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日本の国益という言葉の欺瞞性−対テロ戦争に関連して−〈細田二郎〉
〈ほそだじろう: 経済学者〉
最近「テロとの戦い」の問題に関連して保守政治家達が国益という言葉をよく使用することをメディアで見聞きするようになった。
まず国益という言葉の意味について言及しておこう。国益とは何かについて調べるために、岩波の国語辞典(1980年)を引いてみたが、辞典にはこの言葉はのっていないのである。推察するに近年において、政界、官界などで使うようになった造語ではないかと思われる。国益なる言葉の意味は、国家の利益という意味であろうが、そのさい、国家、国とは国民をさしているのか、国の経済システムたる資本主義、企業社会をさしているのか判然としない。例えば、ひるがえって小泉・安倍内閣が展開してきた構造改革のような政策課題は、国益にかなったものであったかといえば、国家の意味を国民としてみる場合、一部の国民には利益を与えたかもしれないが、多数の国民には利益を与えたとは必ずしもいえないし、他方国家の意味を企業社会としてみる場合、大企業には高い利益が与えられたといえるかもしれぬが、中小・零細企業には構造改革によって逆に疲弊し、利益をあげるどころか赤字企業に転落してしまったものも少なくないといった情況にある。それ故政府の政策というものが必ず国益に結びつくともいえないように思われる。
本題のテロ特措法問題に移ろう。
福田首相は10月1日の所信表明演説で海上自衛隊の給油活動は「海上輸送に資源の多くを依存する我が国の国益に資する」と述べた。また石破防衛大臣は、テレビでしばしば、日本で使用される石油の9割は中東からの輸入によるものだから、インド洋からペルシャ湾にかけてのシーレーンを防衛するために自衛隊が給油活動に参加するのは、日本の国益のためであると述べている。
だがこうした議論について疑問に思うことは中東のイスラム諸国であるアラブ産油国が、イスラム過激派であるテロリストとの戦いに参加するか否かによって石油の供給を削減したりしなかったりすることがありうるかという問題だ。日本が対テロ戦争に参加しなかったとしても、産油国の石油供給者は自己の利益を考えて石油を供給しているのである以上、その供給を変化させるようなことは考えにくいだろう。あるいは、防衛大臣が、シーレーンを防衛するのは、日本の国益のためだというのは、テロリスト達が海上で日本の石油タンカーを襲撃するといった事態を想定しているのかもしれない。けれどもこうした事態が現実に発生したということを見聞きしたことはない。テロリストはイスラムの大義のために戦っているのだろうが、自衛隊が給油活動を停止しイスラムよりの姿勢を示す方が、かえってテロリストが海上での脅威を与えなくなるのではないか。
百歩譲って、もし日本が対テロ戦争に不参加の結果、日本の石油タンカーの防衛のためのコスト(例えばガードマンを乗船させること等による)が嵩んだり、あるいは石油の量的供給が制約を受けたりして石油価格が高騰するようなことがあったとしても、それは直接には石油企業の負担になるにせよ、一般の国民大衆に大きな負担となる程のことはないであろう。1973年のオイル・ショックのさいには、第4次中東戦争の結果、石油価格が4倍に高騰したが、日本企業の省資源、省エネに向けての懸命の努力によって日本経済への影響は短期にとどまり、何とか乗り越え得たのである。中東への石油依存度が9割というのは問題があると石油企業が気づかされる事態が発生すれば、資本の論理が働いて別の方途からー例えが、インドネシア、ロシア、ベネズェラからの輸入等ー調達されることもありえるだろう。何れにせよ、保守政治家が、シーレーン防衛は国益のため 国益のためと叫んでも、それはまやかしに過ぎないと受けとめられるのではないか。
高村外務大臣は「日本の給油活動は国際社会から感謝されています」という。それはアフガン戦争がアメリカ主導の多国籍軍が参加しているためである。だがその場合、国際社会という言葉が問題であろう。パキスタンを除けば、米、英、独、仏をはじめ多くの西側先進諸国はかっては帝国主義国として、イスラム諸国、アジア、アフリカ開発途上国における資源獲得の権益をえようとして狂奔し途上国の大衆を搾取してきた国々である。いま問われていることは、開発途上国の大衆からみて対テロ戦争がいかにみられているかということである。
