどらねば、天国に行けないことを示している(八正道を指している。八個の正しい道というのは、正しい見解、正しい思い、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい理想、正しい心の統一)。此の宇宙図は、南北アメリカ大陸、インド、バビロニア、エジプトなどに、今でもその名残りを見る事ができる。(追加1:小泉)
〇『創造主は一なるものを生み出した。一は二となり、二は三となり、それよりすべての人類となった。』との記述があり、中国の陰陽説の源流となっている。老子の道徳教には 『一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず』と書かれており、老子はムー文明の正当な後継者である。一方、孔子はムー文明をよく学んだ上で現天上界の後継者として儒教を残した。
〇「ムー:ラー系の神」
蛇は、ムー文明の源泉で太陽という意味のラー系の神を持つ。一方、現天上界の象徴(シンボル)も蛇で、ムーと源は同じなのだが、エル系の神を持つところは違うが、現天上界はムーの正当な後継者だと推測します。つまり、各名称及び各象徴は、皇室の元号のように自分の起源を表していると推測されます。
「大悪魔王(大サタン):ピラミットと目」
ムーの宇宙図はエジプトや他の地域に伝わった後、原図には一切無かったピラミッドと目の象徴が強調されて付加され、聖なる教えが相当に歪められた。
シリウスの中の重たい星を、目と呼んでいたことから、大悪魔王はシリウス系だと推測されます。
「ダビデ:カゴメの紋章(マーク)」
ムーの宇宙図から拝見したもので、ベーエルデ星の王家の紋章かなにかで、自分が正当な王だと言いたいのかも知れません?
「日本:ムーの正当な後継者」
チャーチワードの別の本では、太陽が円で表現されているものは、ムー本体の布教時の旗で、日本の国旗と同じものであるため、日本人を正当な後継者と見ている。植民地は半分の太陽で表現されていることからも窺える。
〇聖徳太子の十二官位や、ユダヤの十二支族は、天国への十二の門を想像したものだとも推測されます。
2.ムー文明と旧約聖書の天地創造の合体
ここでは、旧約聖書の天地創造は、ムーの天地創造を原型として一部省略され、旧約聖書の天地創造もともに七個に別れていて、共に完全ではなくて一部が欠落している。つまり、ムーの天地創造は宇宙や地球の創造の部分が非常に詳しく、一方旧約聖書の方は生物の進化の部分が詳しい。(やはりムー文明は、異星人=天との関わりが大きい証拠でしょう! 千乃)
そこで、両者の天地創造を合体させてより完全な形の天地創造を、ムーの7個の部分に分けて下記のように纏めました。それというのも、旧約聖書の七日目(天地創造の完了)については、「こうして天と地と、其の万象とが完成した。神は、七日目にその作業を終わって、休まれた。」という表現は、当時の労働環境が厳しかったため、肉体的な休息のためと神のことを考える余裕を与える為に、追加されたのではないかと推測される。そこで、現在では宇宙創世に必要がないと思い、私見ですが除外しました。
現代科学と違っている部分に付いては、今後さらに詳しく検討していく必要があります。
7個の区切り題目は、ムーの区分け(旧約聖書の第何日目)の形式で見出しをつけています。
各文章で旧約聖書からの抜粋は先頭に「旧」を、ムーからの抜粋には「ム」を、また、小泉の説明部分には「小」を書き込みました。
◆第一の命令(一日目 光ありき)◆
ム:宇宙は初め霊(忍:光子、西洋ではエーテルそのものを指している。)そのものであった。形も生命も音もなく、只静まりかえっていた。あるのはただ空虚と暗黒のみであった。暗黒の底深く、至上なる霊、偉大なる力そのもの、創造主たる七頭の蛇のみが動いた。
→小:これはビッグバン直前の様子のように思えます。何故蛇を想像(イメージ)したかは不明ですが、この蛇の想像が現代にも、間違って伝えられている。
ム:神は宇宙を創らんと欲し、また地球を創りてその上に生命あるものを創らんと欲した。神は地球を創り、その上に万物を創った。
地球と万物はかくして創り出された。
創造主たる七頭の蛇は、大いなる命令を下した。
第一の命令「形無く空間に散在するガスよ、集まりて、宇宙を創れ。」
ガスは互いに集まり、渦巻く固まりとなった。
→小:このスカラーの渦巻からプラズマが発生し、光が生まれる。即ち光ありきと同じ意味です。ただ、この文章からは、宇宙の一番最初に、現代科学が描くビックバンのような極端な爆発はなかったと考えられます。また、ブラックホールのような極端なものもないと思います。
◆第二の命令(一日目 光ありき)◆
ム:第二の命令「ガスは凝固して地球となれ」 ガスは固まり地球となった。地殻の外側にガスが残った。地殻の内側にもガスが包まれて残った。闇が未だ支配し、音もなく、空気も水も創られてはいなかった。
◆第三の命令(二日目 大空の創造)◆
