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「真のゆとり教育」が生んだ18歳天才プログラマー
「史上最年少天才プログラマー」はどうやって生まれたのか――。情報処理推進機構(IPA)は昨年10月、3次元画像処理システムの開発で千葉大理学部2年の上野康平さんを「天才プログラマー」に認定した。18歳とは思えないほど落ち着いた雰囲気の上野さん。彼の生い立ちをさかのぼると、日米の教育環境の違いやリアルなコミュニティーの大切さなど日本のIT人材育成のヒントが浮かび上がってくる。
■「小1」から始めたプログラミング
――プログラミングを始めたきっかけは?
小さいころ、家にあった父のコンピューターでゲームをして遊んでいました。当時ゲームソフトがパソコン通信上で交換されていましたが、設定とかが複雑で、自分でプログラムを書かないと遊べなかったのです。
小学校1年生ごろにはもうMS―DOSのコンフィグファイルをいじったりしてました。父に教えてもらったというより、パソコンやワープロの説明書を一人で読んで――文字の読み書きも説明書で覚えました。辞書の引き方すらわからなかったので、周りの人に聞きました。外で遊ぶより家の中が好きでしたね(笑)。
――小3で渡米し、CGに関心が移っていった
父の仕事の関係で、小3からの6年間を米国で過ごしました。中3のとき、(天才プログラマーに認定された)今回のプロジェクトで作ったレンダリングソフト(3次元画像を処理するソフト)の一番最初のバージョンを作り、地元のコンクールで入賞しました。
ゲームを作っているうちに、ゲームそのものよりグラフィックに興味が出てきたんです。「ファイナルファンタジー8」の冒頭にきれいな砂浜のシーンがあって、これがCGで作られていると知って驚きました。自分で作ってみたいなと思ったんです。
――そこで、CGを作るソフトまで作ってしまった
いまでこそ学生用のCGソフトは8万―9万円のものがありますが、当時はソフト自体が約200万円。機材も特殊なワークステーションが必要で、フルセットで300万―400万円しました。高くて手が出せなかったので作るしかなかったんです。
■最先端研究、英語しかない
――CGの勉強はどこで?
最初からCGの専門書にあたるのは大変なので、入門サイトを見てひたすら参考にしました。レンダリングをやっている人はネット上にたくさんいて、オンラインコミュニティーがとても助けになりました。
英語のコミュニティーは特に重要でした。最先端の分野になるほど、英語のサイトしかなかったし、論文も英語でした。
――米国にいたから学べたことも多かったのですか
米国では科目別に飛び級制度があって、数学と科学で飛び級しました。この仕組みのよいところは、飛び級クラスは1年の3分の1の時間を使って、自分の関心のある分野の研究をしてよいことです。この時間を使ってCGの勉強ができたのです。ある意味「有効に機能したゆとり教育」だったと思います。
――米国は中学生のレベルも高かった?
そうですね。誰がこのプログラムを書いたんだろう、と感心すると自分より年下だったりすることもありました。中学生や高校生で会社を立ち上げる人も普通にいました。日本にもそういう人材はいますが、米国では技術的に大企業と太刀打ちできるレベルだったりします。
米国と比べたとき、やはり日本が一番ネックになっているのは英語です。私も(天才プログラマーに選ばれたのは)ほかの人に比べて才能があったというわけではなく、ただ単に小さいころから英語が読めたというだけだったとも思います。日本では、例えば大きな書店に行っても、書棚にある一番難しい本ですらその分野の入門レベルでしかありません。
最近はインターネットなどで「知識の高速道路」が整備され、どんな分野であれ一気に高いレベルに行けるといわれていますが、この分野では英語の壁は高いんです。大人であれば英語が読めるからよいのですが、低年齢でITの分野を学ぼうと思っても、英語ができないと途中までしか行けないのです。
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■受賞は総合力
――今回受賞したレンダリングソフトのプロジェクトについて簡単に教えてください
CGを使った映画の特殊効果などに応用できる3次元画像処理技術です。
3次元の物体を画像処理する場合、はりがねのようなもので輪郭をつくる「モデリング」と、そのはりがねにどうやって色を塗るかという「レンダリング」という2つのプロセスがあります。そのレンダリングにも、経験則によって色を塗る方法と、計算によるシミュレーションで物理的に正確に色を決める方法と2つあります。
