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無視される米国人編集者射殺事件
http://plaza.rakuten.co.jp/31sakura/diary/200711260000/
今から1年ほど前、昨年11月9日にロシア最高裁はアメリカ人ジャーナリスト射殺事件に関し、興味深い判決を言い渡している。2004年7月にモスクワでフォーブス・ロシアの編集者だったポール・クレブニコフを射殺した容疑者としてチェチェン系の2名が起訴されていたのだが、下級審では大方の予想に反し、「証拠不十分」で無罪判決が出ていた。その判決を最高裁が取り消したのである。
この殺人事件を日本のマスコミは報道したがらないようだが、その一因は背後にイギリス亡命中のボリス・ベレゾフキーが存在しているからかもしれない。ボリス・エリツィン時代のロシアではシカゴ大学のミルトン・フリードマンの経済学が信奉され、「民営化」が推進されたが、この政策で巨万の富を得たひとりがベレゾフスキー。日本では「実業家」として好意的に伝えられてきた人物だが、チェチェン・マフィアを背景にして勢力を拡大した強面(こわもて)の側面もあり、イスラエルの市民権を持っていたことでも知られている。
そうしたエイリツィン時代のロシア経済をクレブニコフは調査、犯罪組織に支配されたロシアの状況を『クレムリンのゴッドファーザー』という著作で明るみに出している。その中で特に詳しく記述された人物がベレゾフキーだった。
クレブニコフ殺害に関する裁判のやり直しが決まった直後、ロンドンでアレクサンドル・リトビネンコという亡命ロシア人が変死した。放射性物質「ポロニウム210」で殺害されたというのだが、これが謎。通常の暗殺なら痕跡が残らない薬品を使うはずで、犯人はよほど間抜けなのか、痕跡を残したかったのか、いずれかであろう。ポロニウムが簡単に入手できる物質ではないことを考えると、何らかの事情で痕跡を残したかったのだということになるだろうが。
リトビネンコはFSB(ロシア連邦保安庁)に所属していたが、そのFSB時代からベレゾフスキーに雇われていたようだ。ベレゾフスキーのような「少数独裁者」がFSBや特殊部隊の現役メンバーをボディーガードなどとして雇っていたことは有名な話で、リトビネンコが特殊な事例だというわけではない。それだけロシアの「抗争」は激烈だったということでもある。
ウラジミール・プーチンが大統領になると「少数独裁者」は摘発されていく。巨大石油企業「ユーコス」のミハイル・ホドルコフスキーは懲役6年の判決を受け、仲間のレオニード・ネフツリンや「少数独裁者」仲間のウラジミール・グシンスキーはイスラエルへ亡命している。エリツィン時代の経済政策で困窮した多くのロシア人がイスラエルへ移住しているが、困窮の原因を作った富豪たちも後を追う形になった。リトビネンコも死の直前、イスラエルを訪問している。こうした事情を考えると、ロシア情報を得るためにイスラエルに行く日本人がいても不思議ではないが、その情報に濃厚な色がついていることは認識しておく必要がある。
現在、日本はエリツィン時代のロシアに似た状況にある。「民営化」と「規制緩和」、そして福祉切り捨てで一般庶民は困窮し、階級社会が復活しつつある。暴力団が「表世界」を浸食しつつあることも似ている。こうした政策を推進するプロパガンダ機関として機能してきた日本のマスコミがベレゾフスキー周辺の宣伝を垂れ流すのも当然だと言えるだろう。