ム:第三の命令「外なるガスは二つに別れ、水と大気となれ」 かくしてガスは二つに別れた。水は地表をおおい、陸地一つ見えなかった。水とならなかったガスは大気となった。太陽の矢は、大気の中の地球の光の矢と出会い、光が生まれた。かくして地球には光があった。太陽の矢は大気の中の地球の熱の矢と出会い、それに命を与えた。かくして地球上に暖かさがもたらされた。
→小:現代科学では、地球の誕生に付いては決定的な定説がないのが現状ですが、ほぼ同じだと思います。
日光は、太陽の矢(太陽から発射されるエネルギー)が地球の大気にぶつかることで、日光として見える事を意味しており、太陽だけでは光を放射しない事を意味している。太陽は暗いのである。つまり、現代科学とは真っ向から違っている(飛鳥氏説の”太陽はプラズマ球である”との解釈が、むしろ”ムーの太陽光線”について正しく解明しているようです。!千乃)。
◆(四日目 昼と夜の創造)◆
旧:神はまたいわれた、「天の大空に光あって昼と夜とを分け、しるしの為、季節の為、日の為、年の為になり、天の大空にあって地を照らす光となれ」。そのようになった。神は、二つの大きな光を創り、大きい光に昼をつかさどらせ、小さい光に夜をつかさどらせ、また星を造られた。
→小:旧約聖書では、すでに五日目で陸の植物が生まれている為、昼夜は既にあったと考えられます。そこで、ここの文章は、季節が生まれた事と、小さい光(月)が生まれた事を強調していると考えられます。現代科学では、地軸が何時傾いて季節が生まれたのか、月は何時何処から生まれたのかは不明です。(忍:まず此の現象は、太陽を中心に地球の公転と自転を意味している。自分は、生物の発生は、まず、其の前に昼と夜の区別が出来、太陽と地球の距離が生物の発生に生じる環境に適している処に公転をし始めた時から決まるのです。其れゆえに最初の方に宇宙の構造が創作されたと考えています。)
◆第四の命令(三日目 陸地の創造)◆
ム:第四の命令「地球の内なる火よ、水の面より陸地を持ち上げよ」 かくして地底の火は水の面より陸地を持ち上げた。
◆第五の命令(三日目 植物の創造)◆
ム:第五の命令「水の中に生命生まれよ」 太陽の矢は水中の泥の地球の矢と出会い、泥の粒子より宇宙卵をつくった。これらの卵より、命令のごとく生命は生まれた。
◆第六の命令(三日目 植物の創造)◆
ム:第六の命令「地の上に生命生まれよ」 太陽の矢は陸地の土の中で地球の矢と出会い、土の粒子より宇宙卵を創った。これらの卵より、命令のごとく生命は生まれた。
→小:現代科学でも、最初の生命は海の浅瀬の泥から生まれたといわれている[今は深海生命発生説などが最新学説として囁かれておりますが、異星人=天はそうは伝えなかったみたいですね。一寸私なりに分析してみたのですが、生命を発生させる条件のメタン、アンモニア、水素、硫化水素(アミノ酸が発生する)などが原始の海に成分として含まれていて、更に、其の海の浅瀬の泥が保温に適していた。ーー活火山や火成岩も多く、海温も高かったーーという筋書きは如何でしょう? 同様の成分の大気下に嫌気性バクテリアや古代細菌なら、充分に発生し得ると思いますがーー?? NASAは金星や火星の大気の分析ばかりして木星や土星の探査報告がなおざりにされて居りますが、確か後者の大気はそのようで、バクテリアの存在が報告されていました。!!(NASA発)例の如くNASAの隠蔽策なのではーー?火星は特に地球人に興味を持たせないようにしていますからーー。千乃]。その後、陸に生命が生まれたので、これは現代科学と同じです。
旧:神はまたいわれた、「地は、青草と種をもつ草と、種類にしたがって、種のある実を結ぶ果樹とを地の上に生えさせよ」 そのようになった。
→小:旧約聖書では、最初に陸上に植物が生まれ、五日目に水生生物が、六日目に人類が生まれる事になっている。一方、現代科学の進化論は、ムーと同じで海の泥から生命が生まれ、海の動植物、そして陸の動植物が生まれる順番であり、旧約聖書と真っ向から違っている。(聖書の記録者が、科学文明の恩恵を受けておらず、異星人=天との交流もなかった。悪魔(サタン)・ダビデによる歪曲でしょう!! 千乃)
◆第六の命令(五日目 海水生物と鳥の創造)◆
旧:神はまたいわれた、「水は生き物の群れで満ち、鳥は地の上、天の大空を飛べ」。神は海の大いなる獣と水に群がるすべての動く生き物とを、種類に従って創造し、また翼ある全ての鳥を、種類に従って創造された。
→小:動物に次いで鳥が後に現れている。是れは現代科学と同じです。
◆第七の命令(六日目 動物と人間の創造)◆
ム:第七の命令。これらの事がなされた後、七頭の蛇の七番目の智恵が言った。「我等神の姿にのっとり、人間をつくり、その体内に永遠の生命、不滅の霊魂をば授けた。かくして人間は、神の如き智恵と力を得ることが出来た。」
旧:即ち、神の形に創造し、男と女に創造された。
