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パキスタンの裏側 [田中宇氏も911に迫る]
http://www.asyura2.com/07/war99/msg/615.html
投稿者 B.J.Thomas 日時 2008 年 1 月 10 日 16:42:39: WXAtymX0xLLSc
 

★パキスタンの裏側

以前から気づいていながら、書きそびれていたテーマのひとつに「2001
年の911テロ事件の黒幕の一人は、イギリスの諜報機関MI6のエージェン
ト(雇われスパイ)だったらしい」という話がある。問題になっている人物は、
アーメド・オマル・サイード・シェイク(Ahmed Omar Saeed Sheikh)という、
パキスタン系のイギリス人である。

 911の実行犯グループのリーダーだったとされるモハメド・アッタは、事
件の1年ほど前から、アラブ首長国連邦(UAE)の口座から送金を受け、こ
れがグループの活動費になったとされるが、アッタに金を送ったのが、サイー
ド・シェイクだったと報じられている。

 サイード・シェイクは、イギリス生まれの頭の良い青年で、1992年にイ
ギリスの一流経済大学であるロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)
に入学し、数学を勉強していたが、在学中にイスラム主義思想に興味を持ち、
イスラム主義の活動家になって、MI6に勧誘され、旧ユーゴスラビアのボス
ニアに送り込まれた。

 ボスニアでは、セルビア人の勢力とボスニア人(名目的イスラム教徒)の勢
力が内戦をしており、ボスニア人を名目的なイスラム教徒から、過激なイスラ
ム主義勢力へと扇動し、ロシアとつながるスラブ系のセルビア人との内戦を助
長する作戦がMI6などによって展開されていた。

 サイード・シェイクはその後、パキスタンから1994年にインドに移り、
そこでイギリス人を誘拐したため、捕まって服役していた。ところが、1999
年にパキスタンのイスラム主義勢力が起こしたインド航空機ハイジャック事件
で、犯人たちがサイード・シェイクらの釈放をインド政府に要求したため、
超法規的措置として釈放され、パキスタンに移った。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ahmed_Omar_Saeed_Sheikh

▼ビンラディンに協力してアルカイダを養成したMI6

 サイード・シェイクは、99年から01年の911事件まで、パキスタンに
住んでいたが、その間、パキスタン軍の諜報機関ISI(統合情報局)と親交
を深め、ISIが用意した家に住んでいた。00年と01年初めにはイギリス
の親元に帰省したが、その際にはイギリス当局にも捕まらなかった。94年に
サイード・シェイクに誘拐されたイギリス人被害者らは、英当局がサイード・
シェイクを放任していることについて怒りの表明をしたが、英当局は無視した。
http://www.cooperativeresearch.org/essay.jsp?article=essaysaeed

 サイード・シェイクは911まで、パキスタンとアフガニスタンを往復し、
アフガニスタンに住んでいたオサマ・ビンラディンにも会い「アルカイダ」の
テロリスト育成に協力したと報じられている。サイード・シェイクはこっそり
生活していたのではなく、堂々とパキスタンの当局者と交流しながらテロ支援
しており、英MI6も米CIAもそれを知りつつ、何もしなかった。

 911後、サイード・シェイクがモハメド・アッタに送金していたことが報
じられたが、この後、サイード・シェイクはMI6ではなく、パキスタン当局
(ISI)のエージェントとして米英のマスコミで描かれるようになり
「911はISIが起こした」と糾弾されるようになった。米英のマスコミで
は、サイード・シェイクがMI6だったことは出てこなかった。

 その後、ISIばかりが悪者扱いされていることへの抵抗として、パキスタ
ンのムシャラフ大統領は06年9月に「サイード・シェイクはもともとMI6
のエージェントだった」と暴露した。
http://www.gulf-times.com/site/topics/article.asp?cu_no=2&item_no=110171&version=1&template_id=41&parent_id=23

 ISIは、パキスタンを植民地から独立させた英当局の肝いりで作られ、
80年代にソ連がアフガニスタンを占領していた際には、CIAとMI6が
ISIをテコ入れし、パキスタンやアフガニスタンのイスラム主義者を動員し
てゲリラ戦をやらせていた。MI6は長兄、CIAは次男、ISIは三男とい
う関係である。「一度CIAに入ったら、一生CIA(Once CIA, always CIA)」
という格言もある。暴力団や警察官の世界と同じで、一度入ったら、完全に抜
けることはできず、死ぬまで関係者である。サイード・シェイクはMI6から
ISIに転向したのではなく、MI6を長兄とする諜報の世界で生きていた。

