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http://www.amakiblog.com/archives/2007/12/15/#000625
2007年12月15日
現代の「戦争」はもはやかつての「戦争」ではない
12月15日の朝日新聞「異見新言」において「中世化する戦争」と題して明治大学の佐原徹哉準教授(バルカン近現代史)が書いていた。現代の安全保障論議を行うときは、戦争の基本的性格が中世的世界へ逆戻りしつつある現実を押さえる必要があると。
その論旨を一言で要約するとこうだ。
「・・・そもそも、近代とは、(中世における)封建領主などの交戦権を持った自治集団が解体され、国家が暴力を独占する事に一つの特徴がある。国家は暴力を統制して、内には警察、外には正規軍として(暴力を)再編し、交戦権を独占した。その結果、戦争は主権国家間の武力行使に限定され、無法状態が抑止されることになった。ジュネーブ条約のような戦争のルールづくりも行われ、非戦闘員の保護・大量殺害兵器の禁止などの歯止めがかけられた。第二次大戦後は更に、戦争を国連の枠組みに封じ込めて一層の歯止めとする流れとなっていた・・・
しかし冷戦後は(圧倒的に軍事大国となった米国が)国連の枠組みを崩した。湾岸戦争での「有志連合」を嚆矢に、国連の外で自由に戦争が出来る既成事実を積み上げ、正規の手続きを経ない戦争を行えるメカニズムを作ろうとした。「懲罰」という表現が用いられるようになった。その典型がテロとの戦いである。
米国の新たな戦争政策は、正規軍と非合法武装集団の境をあいまい化させ、(米国軍の代理である)義勇部隊や軍隊民営化(戦争の下請け化)がエスカレートされるまでになっている・・・こうした動きが現代の戦争をますます悲惨なものに変え、民族浄化などという残虐行為につながってくる・・・戦争はもはや国同士ではなく、国家対民兵、あるいは民兵同士の戦いに変わっている・・・
現代の戦争は、大国によるルール違反を契機に様々な武装集団が出現し、グローバル化の圧力で動揺する社会の亀裂からあふれだした矛盾を吸い上げながら拡大の一途を辿っている・・・」
佐原準教授のこの現代戦争論を一面的だと退けてはいけない。はや世界中の主権国家が束になってかかってきても負けない程の超軍事国家となった米国に正面から戦いを挑む主権国家は今では存在しない世の中になった。この事に異論を唱えるものはいないはずだ。
しかしその米国が、「テロ」を唯一、最大の脅威と位置づけ、「テロとの戦い」を、非対称の戦いであり、終わりのない戦いであると世界に公言して戦争を続けているのである。「戦争」はもはやかつての「戦争」ではないのだ。現代の「戦争」を根本的に考え直す必要があるのだ。
このような現実の中にあって、いまだに旧態以前とした冷戦下でのパワーポリテックスの考えに胡坐をかいて安全保障論を繰り返す「干物」学者や有識者、そしてその議論を鵜呑みにして日米同盟絶対視の考えから一歩も抜け出せない日本政府や外務官僚の考え方はもはや時代遅れなのだ。
安全保障論を担うこれからの政治家や官僚、学者は、今目の前に繰り広げられている米国とイスラエルのパレスチナ弾圧政策と、それに最後まで抵抗するハマスやそれを支持するアラブ諸国の国民の心情を正しく理解する事が必須である。同時にまたこれからの「戦争」をたしなめ、その「戦争」から国を守る最善の安全保障政策こそ憲法9条である事に気づくはずである。