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国境なきブロガー団・・・(バグダードバーニング by リバーベンド)
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投稿者 gataro 日時 2007 年 11 月 03 日 19:43:26: KbIx4LOvH6Ccw
 

http://www.geocities.jp/riverbendblog/ から転載。

Baghdad Burning
バグダードバーニング by リバーベンド


... I'll meet you 'round the bend my friend, where hearts can heal and souls can mend...

友よ、私の心が失われあなたさえ見分けることができなくなったら、どうか私を偉大な文明をはぐくんだ、チグリス・ユーフラテスの胸元に連れて行って欲しい。そこで私は心を癒し、魂を再生させるでしょう。


2007年10月22日 月曜日

国境なきブロガー団・・・

シリアは美しい国だ。少なくとも私はそう思う。「私は思う」と書くのは、この国を美しいと感じる時、自分は安全や安心や安定を「美」と取り違えているのではないかと思ったりもするからだ。ダマスカスは本当にいろいろな点で戦争前のバグダードに似ている。賑やかな通り、時折起きる交通渋滞、いつも買い物客で混みあっているように見える市場・・・。でもまた多くの点で違う。建物はより高く、通りは一般により狭く、そしてカシヨン山が遠くにそびえ立っている。

この山が気になってしょうがない。多くのイラク人、とくにバグダードから来た人たちはそう。北部イラクは山がちだけれど、イラクの他の地域はまっ平らだ。夜になると カシヨン山は真っ暗な空に溶け込み、その存在を示すのは、無数にまたたく小さな光だけになる。この山に数々の家やレストランが建っているのだ。写真を撮るとき、私はいつもカシヨン山を画面に入れようとする。カシヨン山を背景に人を写そうとする。

ここに来てすぐの数週間はちょっとしたカルチャーショックだった。この3か月間ずっと、戦争後のイラクで身につけたある種の習慣から抜け出そうとしてきた。通りで人の視線を避けるとか、渋滞に巻き込まれた時は熱心に祈りを唱えるとかいうようなしぐさを身につけてしまい、自分が奇妙なことをしていると気づきもしないのって、おかしなことだ。またきちんと、つまり、顔を上げて、しょっちゅう後ろを振り返ったりせずに歩けるようになるまでに少なくとも3週間はかかった。

いま、シリアにはイラク人が150万人以上いると言われている。そのとおりだろうと思う。ダマスカスの通りを歩くと、いたるところでイラク訛りが聞こえてくる。 ジャラマーナとかクディシーヤといった地域はイラク難民でいっぱいだ。この二つの地域にはシリア人がほとんどいない。ここでは公立学校さえイラクの子どもばかりだ。私のいとこは今クディシーヤの学校に通っているが、クラスにいるのはイラクの子ども26人とシリアの子ども5人。時に信じ難い気がしてくる。ほとんどの家庭は蓄えに頼って暮らしているが、その蓄えは家賃と生活費ですぐに底をついてしまう。

ここに着いて一月も経たないうちに、他のほとんどの国のようにシリアもイラク人にビザを求めるようになるという噂が立ちはじめた。どうやら権力を持った我らのご立派な操り人形たちがシリアとヨルダンの当局と会い、イラクの人々にわずか2つだけ残された安全な避難場所、ダマスカスとアンマンを取り上げることに決めたらしい。この噂は8月末に流れ始めたが、つい最近、10月初めまでは噂にとどまっていた。今ではシリアに入国するイラク人たちは、シリア領事館か、一時滞在している国の大使館発行のビザを得なくてはならない。まだイラクに留まっているイラク人の場合は、イラク内務省からの許可も必要だという(まさにその内務省の私兵集団から逃げようとしている人々にとっては大変なことだ)。今流れている噂は、国境でビザを得るには50ドルかかるらしいというものだ。

ビザが必要になる前にシリアに入国したイラク人たちは、国境で1か月間の訪問ビザを受け取っている。その月が終わったらすぐにパスポートを持って地域の入国管理局に行く。運がよければ1〜2か月の追加ビザをもらえた。シリア領事館発行ビザの噂が始まった頃、初期の国境ビザが延長されなくなった。私たち家族は素晴らしいことを思いついた。ビザのごたごたが始まる前、そして私たちが更新しなくてはならなくなる前に国境検問所に行ってイラクに渡り、それからシリアに戻ってこよう―みんながやってることだ。そうすればいくらか時を稼げる―少なくとも2か月は。

9月始めの暑い日を選び、6時間かけて北部シリアの国境の町、カミシュリまで車で行った。おばとその息子も一緒だった―彼らもビザを延長する必要があったのだ。カミシュリにはヤーアルビーヤ という国境検問所がある。ここはもっとも楽な検問所のひとつ。イラクとシリアの国境がたった数メートルしか離れてないからだ。シリア領土から歩いて出て、イラク領土に歩いて入る―簡単で安全だ。

ヤーアルビーヤの国境警備局に着いた時、私たちの素晴らしいアイディアを何千人ものイラク人が同時に思いついたことがわかった―国境警備局へと続く列は果てしなく長かった。何百人ものイラク人が長い列に並び、パスポートにスタンプを押してもらい、出国ビザをもらうのを待っていた。私たちも列に加わり、待って、待って、待って・・・