(ほかに兄弟機関としてイスラエルのモサドもあり、MI6とCIAは、イス
ラム主義のISIと、イスラム主義の敵であるモサドの両方を弟分として持っ
ているところが、国際諜報の世界の複雑さであるとともに、ダイナミズムである)

 その後サイード・シェイクは2002年に、ウォールストリート・ジャーナ
ル(WSJ)のパキスタン駐在記者を誘拐・殺害した容疑で逮捕され、死刑判
決を受け、勾留されている。

(WSJがネオコン系の新聞である。ネオコンは、国防総省を支配し、アメリ
カの諜報機能をCIAから奪って国防総省に集中させようとしたり、イギリス
の巧妙な外交戦略に協力するふりをして軍事偏重にして失敗させたり、欧米協
調を破壊した「単独覇権主義」を振り回したりした「隠れ多極主義」である。
MI6の財産だったサイード・シェイクが、WSJ記者殺害の罪で消された背
景には、アメリカの隠れ多極主義勢力が、イギリスによる諜報を使った巧妙な
世界支配をぶち壊そうとしている動きがあると感じられる。確証はないが)

▼世界的な諜報独裁体制を作る

 911事件は、米当局がテロ発生を黙認しない限り、起きなかった事件であ
る。当日の防空体制は、ハイジャック機が貿易センタービルに突っ込む直前ま
で、なぜか機能していなかった。事件後は、真相をうやむやにする小細工的な
措置が、米政府によっていろいろと採られている。そのことと、モハメド・ア
ッタに送金していたり、テロリスト養成を手伝ったりしていたサイード・シェ
イクがMI6のエージェントだったことを合わせて考えると、911事件は、
米英の諜報機関が画策し、発生を誘導した事件だったと考えられる(パキスタ
ン当局も協力した)。
http://tanakanews.com/911.htm

 911事件後「テロ戦争は40年続く」「100年続いても不思議ではない」
といった言説が、米英当局の関係者から発せられていることから考えて、911
事件から始まった「テロ戦争」は、米英の諜報機関が「アルカイダ」という
実体不明のテロ組織を動かし、テロ組織と、テロと戦う当局という敵味方の両
方を、米英諜報機関が操り、冷戦をしのぐような、長期的な世界支配を試みる
企画だったのではないかと考えられる。

 米英諜報機関は、ある程度以上の人数のイスラム教徒が住んでいる国で、イ
スラム社会にアルカイダの思想を吹き込んでテロ組織を作る。そして、その国
の政府に「貴国にはアルカイダがいるので対策が必要だ」と言って、その国の
諜報部門に介入し、国家機密などにアクセスしてしまう。その国の政治家が抵
抗したら、アルカイダにテロを起こさせる。世界中の国々の諜報機関をおさえ
ることで、米英は「諜報独裁」ともいうべき長期的な世界支配が可能になる。

 テロ戦争を戦略として考えると、以上のようなものになるが、実際には、テ
ロ戦争は成功していない。それはアメリカ政府が911以降、テロ戦争とは似
て非なる、奇妙な自滅的な言動を繰り返したからである。ブッシュ政権は、テ
ロ戦争を「軍事力による民主化」とすり替え、世界のイスラム教徒を反米で団
結させ、アフガンでもイラクでもパキスタンでも失敗し、テロ戦争を米英の敗
北へと誘導している。加えて米政府は、同盟国不要論である「単独覇権主義」
を宣言し、米英が協調して世界を支配する体制を破壊した。

 このような展開を見て、私はこれまで「911以来、アメリカの中枢で、好
戦派と現実派、隠れ多極主義者と米英中心主義者が暗闘し、好戦的な隠れ多極
主義者が勝っているのではないか。911は米英中心主義者による戦略で、そ
の後の自滅は隠れ多極主義者の戦略ではないか」などという仮説を考えてきた。

▼クリントンの南アジア安定化策を潰したイギリス

 ところが今回、パキスタンのブット元首相の暗殺を機に、この記事を書くこ
とを考え、年末から考察を重ねているうちに、実は911とその後のテロ戦争
は、アメリカがイギリスを騙して巻き込み、米英中心の世界体制を崩壊させる
大がかりな作戦だったのではないか、という新しい仮説を考えるに至った。少
し歴史をさかのぼり、1990年代のクリントン政権時代の戦略から説明する。