→小:脊髄動物には、雄雌の差があるし、進化的に人間の男女も有るのは当然で、ここで、「男と女とに創造された。」と強調すると混乱を招くので必要ないと思います。
また、自然と人間は共存共栄が基本であるため、旧約聖書の「生めよ、増えよ、地に満ちよ、地に遵わせよ・・・・」以下は記述しなかった。
(補足2:小泉)
〇チャーチワードは、旧約聖書のアダムとイブの物語に関して、エズラがモーセの書いた原典の意味を正確に翻訳できていたら、全く違ったものになったに違いないと言っている。なぜなら、ムーの文明では、木に巻き付く白蛇は人を誘惑し墜落させるものでない。木に蛇が巻き付いた象徴は、『聖なる霊感の書』に描かれており、木は、ムー大陸で、蛇は生命(DNA)を意味するとしているが、個人的にはDNA二重螺施の意味合いで生命についての科学的な説明を分かりやすく図で説明したものではないかと推測します。(其の通りでした!!千乃)
〇以上から、人類を完全に盲目的に服従させ支配しようとしていた大悪魔王(サタン)に対して、天上界の方々がプレアデス(蛇)から来て、科学的な知識と善悪を教えてしまった。この為、大悪魔王(サタン)に従わなくなってしまった民族が出てきた。怒った大悪魔王(サタン)は、天上界と善悪を知った民族が出てきた。怒った大悪魔王(サタン)は、天上界と善悪を知った民族に復讐心を抱いた。そこで、まるで天地創造の神が怒って「女性に産みの苦しみを」「人類が汗したパンを得ることを」「死の定めを」人類に与え、更に「原罪」を与えたように意識に植え付けさせた。それは、敗者の遠吠えの様なものだったに違いないのですが、いつの間にかキリスト教圏にしみ込んでしまった。もしくは、古代人が教師である宇宙人を殺害したため追放された事を意味しているかもしれません(其の為、悪魔(サタン)に支配されたのですね! 天が一時期人類を見放された時にーー。今も飽く迄も天意に背く正法者や日本民族を見放そうとしておられ、そうなれば、すぐにマイトレーヤーという悪魔の弟子に支配されるでしょう!!千乃)
〇ユダヤ教では、最終戦争により「エデンの楽園」が復活すると考えているが、それは善悪の智恵の無い、悪魔ダビデに支配される事を意味している。ユダヤ人全般が、まるで、スカラー兵器による洗脳(マインドコントロール)状態の間脳人間と同じだとすれば、やはり大悪魔王及び悪魔ダビデの計略と思われます。
3.ムー文明の名残りとその光芒
古代エジプトでは、月を創造主の陰的(女性的)な属性の象徴とするだけでは満足できず、月の象徴としてとしてのイシスという女神を考え出した。つまり象徴を象徴する象徴を作ったのだ。そして、この女神がオシリス神の妻で、遺言執行者という事になってしまう。こうなっては、もはやエジプト人にさえもムー文明の基本思想を理解する事は出来なくなった。
創造主の象徴は、非常に多く、中でも蛇として多く残されている。其の中でも特に目立つ二種類の蛇がある。ムーで「ナーガ」と呼ばれるコブラである。この象徴は、天地創造の七つの部階、創造主の七つの命令にちなみ七つの頭を持っている。此の象徴を使用したムーの部族はナーガ族と呼ばれるようになった。インドのナーガ帝国の文明は、アーリア人の侵入により、ナーガ系の知識人が迫害を受け、ヒマラヤの奥へと追いやられてしまう。インドの宗教界はバラモン教の僧侶により牛耳られ、ムーの教義に難解な尾ひれをつけ、奇怪な神話をでっちあげ、自分達の権威を保とうとした。そして、自分達僧侶を王族の上に立つ者として、カースト制度を作り上げた。(古代インドの宗教文献「ベーダ」には、ムーの教義についての記述がある)。この墜落を払拭し、「聖なる霊感の書」の真髄のゴーダマが捜し求め、八正道を悟った。この八正道には、ムーの宇宙図に示されている天国への八つの道が生かされている。
もう一つの蛇は、鱗の変わりに羽毛で覆われた蛇で、ケツアルコアトルと呼ばれた。現在でも、中南米・ユカタン半島に伝わり、インディオやマヤ聖典に伝承されているが、現代ではエジプトと同じで、其の根源は忘れ去られてしまっている。中国も同様です。
日本神道においては、原始キリスト教でありながら、天照大神は太陽神(ラーであり、日本の国旗に引き継がれたムーの紋章)であり、、ヤタカの鳥(カラス)は神の使いで、他にも鳥居は神のいる所だとすれば鳥すなわちケツアコアトルと解釈出来る。更に、太陽神は、女性というより男性だったと思います。このように考えると、ムー文明の正当な子孫である日本人と、旧約聖書のアダムから始まる家系のどこで結び付くのか明かではありません。(ユダヤの二支族が日本に来て定着、混血したのかもーー? 千乃)。ここのところが、明らかになれば神の歴史の中で日本人とは何なのかが明確になると思います。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7073/tenntisouzou.htm
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