4時間かかってシリア国境を出ると、こんどはイラク国境への列だった。この列はもっと長かった。疲れきり、イライラしたイラク人たちの列の一つに私たちも加わった。「ガソリンを買うための列みたいだね・・・」いとこが冗談を言った。このあとさらに4時間、太陽の照りつける中を待ち、よちよちとわずかずつ前に動き続けた。列の先ではイラクに入国するためにパスポートにスタンプが押されるのだが、ある地点までくると、列の先頭も最後尾も見えなくなった。少年たちが列の脇を行ったり来たりして、水やチューインガムやタバコを売っていた。おばは、私たちの横を駆け抜けていこうとする少年の腕を捉え、「私たちの前にいったい何人くらいいるのかしら」と尋ねた。少年は口笛を吹き、数歩下がって様子を見て言った。「100人!1000人!」商売をしようと駆けていく少年は、ほとんどはしゃいでいるかのようだった。

私はひどく複雑な思いを持ちつつ列に並んでいた。故国を切望する思い、時たま妙な瞬間に襲ってくる一種のホームシックと、重苦しい不安との両方に捉えられていたのだ。もし再出国することを認めてもらえなかったら?そんなことは実際あり得ないことだけれど、でも、もし、そういうことが起きたら?もしこれがイラク国境の見納めだとしたら?なんらかの理由でイラクに入ることを許されないとしたら?イラクからの出国を決して許されないとしたら?

4時間の間、列に並んで、立ったり、かがんだり、座ったり、もたれかかったりした。太陽はどの人にも等しく照りつけた―スンニ、シーア、クルドのだれにも同じように。E.は、自分たち家族の順番を早くしてもらえるように、気を失ってみないかとおばを説得したが、おばは厳しい目で私たちをにらみ、かえって身体をしゃんと真っ直ぐにした。人々はただその場に立っておしゃべりをし、文句を言い、あるいは黙っていた。これもまた一種のイラク人の会合となった。悲しい物語を伝えあい、遠い親戚や知り合いについて尋ねあう絶好の機会だった。

順番を待っている間に、知り合いの2家族に会った。私たちは、ずっと音信不通だった友人のように挨拶をかわし、電話番号とダマスカスでの住所を教えあい、訪問する約束をした。一方の家族に23歳の息子のK.が欠けていることに気づいた。好奇心を抑えこみ、彼がどこにいるか聞くのをやめた。母親は私の記憶にあるよりも老けていたし、父親はずっともの思いに沈んでいるようだった。悲しみに沈んでいたのかもしれない。K.の生死を知りたくなかった。彼は生きていて、どこかでうまくやっていて、国境だのビザだののことなんか気にかけていないと信じるしかなかった。時には、知らないほうが幸せということが本当にある・・・

シリアの国境に戻ると、疲れ切り、お腹をすかせた大集団とともにパスポートを渡し、スタンプを押してもらうのを待った。シリア入管の職員は数十冊のパスポートを次々に持ち換え、名前を呼び、パスポートを手渡す際に辛抱強く顔を確かめた。「後に下がってください―下がって」。私たちのいた混雑するホールに声が響いた。誰かが倒れたのだ。倒れた人が引き起こされてみると、息子に付き添われ、杖をついて家族と一緒にいた老人だとわかった。

シリア国境から再入国し、 カミシュリへ行くタクシーに戻る頃には、自分たちは難民であるという事実を受け入れざるを得なくなっていた。私はインターネットや新聞やテレビで毎日難民について読んだり聞いたりする。推計で150万人以上のイラク難民がシリアにいると聞いて頭を振ったりする。私自身や自分の家族がそのうちの一人だなんてまったく思いもせずに。だって、難民ってのは、テントで寝起きして、飲料水ポンプも給水設備もない人たちじゃないの?難民は、持ち物をスーツケースじゃなくて袋で運ぶんでしょ?携帯もインターネットのアクセスもない人たちでしょ?生命がかかっているかのように、あと2ヶ月シリアに滞在できるスタンプが押されたパスポートを手に握り締め、自分の思い違いに気づいた。私たちはみんな難民だ。私は突然ただの番号になってしまった。どんなにお金持ちでも、教育があっても、快適に暮らしていても、難民は難民だ。難民というのは、いかなる国でも本当には歓迎されない人のことをいうのだ。自分自身の国を含めて・・・いや、特に自分自身の国で。

私たちが住んでいるアパートには他に二組、イラク人家族が住んでいる。上の階にいるのは北部イラクからきたクリスチャンの家族で、ペシュメルガ[クルド人の私兵組織]に村を追われたという。同じ階にはバグダードの家を私兵に取られてしまったクルド人の家族がいて、スウェーデンかスイスか、そういったヨーロッパの難民避難所に移住できるのを待っている。

私たちがスーツケースを引きずり、消耗しきって、心はみなばらばらになって、ここにたどり着いた初めての夜、クルド人の家族が代表を送ってきた―前歯が2本欠けた9歳の男の子が、ちょっと傾いだケーキを手にして言った。「 ぼくたちはアブー・ムハンマド家です。みなさんのお向かいです。ママが、もしなにか要ることがあったら、なんでも尋ねてくださいって。これがうちの電話番号です。アブー・ダーリアさんちは上の階に住んでます。これが電話番号です。ぼくたちはみんなイラク人です・・・この建物にようこそ」

その夜私は泣いた。長い間で初めて、こんなに遠くくにから離れたところで、2003年以来私たちが奪われていた一体感を感じたからだ。

午前1時42分 リバー 

(翻訳:いとうみよし)


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