 1993年から2001年までのクリントン政権は、経済的には米英中心主
義で、ニューヨークとロンドンを世界の金融中心として機能させ、米英両方を
儲けさせたが、軍事的には、イギリス好みの冷戦体制や世界分割支配を終わら
せて世界を安定化し、アメリカの軍事負担を減らそうと試みた。1994年に
は、パキスタンのISIがタリバンを結成させ、パキスタンの影響下でタリバ
ンがアフガニスタンを再統一することを容認した。クリントンは1999年に
は、インドとパキスタンの間の和解を試みた。

 これらのアメリカによる安定化策は、イギリスにとって大きな迷惑だった。
イギリスは、第二次大戦後にインド植民地を放棄した後も、この地域をインド
とパキスタン、アフガニスタン、バングラデシュなどに分裂させた上で影響力
を行使する間接支配戦略を採っていた。印パ間にはカシミール問題が残され、
双方のナショナリズムが問題解決を不能にする体制が作られている。アフガニ
スタンとパキスタンの国境(デュアランド線)は、アフガニスタンの主力民族
であるパシュトン人の居住地域が分割されるように引かれ、パキスタンは常に
辺境地域の反乱に悩まされ続けて弱いままで、イギリスの影響下から出られな
かった。

 クリントンのアメリカは、これらのイギリスが作った間接支配のためのタブ
ーを破壊し、パキスタンがタリバンを使ってアフガニスタンを影響下に置いて
安定させることを黙認する一方で、パキスタンにカシミール問題で譲歩させ、
印パ間を和解させようとした。

 これに対してイギリスは、MI6などがパキスタンのイスラム主義を扇動し、
カシミール問題でインドに譲歩するのは絶対ダメだという世論を作った。MI6
のエージェントだったサイード・シェイクによる、インドのイスラム教徒の過
激化を扇動する作戦や、アフガニスタンでのテロリスト養成は、その一環だった。

 イギリスの策動の結果、アメリカに誘われてインドと和解交渉していたパキ
スタンのシャリフ首相は、1999年にイスラム主義者の反乱に負けて辞任し、
代わりにイスラム主義者の支持を受けてクーデターを起こした軍のムシャラフ
将軍が政権を奪取した。クリントンの南アジア安定化策は失敗した。
http://tanakanews.com/991014pakistan.htm

▼クリントンが左からやって失敗したことを、ブッシュが右からやる

 その後のアメリカは、逆に、イスラム主義者のテロ活動を扇動するイギリス
の戦略に乗る傾向を強め、2000年以降、アメリカのマスコミでは「イスラ
ム原理主義のテロがいずれ起きる」といった特集がよく組まれるようになった。

 分割支配戦略のイギリスは、パキスタンの影響下でアフガニスタンが統一さ
れることを嫌がり、タリバンを「人権侵害」「女性差別」の観点から攻撃する
世界的プロパガンダを展開したが、アメリカはこれにも乗り、アフガニスタン
の反タリバン勢力を糾合した「北部同盟」の結成にも力を貸した。これらの流
れの末に911事件が起こり、米英軍はアフガニスタンに侵攻してタリバンを
打ち破った。首都カブールには、反パキスタン的な米英傀儡のカルザイ政権が
でき、イギリスの分割支配が戻ったように見えた。

 しかし、実はアメリカは「クリントンが左からやって失敗したことを、ブッ
シュが右からやっている」だけだった。クリントン政権は正面から印パの指導
者に働きかけて和解させようとしてイギリスに邪魔されたが、この教訓を受け
たブッシュ政権は、イギリスの戦略に協力するふりをして意図的に過激にやり
すぎ、イギリスの戦略を破綻させている。(ブッシュは、イスラエルに対して
も同じ手法を採っている)

 テロ戦争は、諜報機関を使って世界各国の内政に介入する点ではイギリス風
の戦略だが、イスラム対欧米という二元論の対立の構図にしてしまったのは全
くの失敗で、二元論的な戦略を出したのはアメリカである。そもそもテロ対策
を「戦争」と銘打った最初の時点から、軍事的にやりすぎて破綻する方向性が
始まっていたともいえる。イギリスは昨年末「テロ戦争」という用語の使用停
止を公式に決めた。
http://www.military.com/NewsContent/0,13319,159067,00.html

