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http://www.amakiblog.com/archives/2007/12/29/#000644
2007年12月29日
ブット氏を殺したのは米国である
危惧されていたとはいえ、そして彼女にその覚悟はあったとはいえ、やはりブット氏暗殺事件は衝撃的である。
真犯人は誰か。イスラム過激派から政敵まで諸説が入り乱れている。そしてこの手のテロの後にはアルカイダが犯行声明を出すこともお決まりだ。
しかし直接手を下した犯人が誰であれ、ブット氏を殺したのは米国である。この事を示してくれる的確な記事が12月29日の日経新聞に掲載されていた。
国際部長沢倫一郎記者の手による米国の対パキスタン政策の歴史に思いをはせる時、誰もがブット氏を殺したのは米国である事の意味を理解するだろう。
今日のパキスタン混乱の最大の原因は、二転、三転した米国の対パキスタン政策の無責任さにある。
79年の旧ソ連によるアフガン侵攻を機に、米国は「ソ連共産主義の拡大阻止」の名目でパキスタンに軍事・経済援助を行った。旧ソ連と親密なインドに対峙する米国・パキスタン連合というわけだ。
しかし旧ソ連のアフガン撤退後、パキスタンの核開発疑惑などを理由に米国はパキスタン支援を縮小する。そしてインドに対抗して行った98年のパキスタンの核実験を境に、米国・パキスタン関係は一層悪化する。この変転めまぐるしい米国の態度はパキスタンに根強い対米不信、反感を植え付けた。
そして9・11である。米国は、「対テロ戦争への協力と民主化(親米化)」への見返りとして、ムシャラフ軍事独裁政権に支援を約束した。その裏で、「テロとの闘いに協力しなければ砲撃で化石時代に逆戻りさせるぞ」とムシャラフ大統領を脅かす。わが国指導者たちが崇め奉るアーミテージ元国務副長官の卑劣な言葉である。
ブット氏は、批判の高まるムシャラフ軍事独裁政権と連合を組ませるために米国によって帰国を認められた。過激派に対する穏健連合、軍事独裁に対する民主化(親米)連合政権をつくろうとする目論見である。
しかしこの米国の場当たり的な政策こそ、一方において反米感情をあおり、他方においてイスラム過激派やテロ組織アルカイダの反発を招いたのだ。その結果パキスタンの混迷は極限に達しつつある。これ以上の犠牲者が出ない保障はまったくない。
米国の言いなりになってきた国は必ず崩壊している。日本がそうならないことを願うばかりだ。