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『9・11事件は謀略か』グリフィン著 、きくちゆみ・戸田清訳
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投稿者 木村愛二 日時 2007 年 10 月 31 日 20:32:11: CjMHiEP28ibKM
 

=w9・11事件は謀略か』(D.R.グリフィン著 きくちゆみ・戸田清訳)

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http://chikyuza.net/modules/news3/article.php?storyid=242
“9・11事件は謀略か”(D.R.グリフィン著 きくちゆみ・戸田清訳)を読む〈安東次郎〉

〈あんどうじろう:ちきゅう座会員〉
はじめに――「なにを今さら」と言われるかも知れませんが・・・
9.11事件が起きてから6年が経つ。この「9.11」は「テロとのたたかい」というあらたな戦争の正当化に最大限利用されてきたが、昨今では「謀略ではないか?」という説も盛んになっている。
こんなことを言うと「なにを今さら」と言われるかもしれない。たしかにヨーロッパでは、早くから大手マスコミにも取り上げられており、国内でもインターネット上では早くから話題になっていたから、情報に通じている方々にとっては、まさに「今さら」の話ではある。しかし国内大手マスコミの報道では、いまだに「9.11謀略説」はほとんど取り上げられておらず、わずかに『娯楽番組』などが取り上げている程度である。
9.11事件が「ブッシュ政権による自作自演の『テロ』ではないか」と言えば、米・日の『支配階級』に露骨に楯つくことになるし、また『良識ある』(ふりをする?)人たちからも「トンデモ」とか「陰謀論者」とかの「レッテル」を貼られることになる。だから「君子危うきに近寄らず」ということになりがちだ。
こうした状況のなかで、9.11事件謀略説を積極的に取り上げてきた人のひとりが、きくちゆみさんだが、9月11日きくちさんが戸田清氏との共訳で「9・11事件は謀略か」(デヴィット・レイ・グリフィン著:緑風出版)を出された。(童子丸開氏も同日に「WTCビル崩壊の徹底究明」(社会評論社)を出されているのだが、こちらの方は次回紹介させていただくことにする。)
「9・11事件は謀略か」の著者グリフィン氏はクレアモント神学院名誉教授で、「プロセス神学」(?)の代表的研究者なのだそうだ。神学者というのは「神秘的なことを言うひとかな?」と思ったら、この本はそんなところは微塵もなく、「どこであれ証拠と理性が導くところまで追究をする」(プリンストン大学教授リチャード・フォークの序文)という精神に満ちている。
そのグリフィン氏があげる「謀略」の「証拠」は、実に40項目にも及ぶのだが、そのすべてをここで紹介するのはとても無理だ。そこで今回は重要と思われる事柄、興味深い事柄の紹介にとどめる。9.11事件に詳しい方には「退屈」なものも多いと思われるが、そのような事柄も含めて紹介することにしよう。
(以下、拙文は基本的にすべて著者の叙述の紹介であるから“と言われる”などの表現は省略し、当該箇所のページ番号を示す。「9・11事件は謀略か」からの引用は<>で示す。また「 」内は、訳書自身の引用符である。なお[ ]内は私(安東)の補足・意見。)
1. なぜ『ハイジャック』機は阻止されなかったのか?
グリフィン氏がまず問題にするのは、『ハイジャック』機(『第11便』・『第175便』・『第77便』)にたいする<迎撃の通常対応措置(SOP)>がなぜ失敗したのかという点だ。ここで『迎撃』というのは、ただちに撃墜を意味するものではない。スクランブル発進をし、不明機に接近し、合図を送り、威嚇射撃をし、最後に・・・という一連の措置のことである。FAA(連邦航空局)とNORAD(北米航空防衛司令部)は常時接続しており、『非常事態』(FAAの規則によれば、レーダー接触喪失や無線通信の予期しない喪失をふくむ)が発生した場合は、FAAはただちにNORADに連絡し、つぎにNORADはスクランブル発進を指令したはずである。まして事態はニューヨークやワシントンDC周辺で起きていたのだから、こうした通常対応措置が失敗したこと自体が不思議なのだ。ところが政府は“間に合わなかったのだ”と言う。