 アメリカは911直後のアフガン戦争でタリバンを破り、イギリスの望みを
かなえてやったが、ここにも大きな落とし穴があった。米軍は2002年初め
にタリバンに勝ってから、06年までアフガニスタンを軍事占領し、全土をほ
ぼ安定させたということで、占領をイギリス主力のNATOに引き継いだ。ア
メリカはイラクで苦戦して過剰派兵になっており、アフガンでの負担を軽減す
るしかなく、イギリスはアフガンを失わないためにも引き受けるしかなった。

 イギリスは、一国では軍事的にアフガニスタンを支配する力がなかったので、
ドイツやオランダ、カナダなどのNATO諸国を巻き込み、NATOがアフガ
ン復興を手がけるといううたい文句で、米軍からアフガン駐留を引き継いだ。
ドイツやカナダなどNATO諸国は、タリバンはアメリカが完全に潰しており、
もはやタリバンと戦う必要はなく、アフガンの復興を手伝うだけで良いという
イメージで、軍隊をアフガンに派遣した。

▼イギリスのアフガン占領延命策を妨害するアメリカ

 タリバンは、米軍のアフガン侵攻によって一度は打ち負かされたが、蹴散ら
されて山中にこもっただけで消滅していなかった。NATO軍がアフガン占領
を開始すると、タリバンは待っていたかのようにゲリラ戦を激化し、NATO
は窮地に立たされた。
http://tanakanews.com/g1207NATO.htm

 ほとんど戦う準備もなく進駐したNATO軍は、各地でタリバンに包囲され、
兵舎から出られない状態になった。アフガンの国土の4分の1は、昼はNATO
支配下、夜はタリバン支配下という状態だ。英独カナダなどの国民や議会は
「戦闘」ではなく「復興支援」のイメージでアフガン派兵を了承していたので、
戦闘で自国の兵士が一人でも死ぬと、一気に反戦気運が高まった。政府は自国
兵士が死ぬと支持率が低下するので、NATO軍はますます陣地に引きこもり、
外に出なくなった。ドイツ軍は、闇夜で襲撃されることをおそれ、午後3時に
戦闘を打ち切って日暮れ前に陣地に戻り、夜は兵舎でビールを飲んで過ごして
いる。
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/JA03Df02.html

 すでにNATO軍は、アフガンで勝てる見込みがほとんどない。イギリスは、
MI6要員や外交官をタリバン側に派遣して一時的な停戦交渉を重ね、何とか
NATOの駐留を維持している。イギリスは07年夏には、アフガニスタンの
各勢力と、パキスタン側のパシュトン人(アフガン系)の各種勢力を集めて、
大きな和平会議(ジルガ)を開き、そこにパキスタンのムシャラフ大統領も参
加させている。戦闘すると負けて撤退せねばならなくなるので、イギリスは、
何とか戦闘を避けながら、アフガン支配を維持しようとしている。
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/IH18Df05.html

 またイギリスは、アフガニスタン駐在の国連とEUとNATOの代表を一人
に統合する「アフガン総督」的なポストを作り、そこにMI6の要員だと疑わ
れている、イギリスの外交官出身の政治家アシュダウン卿(Paddy Ashdown)
を据えようとしている。
http://www.antiwar.com/orig/lohdi.php?articleid=12019

 アメリカは表向き、イギリスの戦闘回避戦略に賛同している。しかし実質的
には、好戦的な戦略を掲げ続け、タリバンとの敵対も緩和する気はなく、イギ
リスの戦略を潰しにかかっている。アメリカは、イギリス系の要員がタリバン
と交渉し続けていることを嫌い、傀儡であるアフガニスタンのカルザイ政権を
動かして、タリバンとの交渉の主役である2人の外交官(一人はイギリス人、
もう一人はアイルランド人でEUから派遣)を、最近アフガンから追放してし
まった。
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2007/12/30/wafghan130.xml

 またアメリカは、米軍の特殊部隊をパキスタンのアフガン国境近くのパシュ
トン人地域に派遣して戦闘させる計画も表明している。これも、アフガン・パ
キスタン双方のアフガン系の勢力を怒らせ、イギリスによる交渉を潰す方向の
動きになっている。
http://www.msnbc.msn.com/id/20227402/site/newsweek/

 アメリカのネオコンは「パキスタンはイスラム主義で欧米の敵になっている
ので、米軍を侵攻させ、3つに分割してしまえ」と主張している。ネオコンは
以前には、サウジアラビアを3つに分割して制裁する案を出していたが、これ
はサウジ人の反米感情を高め、サウジをアメリカから遠ざける効果を持った。
http://www.globalresearch.ca/index.php?context=va&aid=7705

