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株式日記と経済展望
http://www5.plala.or.jp/kabusiki/kabu166.htm
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/
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中国ではまず「外国人の排斥」が唱えられ、加えて改革に必要不可欠な
西洋文明の摂取もまた拒否されるという、最悪の展開になったのである。
2008年4月19日 土曜日
◆中国は果たして国家だったのか 2006年6月14日 伊藤哲夫
http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=32
◆政策としてのボイコット・排外宣伝
ところで、問題はかかる国家の崩壊的状況だけではなかった。
確かに、冒頭に紹介した報告書の指摘に「之等の状態は、支那の接触し来れるあらゆる国家に不利なる結果を及ぼし来れるものにして」とあるごとく、こうした状況により、中国に関わりをもつ全ての国々が混乱に巻き込まれ、甚大なる損害を受けたというのは否定しがたい事実であった。相手にすべき政府がいくつもあり、条約上の義務が何ら履行せられず、通貨が安定せず、加えて治安が保障されない……といった状況では、どの国といえどもその条約上保障された権益を維持できず、また自国民の生命財産すら充分に守ることができなかったからである。
しかし、問題はそれだけではなかった。この上に、更に「排外運動」という積極的敵対行動が加わったのである。これはかのワシントン会議以降の、最も重要な状況変化ともいえたが、この間の事情を報告書は次のように述べている。
「支那は華府会議を機とし、其の困難を解決する為の国際的協調の道程に上りたるを以て、若し右道程に従い進みたるに於ては爾後の十年間に於て更に顕著なる進歩を遂ぐることを得たるなるべし。只支那は其の毒々しき排外宣伝の遂行に依り妨害せられたり。右宣伝は特に二方面に於て実行せられ、其の結果現在の紛争を惹起せる雰囲気の醸成を誘導せり。即ち……経済的『ボイコット』の利用及諸学校に対する排外宣伝の注入之なり」
ワシントン会議の精神を中国が本当に尊重し、守っていたならば、中国の立場は今日、著しく改善せられていたであろう――というのが報告書の見方であった。しかし、中国が実際に行ったことは、その正反対のことだった。むろん、この二つの行為は別々のものではなく、その根底における国民党及び国民政府の排外政策――つまり「革命政策」として一体のものとはいえた。報告書は述べている。
「国民党の勢力は、一切の外部的勢力に益々反感を抱かんとする異常なる色彩を、支那の国民主義に注入し来り……右主義は租借地、鉄道付属地に於て、外国の手により行使せらるる行政上、及他の純粋に商業的ならざる諸権利、租界に於ける行政権、並に外国人が支那の法律、法廷及課税に服従せざることを意味する治外法権の返還を要求す」
ワシントン会議以降の中国の最大の特徴は、国民党がその中心的な政治勢力になっていったという事実であった。しかしてその国民党は、いわゆる「革命政策」なるものを執拗に追求し、「不平等」条約の一方的廃棄、外国の権利の実力的排除をその基本的外交政策として掲げていたのである。この要求は「単なる『要求』に止らずして支那官憲が一方的に宣言及暴力に依りて飽迄も実現せしめんと決意し居たる」ものに他ならなかった――とは先に紹介した帝国政府意見書の指摘だが、その意味で、かかるボイコットも学校における排外宣伝も、要はこうした政策の通常の一環に他ならなかったということなのである。
ともあれ、そのためにまず重視されたのが学校教育であった。彼らは青少年の脳裏に激しい外国人憎悪の念を吹き込むべく、以下のごとき作業に狂奔したのだ。
「青少年の教育に当たり、注意は国民主義の建設的方面に対するよりも、寧ろ其の否定的方面に注がれたり。諸学校の教科書を熟読する者は其の著者が愛国心を燃すに憎悪の焔を以てし、男性的精神の養成を被害者意識の上に置くことに努めたりとの印象を得。此の結果として、学校に於て植付けられ且社会生活の有らゆる方面を通じて実行せられたる毒々しき排外宣伝は、学生を駆って、政治運動に従事せしむることと為り、時には国務大臣其の他の官憲の身体、居住又は官庁の襲撃又政府の顛覆を計るが如き事態に立至らしめたり」
