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【コラム】フランスのサルコジと韓国のサルコジ(上) | Chosun Online | 朝鮮日報
今月6日でフランスのニコラ・サルコジ氏が、大統領に当選してから1年になる。そして16日には就任1周年を迎える。しかし、サルコジ大統領は身内でパーティーを開くことはおろか、完全に自粛してこの時期を過ごすことになった。5年の任期のうち、わずか1年が過ぎただけだが、フランス国民からは「もう1度投票できるなら、サルコジ氏ではなく、社会党候補のセゴレーヌ・ロワイヤル氏に入れるだろう」という手痛い評価を受けている。
フランスの変化と改革を訴えて見事当選した右翼のサルコジ大統領は「各種の記録を持つ男」というフランス・メディアの表現のように、驚くべき意欲と情熱で仕事に取り組んだ。ここ1年における国内外への出張は延べ88回で、このうち海外訪問が38回にも上っている。大統領専用機で29万8000キロを飛び回った。これは地球7周分に相当する。フランス国内では海外の首脳と50回にわたる会談を行い、各種の改革や政策を打ち出したほか、19の特別委員会を発足させ、数多くの報告書を作成した。
このように卓越したリーダーシップを発揮したにもかかわらず、わずか1年で戦後のフランス史上、最悪の大統領という汚名を着せられるようになってしまった。昨年5月に就任したときは、第5共和国の初代大統領を務めたシャルル・ド・ゴール氏以降、最も人気のある大統領といわれた。しかし、一時67%を誇っていた支持率は、わずか1年で半分の30%台にまで低下した。歴代大統領のうち、支持率の低下する速度が最速となったのだ。
理由は大きく分けて二つ。ぜいたくな私生活と経済政策の低迷で国民の不信を買ったのだ。就任当初は意欲的に仕事をすることから「スーパー・サルコ」と呼ばれたが、最近では「ブリング・ブリング(ぜいたくと見栄だらけの生活を皮肉った言葉)大統領」というニックネームに変えられてしまった。高かった支持率が低下してしまったそもそもの原因は、離婚後にモデル出身の彼女と超豪華なデートを行い、高級サングラスをかけ、ロレックスの時計を身に着けるなど、大統領らしくない行動を取り、国民の反感を買ったのだ。
パリ=姜京希(カン・ギョンヒ)特派員
http://www.chosunonline.com/article/20080511000017
【コラム】フランスのサルコジと韓国のサルコジ(下) | Chosun Online | 朝鮮日報
こうした醜態を見せられても、せめて経済分野での成功があったなら、国民は我慢したかもしれない。しかし、「フランスを救い、国民生活がさらに向上するよう懸命に働く」としていた公約が一切守られず、こうした状況に国民は一人また一人と背を向けるようになった。実行に移した数多くの改革は大した成果を得ることができなかった上、世界経済が悪化し、原油やパン、牛乳などの値段が急騰したことで、国民生活が窮地に追い込まれているからだ。
期待が大きかっただけに、失望も大きいようだ。英雄サルコジ氏のリーダーシップに対する国民の幻想はもろくも崩れ去ってしまった。明けても暮れても「改革」だけを叫び続けていたものの、一体どこに向かっているのか、どのくらいの時間がかかるのかといった計画やビジョンが提示されていないとの批判を浴びている。
これを受け、一気にフランスを変えるかのように大口をたたいたサルコジ大統領も、性急で傲慢だったリーダーシップと改革の速度を調整している。テレビの生中継を通じ「国民に対して十分に説明することができなかったし、わたしの行動は間違っていた」と認めた。ここ1年間の成果に対する自慢は慎み、5年後に国民の評価を受けるという謙虚な姿勢で再出発を誓ったのだ。
ところで、李明博(イ・ミョンバク)大統領の就任当時、米国の時事週刊誌「ニューズ・ウィーク」は、李大統領を「韓国のサルコジ」と報じた。経済を復興させるための改革を進め、反米から親米へと大転換を図ろうとしている実用主義的リーダーシップが「瓜二つ」だというのだ。そして残念ながら、今では支持率が急降下する姿までも似つつある。コ・ソヨン、カン・ブジャと呼ばれる内閣・参謀に加え、浅はかな国政運営で国民を失望させたほか、最近急速に広がっている狂牛病の問題であからさまになったように、国民の不安を解決し、説得することのできるリーダーシップを発揮することができなかった。
「韓国のサルコジ」は、国民の前に頭を下げたフランスの「サルコジ大統領」を手本に、1日も早くリーダーシップを取り戻し、まずは自分自身の改革から執り行ってくれることを願っている。
http://www.chosunonline.com/article/20080511000018