対テロ戦争がどのような性格のもので、それが成功しているか否かも判然としないため日本の一般国民も、戸惑っている。政府は給油継続のために国会に新法を提出している。10月16日の『朝日新聞』によれば、インド洋で自衛隊が給油活動を続けることに賛成か反対かという世論調査に、賛成39%、反対44%という比率で反対の方が賛成を上回っている。もっとも世論は、インド洋での給油活動は国連決議に基づいておらずテロの抑止にもなっていないという野党民主党の主張にも賛成してはいない。テレビで国会の予算委員会の論戦を聞いていても、民主党の政府に対する攻撃の焦点は、自衛隊が行っている給油の一部は、米軍が行っているイラク戦争にも転用されているのではないか、ということにある。もとよりこれも日本にとっては重大で深刻な問題だ。もしこの事実が実際に行われていたとすれば、ー現在のところまだ疑惑のままであるがーそれは日米の集団的自衛権の行使にあたり、明白に憲法違反となるからである。だが私はこれだけでは給油活動への反対の核心に迫っていないと考える。その核心とは、10月初旬の『朝日新聞』で、イスラム研究者が論じていたように、アフガン国内で米軍などの軍事的攻撃によって、タリバンやアルカイダ等のテロリストとは関係のない老人、女性、子供達を中心とする民間人が年間4000〜5000人も 殺害されてきたという事実である。またイラク戦争においても、米軍の死者が4000人であるのに対しイラクの民間人の死者は、10万人〜20万人に及ぶといわれている。そして米軍等の後方支援として日本の自衛隊が給油活動をしているという事実にある。民間人を大量に殺戮しているかぎり、米軍等の対テロ戦争は決して成功しているとはいえず、破綻、失敗しているとしか考えられぬであろう。
米軍らの後方支援というが、実は他国の艦艇に給油する自衛隊の活動そのものが軍事行動であり憲法違反であるとみる。軍艦は給油されなければ行進しないから、給油は他国軍艦の運航と一体のものである。60年前新憲法が制定された当時、廃墟と化した首都東京の空をみつめ、日本は一切の軍事力を持たず決して戦争はしませんと誓った戦中派の私は、その後警察予備隊ができ、保安隊、自衛隊と名前をかえつつ日本の軍事力が増強されていくのを危惧の念をもってながめてきたが、ついに外国の海に海上自衛隊の艦艇が出動し給油をするまでに平和憲法は侵蝕されていったかと、ある種の感慨をもたざるをえない。
対テロ戦争は、2001年9・11テロがイスラム過激派によって惹き起こされたと考えられたため、ブッシュ大統領がテロリストの温床となっているアフガニスタンのタリバン政権を攻撃すべきだとして軍事力を行使したためはじまった。その背景には、1980年代からの資本主義のグローバル化の進展によって北側の先進諸国は以前より富裕国となり、南側の開発途上国は貧困国となって、南北間格差が拡大し、中東諸国やアフリカの国々では極貧の人々が増えたことがある。北側先進国による南側途上国に対する搾取や収奪が強化された結果であると思われる。
南北間格差問題は南北問題としてはるか以前から指摘されてきた経済学上の主題であった。けれども9・11テロ以後はイスラム過激派が惹き起こしたという点から、キリスト教文明(キリスト教人口18億人)とイスラム文明(イスラム教人口14億人)のいわゆる「文明の衝突」を惹き起こすかもしれぬという地球規模の大問題となることが予想された。私はこうした衝突が現実に起こることを心底から危惧した。9・11テロ以後さまざまな情報がとびかっていたが、もっとも驚かされたことは、冷戦時代からアメリカのCIAはアルカイダのようなテロリストと接触があったことやアメリカ自身がタリバンのようなグループを育成していたことであった。その理由についても早触れる余裕はないが、かなり以前からアメリカは中東諸国やアフガニスタン、パキスタン等の国々と政治的に関わってきた点を考慮すると、日本のように手を汚していない国が対米協力のために対テロ戦争に参加することは全く不可解といわざるをえない。
9・11テロ以後イスラム圏の政治経済情勢に関心を深めてきた私は、その圏内の国々の間でも一枚岩ではなく対立があることも、またイスラム過激派の原理主義的立場とは異なる穏健派の大衆をかかえる諸国があることも知っている。だが米軍らの軍が空爆したり攻撃したりすればイスラムの人々に反米感情を高めることは確かであろう。これによって神への信仰に基づく自爆テロリストが増えることも確実である。(イスラム教では旧約聖書の教えをも前提とするため、「目には目を、歯には歯を」の教訓によって被害を受けた分量と同規模の報復攻撃は認められている)。
そもそも米軍らがアフガンやイラクにいるのは何のためか。人はその国の弱体政権を支援、擁護し国内・国際秩序を維持するためと答えるであろう。もし自由と民主主義をうえつけるため等と答えるならば、その答えは全く的はずれだろう。イスラム諸国の民衆の価値観は、西側諸国の人々の価値観とは全く異なるのであって、後者の価値観を押しつける等のことは争いのもととなろう。両者は共存していかねばならぬ。
米軍らが当該国にいるのは国内秩序維持のためとはいってもそれは表向きであって、それぞれの国には思惑があるのだろう。アメリカに限っていえばアフガンのタリバン攻撃の真の狙いは、天然ガス確保のためとみられているし、イラク戦争にこだわる真の目的は石油利権の確保にあるといえるかもしれない。
日本の政治家は対テロ戦争の実態についての議論をよりいっそう深めなければならない。イスラムの国々への支援は民政上の人道支援に限り、軍事力は行使してはならない。政治家は国益、国益などと主張するのではなく、日本が今後進むべき道としては、西側諸国とイスラム諸国の共存共栄を意図する世界平和の護持を理念とするものでなくてはならぬであろう。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔comment209:071031〕