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http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008042102005302.html
【社会】
北の収容所育ち壮絶23年 脱北の25歳青年が体験記
2008年4月21日 朝刊
北朝鮮の政治犯収容所で囚人夫婦の間に生まれ、2005年に脱北した青年が23年間の労働と拷問に耐えた体験記をまとめ、3月に邦訳を出版した。「過酷な状況に置かれた収容者が一日も早く解放されるよう、体験を伝えたい」と訴えている。
この青年は申東赫(シンドンヒョク)さん(25)。韓国内では昨秋に出版。千葉県在住の北朝鮮問題専門家、李洋秀(イヤンス)さんが邦訳し、KKベストセラーズから「収容所に生まれた僕は愛を知らない」との題で出した
舞台は一九六〇年代に建設されたケチョン十四号政治犯収容所。二度と社会に戻れない「完全統制区域」と呼ばれた。申さんの父は朝鮮戦争時に兄弟が南へ逃れたことが罪とされ、一族が六五年に強制収容されたという。
服従と労働しかない収容所。申さんは収容者の働く意欲を高めるための「表彰結婚」と呼ばれる形式的な夫婦の間に生まれた。監督役の保衛員らを「先生様」と呼び、空腹と拷問に耐え炭坑や農場、工場で働く毎日だった。
「悪夢にうなされながら書いた」という体験は過酷だ。十三歳だった九六年、母と兄が脱走に失敗し、目の前で処刑された。申さんの背中にはその時、拷問で焼かれたやけどのあとが残る。収容所では夫婦もふだんは別居を強いられ、母子は同居できるが子どもが中学生になると離れて暮らす。規律で統制され、愛情を知らずに育つため、「母と兄が処刑された時も特別な感情はわいてこなかった」という。
茶わん一杯のトウモロコシ飯と白菜一枚という生活に「一度腹いっぱい食べたい」と〇五年一月、作業を抜けて脱走した。行動を共にした年上の男性は電気鉄条網に感電して即死。申さんは網のすき間からはい出して逃げすねには鉄条網がえぐったあとが残った。
今春、講演などのために来日した申さんは「私は外の世界をまったく知らない、生まれながらの囚人だった」と語る。凍った国境の川を越え中国の韓国領事館に駆け込み、現在は韓国の人権団体で活動している。ソウルで受けた適応トレーニングで、「友」や「いたわり」という言葉を初めて知ったという。
訳者の李さんは「収容者本人がこの収容所のことを語るのは初めてだ」と話している。
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収容所に生まれた僕は愛を知らない (ハードカバー)