 ネオコンは、イスラム諸国をことさら敵視し、イスラム世界の親米勢力を反
米勢力に転じさせ、米英の覇権を自滅させる努力を続けている。イギリスは、
強硬姿勢と柔軟姿勢をうまく使い分けて、支配を持続しようとしているが、ア
メリカは強硬姿勢だけを貫き、イギリスの支配を失敗に誘導している。

▼ブットを送り込んでムシャラフを弱体化させる

 すでに述べたように、タリバンはパキスタンの諜報機関ISIに支援された
勢力である。911後、米英はパキスタンにタリバン支援を禁じていたが、
ISIはこっそりタリバンを支援し続けてきた。NATOがアフガン占領に失敗
して撤退せねばならなくなった場合、その後のアフガンは再びタリバンの政権
になるだろうが、タリバンの背後にいるのはISIを筆頭とするパキスタンで
ある。NATOが負けるにつれて、アフガニスタンはパキスタンの傘下に戻っ
ていく。これはイギリスにとって、食い止めねばならない流れである。

 ISIは、911まではMI6やCIAの忠実な弟分だったが、その後のテ
ロ戦争で米英がイスラム主義を敵視し、ISIもイスラム主義者の一味と見ら
れている。米英がテロ戦争に失敗してアフガンから撤退するなら、その後の
ISIはもはや米英の弟分ではない。むしろサウジアラビアやイラク、イランの
反米イスラム主義者と組んで、イスラム世界から米英を追い出して影響力を拡
大しようとする勢力の一つになりつつある。
http://www.larouchepub.com/other/2007/3412pak_afghan_nato.html

 イギリスは、アフガニスタンでタリバンとともに伸張しそうなパキスタン
(ISI)を抑えるため、パキスタンの政権を弱体化する戦略も開始した。こ
れが昨年展開された、イギリス亡命中のベナジル・ブット元首相をパキスタン
に戻し、ムシャラフ大統領と組む首相にさせる戦略だった。ブットがパキスタ
ン政界に返り咲く構想は2005年ごろからあり、ムシャラフは米英からの非
難を緩和するために、この構想に乗ったが、ブットはムシャラフが軍籍を離れ
ることや、ISIの力を弱めることを要求したため、ブットとムシャラフの連
立政権交渉は結局破綻した。
http://rss.csmonitor.com/~r/feeds/world/~3/117266138/p01s04-wosc.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/08/31/AR2007083101945_pf.html

 ムシャラフは昨年10月の大統領選挙(間接選挙)で何とか再選され、その
後、軍人の大統領続投は憲法違反だと主張する最高裁判所のチョードリ判事を
解任するために、ムシャラフは11月に非常事態を1カ月半敷いた。ムシャラ
フは、大統領再選が確定できたので、12月15日に非常事態を解除、1月8日
に予定されていた総選挙に向けた選挙戦が開始されたが、選挙期間中の
12月27日にブットが暗殺された。

 それ以前、07年にはムシャラフを政権から追い落とそうとする政治運動が
いくつかパキスタンで展開されたが、その中には、グルジアやウクライナなど
で、米英の支援によって展開された「カラー革命」とよく似た風合いのものが
いくつかある。カラー革命は、反米的な政権の国で、米英の諜報機関から訓練
を受けた人々が、市民運動を装った反政府運動を展開し、政府を倒してしまう、
民主化運動を装った米英による政権転覆作戦である。
http://tanakanews.com/e1130ukraine.htm

 パキスタンでは07年3月、ムシャラフが自分の大統領再選を阻止する判決
を出した最高裁判事を罷免したことに対し、法曹界や学生らが反政府運動を展
開したが、これらは即席の反政府運動だった割に、非常によく準備されており、
しかも組織の実体が不明で、既存の法曹団体や学生団体が率いていたものでは
なかったため、米英の諜報機関が背後で準備したカラー革命型の運動だと指摘
されている。
http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/IL06Df03.html

▼米英が去ってイスラム主義になった方が安定する

 パキスタンでは1月の総選挙を2月に延期して行う予定で、その選挙でブッ
ト家の政党(PPP)や、11月に亡命から帰国したシャリフ前首相の政党
(PML−N)が勝って連立政権を組み、ムシャラフの政党(PML−Q)が
破れ、政権交代が起きるかもしれない。

