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江戸時代の後期に薩摩島津の殿さんが元々種子島、種子島家で使われていた「赤い大穴」をたいそう気に入って、船印として使いだし、その後薩長の天下となった明治維新で海軍が作られるとその船印となった。というようなことがかいてあった。本来の意味とははずれて血塗られた「赤い大穴」の道を踏み出したわけだ。
戦国時代の初めの頃は、種子島家は屋久島も領有して、琉球貿易権も種子島ケが占有してたらしい。種子島ケは平家の末裔で‥‥のようなことが書かれている。種子島の地名の由来について
< cite="http://www005.upp.so-net.ne.jp/genjin/E3.htm" title="なるほど種子島 から2008年2月4日12時11分に引用">★種子島の名前の由来 [1] 種子島は細長い島である。アイヌ語で細いことを「タンネ」と言うことから名付けられた。ちなみにお隣の屋久島は固有種の屋久鹿が数多く生存している。鹿のことを「ヤンク」と言う。 [2] 稲の原種「赤米」が弥生時代から栽培されていた。つまり「種の島」だから。 [3] 土を創る神オタツ「雄龍」の神様と草花を創るメタツ「雌龍」の神様、二人で島を創り名前を「種子島」と名付けたと言う伝説がある。 [4]最も信頼のおけるのは、[2]と重複するかもしれないが、飛鳥時代の初めに、種子島の作物、とりわけ稲などは「一つの種子から生き生きと生い茂っていく様子になぞらえて、種子の島であること事から種子島と名付けられた。>のようなことがいわれてるらしい。
文献への初出は「「日本書紀」29巻「天武紀」である。
677年(飛鳥時代・白鳳又は天武6年)2月⇒是の月に多祢嶋人等に飛鳥寺の西の槻の下に饗たまふ」とあるらしい。
タネガシマについて「ぼく自身」の見解を述べさせてもらえば、タ→多→太→田→陀と言い換えることができる。
多、太は→豊穣をあらわし、田は→その豊穣を産むフィールド、陀は→普陀落など、すこし哲学宗教的にになって産み落とされたものが産み落とされる以前にいた場所と産み落とされたものが去りゆくであろう場所をあらわしている。
田はワタのタである。ワタとは海神(わたつみ)のごとく、海のことである。海(ワタ)も田(タ)も胎(ハラワタ)も原(ハラ)も豊穣を産んでくれる場所である。(ああ、今回この文を書いてての発見、海の魚の王、古来王家への貢ぎ物タイも鯛"タのイ(さかな)"だ)
で、ワタのワだけれど、長い道のりであったけれども、ワ→輪→倭→和→丸となって、ようやく「日の丸」「大穴」にたどりつく。
で、タネガシマのネだけれど、ネなのだけれど、これはネ→根→峯となる。根は古来、根の国というがごとく(ケガレなどという倫理観ができる前は)つまり生命が産み落とされる以前やこの世を去ったあと去りゆくべき場所 のことである。
長くなったので、「大穴2008」の続編をかこうとおもう。
でその続章への渡り廊下として、オオタタネコという人物の名を記しておこうと思う。たしか、古事記かなんかの物語の暗記者か、口述筆記者かだと思う。オオタタネコ今回の文章を再度読まれたうえで何度か唱えてみてほしい。
オオタタネコの系譜は、たしか谷川健一氏によれば山(産)鉄民に繋がり、白鳥伝説は北方民族(クズ、尾長族)と天孫族(ヤマトタケル)との葛藤の物語。
ここに、謎の北方(と云われてるのだが‥‥)民族、日高見族の登場を予感させるわけなのだ。
種子島と云えば、飛び道具、ロケットか、種子島銃だろう。種子島銃はハプニングとして種子島に偶然伝来したのであろうか?いや、日高見族の高度な製鉄技術と種子島の良質な砂鉄の存在が・・・・
のような話になるのであろう。
最後に、単に「大穴」とはいうが、競馬では大金を手にすることであり、債券、株、商品取引においては、逆に大損することである。昨今宇宙空間に発見された、ブラックホールならぬ「大穴」に至っては皆目なにも解明されておらぬ。
http://sogakozoh.cocolog-nifty.com/blog/2008/02/2008_1ffa.html#comment-30067849
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