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http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2007120502069799.html
2007年12月5日 朝刊
イスラエル占領地のヨルダン川西岸に、周囲を囲むユダヤ人入植地から排出されるごみで生計を立てる村がある。イスラエルで就労できず、西岸分断策で孤立させられたうえ、パレスチナ自治政府も黙殺しているからだ。西岸で「最貧」ともいわれる現場に、和平への展望はどこにもない。 (ヨルダン川西岸ヤッタ村で、萩文明)
数十人の少年が巨大なごみの山を掘り続けていた。ヘブロン南のヤッタ村。悪臭が漂い、金属類を抜き出すために廃棄タイヤを焼く黒煙が立ち込める。イスラエルが占領地に築いたユダヤ人入植地から出るごみの処分場。パレスチナ人がその山を掘る。
「学校? 行きたいけれど行けない。ここで毎日、カネになるものを探している」とナヒル君(12)。父親が「テロに関与した」として、イスラエルで収監されているイーサ君(10)は、空き缶を集めて袋に入れながら「一袋分が一シェケル(約二十八円)で業者に売れる。一日、働けば十シェケルになる」
農地奪われ
最大で毎日、六百人の子どもや大人がごみを掘る。中には七歳の少年もいる。パレスチナよりはるかに生活水準の高い入植地から、ごみ収集車が到着するたびに、生存をかけた競争が始まる。
ヤッタ村の人口は一万二千人。ヨルダン川西岸内の他地域と同様、かつてはイスラエル経済に依存し、数千人が同国内で就労していた。だが、二〇〇〇年以降の衝突激化で、イスラエルは就労を大幅に制限。道路封鎖や検問強化などによる西岸分断策の結果、主要都市ヘブロンなどへの移動も困難となり、住民らは仕事を失った。
もともと農業には不向きの土地柄。その農地でさえもイスラエルに奪われ、収穫物は過激な入植者に燃やされる。必然的に、住民らは困窮に陥った。
「ほかに生きる方法がない」。イスラエルで建設作業に従事していたラバーエさん(32)は、五年前からごみ処分場に頼って生活している。「イスラエルへの内通者になれば、まともな暮らしができる。だがパレスチナを裏切るよりは、占領者のごみを集める屈辱に耐える方がましだ」
和平は幻想
ラバーエさんは毎朝、トラックで処分場に向かい、靴や衣類、木材、毛布、廃棄パソコン、壊れた電気製品など、売れそうな物は何でも集めてくる。これらを手入れして、村の中心部にある専門の青空市場で販売する。一見、新品に近い大人用の靴なら、一足二十シェケル前後で売れる。
ヤッタ村民の多数派は二〇〇六年のパレスチナ自治評議会(国会に相当)選挙で、イスラム原理主義組織ハマスを支持した。ヨルダン川西岸を統治するアッバス自治政府議長の穏健派ファタハにとっては「敵の村」だ。
だから自治政府は困窮を知りながら、何の救済策も講じない。ハマス系公務員には現在も給料が払われず、ごみに頼って暮らすしかない自治政府職員もいる。
「ごみが唯一の収入源」というラデーさん(41)は「貧しい者はハマスに期待した。いま、イスラエルだけでなく自治政府からも、その罰を受けている」。イスラエルによるガザ封鎖を「集団的懲罰」と批判する自治政府。だが実は西岸で、似た手段をハマス支持層に向けて講じている。
なぜかパレスチナ旗が風に揺れるごみ処分場。「この現状で、和平プロセスが前進するという幻想を誰が持てるでしょうか」と男性(32)がつぶやいた。「将来への希望などない。私たちは死ぬまで、この仕事を続けることになる」