◆国民党こそ日本ボイコットの主役
ボイコットはそうした精神的下地の上で行われたものであった。報告書はこのボイコットについても、詳細なる分析を行っているが、とりわけこのボイコットと国民党との関係については、以下のような興味深い指摘を行っている。
「一九二五年より以来『ボイコット』組織に確定的変化起れり。国民党は其の創設以来同運動を支援し、順次の『ボイコット』に其の支配を増加し、遂に今日に於ては其の実際の組織的、原動的、調整的及監督的要素たるに至れり。……同党は全国に支部を有し、広汎なる宣伝及び情報機関を所有し、強き国民主義的感情に刺激せられ居るものにして、当時迄稍散在的なりし運動に組織及び刺激を与うることに急速に成功せり。其の結果として商人及一般民衆に対する『ボイコット』組織者の強制的権力は以前よりは一層強きを加えたり」
ちなみにいえば、この国で国民党といえば、欧米やわが国で意味するごとき単なる政党ではないことは、この際決して見落されてはならない重大なポイントであろう。それは憲法に基づく正規の国家機関であり、その意味では国民党の行動は、即国民政府が責任を負うべき行動を意味していたのである。以下は、その国民党が公然と行ったボイコット運動に対する、報告書の詳細な分析の一部である。
「使用せられたる方法の技巧を検討するに、『ボイコット』の成功に必須なる民衆感情の雰囲気は、『仇国』に対する民心を刺激する為巧妙に選ばれたる標語を用い、全国に亘り統一的に実行せられたる猛烈なる宣伝に依り創生せられ居るを見る」
「委員会の実見せる現在の対日『ボイコット』に於ては、民衆に対し日貨の不買が愛国的義務なるを印象する為め有らゆる手段が使用せられ居たり。例えば支那新聞紙の紙面は此の種宣伝に充たされ、又市内の建築物の壁は『ポスター』を以て蔽われ居りたるが、此の種『ポスター』には屡々極端に激烈なる性質のものあり」
「この種宣伝が……世界大戦中欧米の或る国々に於て用いられたるものと本質的に異ならざるの事実は、日支両国間の政治的緊張の結果として、支那人が日本に対して感ずるに至れる敵意の程度を証するのみ」
まさに、これがボイコットと呼ばれるものの実態だったといえるだろう。
つまり、ボイコットは、もはや単なる「抗議の手段」などではなかったのである。先の帝国政府意見書も指摘するごとく、それは「外国をして其の条約上の権利を抛棄せしめんとする国策遂行の手段として使用せられたもの」――に他ならないといえた。わが国はまさにこうした不法、かつ激烈な「排外運動」の中で、自らの合法的な権利、及び自国民の生命財産を守るという難題に直面させられていたということなのである。
◆「政府なき中国」という「責任」
さて、これが満洲事変の背景となった当時の中国の状況であった。
過去の戦争において、日本側は中国国民に重大な損害を与えた。それゆえ「その責任を痛感し、深く反省する」――これが冒頭にも紹介した日中共同声明の一節であった。しかし、それではこのような状況を醸成し放置し、わが国をしてあのような行動を余儀なくせしめた「中国側の責任」はどうなるのだろうか――。それがここでの疑問なのであった。日本側最終弁論は次のように述べている。
「中国問題の根底に横わっている同国の内部不統一、其の結果として外国人の生命財産が常に曝され居る不安状態、学校に於ける排外心の注入、及び青年に対する排外宣伝、外国人に対する徹底的『ボイコット』手段、条約の一方的廃棄、其の他『革命外交』の原理に由来する凡ゆる手段は、相俟って鞏固なる統一政府なき中国に発生する各種問題に対し、全然特殊なる性質を与え、通例の処理方法を困難ならしめたのである」
むろん、これについては、報告書も次のように指摘しているのを忘れてはならない。つまり、日本はこのような状況の中で、地理的あるいは歴史的にいって、他国とは比すべくもないとりわけての深刻なる不利益を蒙らざるを得なかったということである。
「日本は支那の最近接せる隣国にして、且最大なる顧客なるを以て、日本は本章に於て記述せられたる無法律状態に依り、他の何れの国よりも苦しみたり。支那に於ける居留外人の三分の二以上は日本人にして、満洲に於ける朝鮮人の数は約八十万を算す。故に、現在の状態に於て支那の法律、裁判及課税に服従せざるべからずとせば、之に依り苦しむ国民を最も多く有する国は即ち日本なり。日本は其の条約上の権利に代わるべき満足なる保護が期待し得られざるに於ては、到底支那側の願望を満足せしむることは不可能なるを感じたり」