 しかし、暗殺されたブットの跡を継いで事実上PPPを仕切っているブット
の夫(アシフ・ザルダリ)は、以前に妻が首相だった時代に、政府の事業を受
注する業者に受注総額の10%の賄賂を要求し「ミスター10%」と呼ばれた
男である。シャリフも、首相時代には非常に腐敗しており、ブットもシャリフ
も、腐敗が原因で国民から愛想を尽かされて首相を辞めた経緯がある。

 パキスタンの政治は、軍とイスラム主義勢力をおさえない限り、安定した統
治はできない。軍をおさえ、イスラム勢力も何とかおさえているのはムシャラ
フだけである。そのこともあって、ブット家とシャリフが連立しても、パキス
タンを安定させられるとは考えにくい。

 イスラム諸国では、国内が混乱するほどイスラム主義が強くなる。パキスタ
ンでも911以降、イスラム主義が強くなり、国民の多くは「イスラムに基づ
いた民主主義をやりたい」と考えている。もともとパキスタンで強かった、親
米英の世俗的(非イスラム主義)リベラル派は、急速に弱くなっている。ムシ
ャラフが政権を維持できても、できなくても、パキスタンは反米イスラム主義
の傾向を強めていく可能性が大きい。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/11/15/AR2007111502273_pf.html

 イスラム世界を怒らせて反米にする隠れ戦略を採っているアメリカも、イス
ラム世界を分裂させて傀儡政権を置いて支配し続けようとしているイギリスも、
どちらもパキスタンや中東イスラム諸国から追い出されていく方向にある。米
英が追い出されてイスラム主義が席巻した方が、むしろイスラム世界は安定す
ると考えられる状態にまでなっている。今は過激な考えをしているイスラム主
義者は、米英が去った後は、現実的な考え方をするようになるだろう。インド
とパキスタンの関係も、イギリスが南アジアから追い出され、分断支配戦略が
消えた後の方が好転しやすいといえる。

 今回の記事のもう一つのテーマである、米英関係の諜報的な深層については、
分析が難しい。米も英も、互いに協調するふりをして、相手を自国の戦略の中
にはめこもうと暗闘している。諜報機関は米英ともマスコミ操作が非常にうま
いので、マスコミ報道やウェブログでの分析も鵜呑みにできないが、これらの
情報を全く無視して考察することもできない。諜報関係者に直接話を聞いても、
その話が歪曲されている可能性が高いので、いわゆるジャーナリズムの「現場
主義」も通用しない。「直接話を聞いたのだから正しい」という軽信に陥りや
すい。

 分析は難しいのではあるが、911以来の米英の動きをずっと見てくると、
もはや「米英は一枚岩だ」という従来の常識を信じ続けることは、どう考えて
も間違いである。しかし、一枚岩でないのなら、どのような関係なのか。米英
双方の真の目標は何なのか。特に、アメリカはなぜ奇妙な自滅策を繰り返すの
か。来年、米政権がブッシュから代わったら自滅策は終わるのか。見えないこ
とは多いのだが、実は米英関係の深層が、国際情勢の「奥義」であることは、
しだいに確かなものになってきている。多くの人には、いまだに珍説扱いされ
ているのではあるが。


この記事はウェブサイトにも載せました。
http://tanakanews.com/080108pakistan.htm


★関連記事

Omar Sheikh and British intelligence http://xymphora.blogspot.com/2006/10/omar-sheikh-and-british-intelligence.html

Afghanistan is lost, says Lord Ashdown http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml;jsessionid=KJBN1QXBDVTM5QFIQMGSFFOAVCBQWIV0?xml=/news/2007/10/25/wafg125.xml

Panic Over Pakistan: Justin Raimondo http://www.antiwar.com/justin/?articleid=12141

Invade Pakistan?: Justin Raimondo http://www.antiwar.com/justin/?articleid=11939

Plans for disintegrating Pakistan are now up for debate http://www.uruknet.info/?p=m38430&hd=&size=1&l=e

Bhutto bombs kick off war against US plan http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/IJ20Df01.html

Experts Call for Change in US Policies toward Pakistan http://www.eurasianet.org/departments/insight/articles/eav032307a.shtml

Pakistani Officials to NATO: Give Up to Taliban, Ditch Karzai http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2006/11/29/wafghan29.xml

China deepens business ties with Pakistan http://www.atimes.com/atimes/South_Asia/IL19Df01.html
パキスタンは米英の傘下から、中国の傘下に入りつつある。


★音声訳
http://studio-m.or.tv/index.html


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