例えばCGのランプを光らせたいとします。物理的なシミュレーションだけでは光が明るすぎたり、物理的に正しくても人間の感覚としてリアルに感じられないことがあります。今回開発したのは、シミュレーションをベースに、さらにそこに絵画的表現を加えて、人間の目に心地よく加工できるよう、表現の自由度を高めたものです。こういったアプローチはこれまでありませんでした。
現在のレンダリングシステムの基本的な設計思想は、米国のピクサーが1980年代に作ったものがずっと使われています。現実に即していない部分もあるので、それを置き換えることを想定して作りました。
――レンダリング用の分散システムもつくってしまったとか
企業が持つ信頼性の高いコンピューターでなく、その辺にころがっているPCでもちゃんとした計算ができるようなフレームワークを作りました。グーグルのスケーラブルなネットワークを個人レベルに応用してみたかったので、論文などを調べてみました。
ただ、グーグルのアーキテクチャーをそのまま取り入れるわけにはいきませんでした。検索システムは途中で計算が失敗してもそれらしい結果が返ってくればいいのですが、CGは計算を間違うわけにはいかないからです。負荷分散の構造は思想的に参考にしましたが、技術的には別物となりました。プロジェクトが評価されたのはこういった総合的なシステムとして提案したという点ではないでしょうか。この分散型のフレームワークについてはCG以外への応用も今後考えていきたいですね。
――今後の開発テーマは
いろんなことに興味があります。将来的にはやはりCGの分野に進みたいのですが、いまはインターネット分野がホットなので、ネットのインフラについても学びたいですね。今回のプロジェクトでもP2Pの仕組みをローカルネットワーク上で取り入れて処理を分散しています。
――会社を立ち上げるとか、ビジネスに関心はないのですか
あまり興味はないですね。将来は研究者として常に新しいことに取り組みたいです。
このシステムについて、現場でCGを作っている人からぜひ使いたいというオファーはありました。でも企業で普通に使えるレベルにするだけで相当な手間がかかります。商業ソフトはものすごい完成度を求められます。
ただ、反響をいただいたのはうれしいので、オープンソースでフリーソフトとして公開して使ってもらえるレベルには仕上げたいです。今年の夏休み中には終えたいですね。
■ネットよりリアルコミュニティー
――また米国に戻りたいですか?
CG研究の本場はアメリカなので、将来もっと本格的に研究するとき、大学を卒業した後にはぜひ米国にまた行きたいですね。環境もぜんぜん違います。その分野のトップの人が身近にいるということが最大のポイントです。
――ネット上のコミュニティーなら日本からも参加できますが
私にとっては、リアルの場で会うことが重要なんです。ネット上での意見交換は確かに楽なのですが、チャットなどでは、会えば10分で終わる議論も長引いたうえに建設的な意見が出ないといったことがあります。
IPAのプロジェクトに応募したのも、尊敬するプログラマーのみなさんが集うコミュニティーがあったからです。CGを専門にする人は多くありませんが、いろんな分野の方から新しい視点で意見をいただけて、とても刺激になっています。勉強会など集まる機会が多く、積極的に参加するようにしています。
――IT分野の人材を育てるために、日本に足りないものは何でしょう
やはり、ゆとり教育と飛び級制度の充実でしょうか。数学やコンピューターなどIT分野の勉強は学校の勉強とは違うので、米国滞在中に好きなことに没頭する時間が持てたことはとても貴重でした。
日本の高校を受験することになり、中学3年からCGの研究を中断して論文を一切読まなくなったのですが、高校に入って研究を始めようとしたときには数学の新しい分野の話題などにぜんぜんついていけなくなっていました。
受験数学はかなり特殊で、たとえば大学院レベルの数学を使えば簡単に解ける問題でもそれを使わずに解く必要があって、現実的に役に立つものではありません。数学の楽しさもそのために失われていると思います。高校で学んだことはもちろんたくさんあるのですが、高2を終えて千葉大学に飛び級で進んだのもこういった危機感からでした。
ただ一方で米国の制度も完璧というわけではないと思います。有名校に行くために自己推薦が重視されるため、ボランティア活動ばかりに精を出す人もいます。一概にどちらがいいとは言えないかもしれません。
[2008年2月5日/IT PLUS 重森泰平]
http://it.nikkei.co.jp/trend/special/interview.aspx?n=MMITzx000004022008
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