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(回答先: 2008/04/12-23:55 チベットの役場爆発で9人逮捕=暴動と関連付けず−中国新華社【時事通信】 投稿者 tk 日時 2008 年 4 月 13 日 03:09:01)
なぜかチベットの僧侶は荒っぽい感じがする。
河口慧海の旅行記は1900年頃の話なので、今でも同じかどうかは分からないが、「壮士坊主」という種類の「僧侶」が居たと書いてある。昔の比叡山の僧兵とか少林寺のようなものか・・。
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『チベット旅行記』(3)河口慧海、p.21
第65回 壮士坊主
修学僧侶と壮士坊主
なお一つ話して置きたいのは僧侶の種類です。大きく分かちて2通りある。その一つは修学僧侶で、一つは壮士坊主、修学僧侶はその名のごとく学問をするために来ておりますので、これは幾分の学費がいるのです。沢山ではありませんけれど、どう始末しても月に3円位、当たり前にやれば8円もかかります。・・・・
ところで壮士坊主というのはもちろん学問を修行するだけの学資金がない。けれどもやはり僧となって其寺へ入っておりますので、何をするかというと野原に集めてあるところのヤクの糞を背負ってくるとか、あるいは南方のサムエヤ、あるいはコンポから運んできたところの薪を、ラサ川端からセラまで運んで来るというような仕事をします。それから修学僧侶の下僕にもなるのです。それらはまあよい方の仕事で、なお大きな笛や笙篳篥(しょうひちりき)を吹いたり太鼓を打ったり、あるいは供養物を拵えたりするのも、やはり壮士坊主の一分の仕事になって居るのです。
壮士坊主の課業
これらはまあ下等な僧侶としてなすには恥ずかしからぬ業ではあるけれども、壮士坊主と言われるだけの奇態な事を課業として居る奴があります。その課業は毎日ある山の中に参って大きな石をぶん投げるんです。で、その大きな石をどの辺まで投げたかという距離の程度によって、その筋肉の発達いかんをためし、あるいは其石をどこへ当てるかという的を付けて、そうしてその石をぶん投げるということを奨励します。また高飛びもやるのです。走って行って山の上へ飛び上がるとか、あるいは岩の上から飛び降りるとかいうような事をやるんです。その間には大きな声で俗謡を歌う。その声が非常に大きくってどこまでもよく通って美しいというのが壮士坊主の自慢で、どうだこれくらいの声なれば向こうに張ってある窓の紙を破り抜くことができるだろう、というような事を言って誇って居るんです。その上にまた棒の殴り合いを始める。
それらが日々の壮士坊主の課業で、寺にきまった用事がなければ必ずそれらの者が三々五々、隊を成して、思い思いの場所に到ってその課目を怠らずに修練して居る。そういう坊主は一体何の役に立つのだろうかという疑いが起こりましょうが、此僧がチベットでなかなか要用なんです。時にラマが北原とかあういは人のいない地方へ旅行する時分には、壮士坊主が護衛の兵士となって行きますので、なかなか強いそうです。自分に妻子がいないから死ぬことは平気で、何とも思わずに猪武者で戦いをやるものですから、チベットでは坊主の暴れ者は仕方がないという評判さえ立って居るんです。そうしてまた壮士坊主は喧嘩をよくする。・・
・・
(坊主同士の決闘のルールやもあったらしい・・)
・・公然決闘を申し込むんです。申し込まれた時分にはどんな者でも後へ退くというような事はしない。退けばその時限りで壮士坊主の仲間から刎ね退けられて寺に居ることができない。その壮士坊主にもちゃんと親方もあり、また仲間の規則もちゃんと立って居て、その規則を司って居る奴がある。それは寺内の公然の秘密で、つまり寺内の僧の長官も何か事の起った時分には、その壮士坊主の長に命じていろいろ働きをさせているものですから、まず壮士の長や壮士坊主等が僧侶にあるまじき行いをしているのを公然の秘密として許されて居るのです。
壮士坊主の決闘
そこで両方とも承諾していよいよ決闘となりますと、所をきめて大抵夜分出かけて行く。そうして各自に刀をもって果合いをやるのです。それには立会人があって、どっちの遣り方が善いとか悪いとかいう判断を下します。あまり卑怯な遣り方をすると、その遣り方をした奴が殺されるまで打棄って置くそうです。しかしどっちも好い塩梅に出掛けてどっちにもよい程の疵、立会人はその喧嘩をよさしてしまう。で、そのまま事を済ませよと言って、ラサ府へ引っ張って居って酒を飲むのだそうです。もちろん酒はセラの寺内では非常に厳格に禁ぜられておりから決して飲むことは出来ないけれど、ラサ府に行けば壮士坊主の中には随分酒を飲んで横着な事をやる奴が沢山あるそうです。
(で、河口さんが壮士坊主のケガの治療をしたら「生きた薬師様」p.49あつかいされてしまった、という話につながる)