結局、こうした中でわが国がとらざるを得なかったのが、「自国に依り其の権益を保護する制度を維持」するという政策であり、また「武力に依り其の権利を保護」するという手段であったのである。むろん、そこには当時、国際的に根強い批判もあったことは言を俟たない。しかし、中国のこのような状況は世界のどの部分でも見ることのできない特異な状況であり、そうである以上「国際慣例及自衛権行使の態様は支那に於ては、他の文明国に於て見ざるがごとき特質を有す」――というのが、わが政府の認識であったのである(以上は帝国政府意見書より)。
この点については、実は報告書も次のように述べている。
「外国関係に於ける支那の国民的願望の実現は、内政の分野に於て近代的政府の機能を発揮する能力の如何に基づくものなり。然してこれ等の機能の齟齬が除去せられざる限り、国際的軋轢及事件の発生の危険『ボイコット』並に武力干渉は継続せらるべし」
わが国の行動は全て正しい――などといいたいのではない。しかし、わが国がそうせざるを得なかった背景、歴史的経緯というものが、今日のように全く無視されるという風潮は果たして正常なものなのか、ということがいいたいのである。「歴史認識」といえば「反省」という単純な条件反射ではなく、もっとこういうことが議論されてもいい時なのではなかろうか。
(私のコメント)
北京オリンピックにおける聖火リレーの抗議へのゴタゴタは、中国国内に十分に伝わっていないようだ。ネット時代でもあり海外の中国人も多くいるのだから、チベット暴動への血の弾圧が非難されている事はある程度は伝わっているはずなのですが、中国人たちはロンドンやパリでは在留中国人を動員して中国支持デモをしている。
中国への抗議は、中国人は中国への侮辱であると捉えて、欧米への抗議として中国支持デモが行なわれるようだ。フランス資本のカルフールへの不買運動なども呼びかけが行なわれている。さらにはアメリカ資本のケンタッキーフライドチキンやマクドナルドへの不買運動へも広がるだろう。
このような動きは戦前の中国の状況を連想せざるを得ないのであり、中国人の排外主義はDNAの中に組み込まれているのだろう。4年前の反日デモも排外主義によるものであり、経済発展により今まで抑え込まれていた感情に火がつきやすい状況になってきている。
伊藤哲夫氏の記事において、リットン調査団の報告書が紹介されていますが、青少年への愛国心教育が排外主義を煽って外国人への憎悪を植えつけていた。これらは建設的な方向よりも進歩発展に対する否定的な感情を青少年に植え付けてしまう。確かに治外法権や租借地などの問題があり排外主義に火がつきやすい状況もあった。
現代においても、中国国内には多くの外資系企業が操業しており、外国人の経営幹部によって経営されている事は中国人のプライドと中華意識を傷つけるものだろう。経済が順調に発展しているうちはいいが、中国の生産コストが上昇して輸出競争力を失って、外資系企業も中国からベトナムなどへ移転を始めるほどになり、労働争議が多発する状況になるだろう。
今回の聖火リレーへの妨害に対して中国人は外資系企業への不買運動などで対抗しようとしている。反日デモにおいても日系の飲食店への投石がありましたが、中国においてはこのような排外運動が起きやすい。中国の地方政府などはまだまだ外資系企業を呼び込んで地域の発展につなげようとしていますが、全体的に見れば貧富の格差の拡大や内陸地域の開発格差が問題になっている。
年収が100ドル以下の貧民が9000万人もいるのに、上海では超高層マンションに高級外車を乗りまわす富豪が誕生している。およそ社会主義国家とは言えなくなり、共産党による共産主義革命はなんだったのかということになりますが、当然国民は内部矛盾に対して不満を持っているだろう。
戦前の国民党と現在の共産党とどれだけの違いがあるのだろう。オリンピック景気が終わり宴の後には歪みの是正に取り組まなければなりませんが、中国の経済発展は外資による資本と技術移転によるものであり自立的なものではない。豊かな沿岸部から税金を取り立てて奥地の開発に振り向ける事ができるだろうか?
チベットの暴動も、不満を持つ軍部や武装警察などによる中央政府への不満だと前に書きましたが、地域の格差は内乱を予感させる。愛国運動を青少年に植えつけて来た結果、ネットでは欧米への反感が盛り上がっている。外資企業への不買運動からチベットで見られたような商店への焼き討ちに広がる可能性もある。それが中央政府への反乱につながれば内乱になってしまう。
日本からも二万社も中国に進出していますが、戦前のような邦人への暴行事件も予想される。このような愛国運動に名を借りた排外運動が大きくなれば武装警察はそれを鎮圧するだろうか? 反日デモでも武装警察はデモ隊に対して何の鎮圧行動も取らなかった。デモ隊を鎮圧する事は「愛国無罪」をスローガンとする愛国運動を否定する事につながるからだ。
このように戦前の排外運動を連想されるような動きが顕著になり、共産党の腐敗汚職も戦前の国民党の腐敗汚職となんら変わりがなくなってきている。アメリカなどは中国が豊かになれば民主化も進むとオリンピックを後押ししたのでしょうが、豊かになれば政府の腐敗汚職が進んで、より管理体制を強化して民主化から離れていく。
「株式日記」では中国へは企業進出すべきでないと何度も主張してきた。進出したとしても何時でも外国に脱出できるような危機管理体制が必要だろう。通州事件のような日本人への襲撃事件が起きるような事態も想定できますが、北京政府は抑えることが出来なくなり、結局は日本政府に邦人保護を頼るようになるだろう。このようにして戦前も日本は中国に引きづり込まれて行ったのであり、支配しようとする野心で日本軍が中国に攻め込んだわけではない。
当時の中国は治安の維持もままならず、日本人に限らず外国人にとっては中国人の排外主義による襲撃事件が頻発した。映画の「砲艦サンパブロ」などを見れば当時の中国の状況がよく分かる。しかし昔も今も中国進出を夢見る日本人が後を絶たず、現在でも中国在留邦人は10万人を越える。しかしこの10万人はいつ中国の人質になるかもしれない。しかし救出に自衛隊を出動させれば戦前と同じになってしまう。しかし通州事件を知る人は歴史でも教えないから数少ない。
最近の聖火リレーのゴタゴタをめぐる中国の反応を見るにつけて、中国人の排外主義のDNAが再び目覚めてしまったような気がする。北京政府は国民の内政に対する不満をそらせるために、外国人や外資系企業に矛先を向ける危険性がある。特に日本に対しては愛国運動によって青少年に反日感情が植え付けられているから火がつきやすいだろう。
◆消された「通州事件」
http://www.h3.dion.ne.jp/~urutora/tushujiken.htm
盧溝橋事件の約3週間後に起こった、おそるべき虐殺事件についてご存知でしょうか。北京の東にある通州というところで起きたこの「通州事件」は、今ではほとんど語られません。学校の教科書には全く出てきませんし、多くの歴史書や年表にも殆ど載っていません。若い人たちは、事件の名前すら知らない人が殆どでしょう。
この通州事件は、昭和12年(1937)7月29日に起こった、中国人の保安隊による大規模な日本人虐殺事件です。殺されたのは、通州の日本軍守備隊、日本人居留民(多数の朝鮮人も含む)の約260名で、中国兵は、婦女子に至るまで、およそ人間とは思えないような方法で日本人を惨殺したのです。
戦後の東京裁判で、弁護団は通州事件についての外務省の公式声明を証拠として提出しようとしました。しかし、ウェッブ裁判長によって、その申し出は却下されました。この事件にふれてしまうと、日中戦争は日本だけが悪いと言えなくなってしまうという判断があったからでしょう。ただ、通州事件の目撃者による口述書だけは受理されました。あまりに残虐な内容ですが、その一部を引用します。
「守備隊の東門を出ると、数間ごとに居留民男女の死体が横たわっていた。某飲食店では、一家ことごとく首と両手を切断され、婦人は14、5歳以上は全部強姦されていた。旭軒という飲食店に入ると、7、8名の女が全部裸体にされ、強姦射刺殺され、陰部にほうきを押しこんである者、口中に砂を入れてある者、腹部を縦に断ち割ってある者など見るに堪えなかった。東門の近くの池では、首を電線で縛り、両手を合わせて、それに八番線を通し、一家6名数珠つなぎにして引き回した形跡歴然たる死体が浮かんでおり、池の水は真っ赤になっていた。夜半まで生存者の収容に当たり、『日本人はいないか』と叫んで各戸ごとに調査すると、鼻に牛のごとく針金を通された子供、片腕を切られた老婆、腹部を銃剣で刺された妊婦などが、そこそこのちり箱の中やら塀の陰から出てきた」
どうでしょう、これが人間のやることでしょうか。中国の保安隊は、日本人居留民を通州城内に集め、城門を閉じ、逃げられないようにして、一斉に殺戮行為を開始したといいます。決して偶発的な出来事というわけではなく、明らかに事前準備と計画をともなった組織的な行為だったのです。
当然ながら、この虐殺の報は現地の日本軍兵士を激昂させましたし、日本国内にも伝わって、国民の中国に対する怒りは頂点に達しました。
盧溝橋事件は、純粋に軍どうしの衝突であり、それは現地で解決がはかられました。ところが、この通州事件は明らかな国際法違反であり、その殺し方はまさに鬼畜のしわざとも言えるものでした。当時の日本人の反中国感情はこの事件を抜きにして理解することはできないのです。また、この事件に触れずに日中戦争を語ることはできないと思います。