しかしどうしたわけか、スクランブル発進指令は遅れており、しかもWTC(世界貿易センター)の場合もペンタゴンの場合も、スクランブル機が発進したとされる基地は――なぜか直近の基地ではなく――より遠方の基地であった。しかし戦闘機の速度からすれば、それでも迎撃の余裕はあったのである。ところでWTCノースタワーが攻撃されたのは午前8時46分、サウスタワーは9時3分、そしてペンタゴンは9時38分であるから、仮にノースタワーの攻撃には間に合わないとしても、サウスタワーやペンタゴンについてまで『迎撃が間に合わなかった』というのは全く理屈にあわない。またペンタゴンについていえば、なぜ[地対空]ミサイルによる迎撃が行われなかったのか。(p.44〜p.60)
さらにミネタ運輸長官の証言がある。ミネタはペンタゴン攻撃の少し前にホワイトハウスに入り、大統領緊急作戦センターに入ったが、そこではチェイニー副大統領が任務にあたっていたという。若い男が、飛行機がペンタゴンに接近する状況を報告していたが、<「飛行機は10マイル先」まできたとき、その若い男は副大統領にこうも言った。「命令はまだ有効なのですか?」そして副大統領は・・こう言った。「もちろん命令はまだ有効だ、何かそれと別のことでも聞いたのかね?」>(p.321)。ミネタはこの『命令』を撃墜命令だと解釈している。しかしこの『命令』が撃墜命令だったのなら、飛行機が間近まで接近している状況で、なぜ男は『命令』の有効性を再確認しなければならなかったのか?また撃墜命令だったのなら、なぜ飛行機はペンタゴンまで到達できたのか?
さらに同年6月になって米軍の迎撃対応措置が、変更されている点にも注目しなければならない。それ以前の規定(統合参謀本部議長指示3610.01)は、国防総省のいかなる部局あるいは司令部による即時対応も許可している。しかし01年6月1日に施行された3610.01Aは、撃墜だけでなく、迎撃のための発進自体に、国防長官の事前承認を求めるものになった。(p.315〜316)これは単なる偶然なのだろうか?
2. 貿易センタービルの崩壊を『航空燃料による火災』で説明できるのか?
公式報告によれば、WTCは火災によって崩壊したとされるが、これまでに鋼鉄構造の高層ビルが、火災のゆえに――長時間の火災さらされた場合でさえも――崩壊したことはない。また民間ジェット機用の航空燃料は『灯油』の同類であり、燃焼温度域はそれほど高くはない。特に9.11の場合は――立ち上る黒煙によって証明されるように――酸素の供給が制限されていたので、燃焼温度が鋼鉄の強度を大幅に低下させる温度にまで達したとは考えられない。[これらの点については童子丸氏の著作を参照されたい。]。またサウスタワーについていえば、火災は限局されたものであった。
公式報告では、鉄材が航空燃料の燃焼によって強度を失い、各階ごとにつぶれていったとされるが、これでは、崩壊にはかなりの時間がかかるはずである(p.68) 。しかしツインタワービルは10秒程度で崩壊したのであり、この速度はいわゆる自由落下速度に近い。なぜこれほど急激に崩壊したのか。
また航空機が衝突していない第七ビル(崩壊した三番目のビルで、崩壊したツインタワーとは比較的はなれている)が午後5時20分になって突然崩壊したのはなぜか。しかもこの崩壊の様子は――CBSのダン・ラザーなども指摘している通り――『制御解体』とそっくりである。(p.325)
[なお第7ビルが実際に崩壊する前に、BBCは「第7ビルは崩壊した」と伝えた。]
ツインタワーと第7ビルが制御解体の手法によって崩壊したことを示す様々な物的証拠がある。たとえば鋼鉄の梁や柱はちょうどトラックに積めるくらいのサイズに切断されている。
ツインタワーのコンクリートを粉ごなに砕いたエネルギーは何処から出たのか?ジム・ホフマンの計算によれば、それに必要なエネルギーは、FEMAが計算したツインタワーの位置エネルギー[公式説明によれば、強度を失ったWTCを崩壊させたのは位置エネルギーのみによる]の20倍以上であると言う。
このように言うと、『それでは爆薬を設置する機会はあったのか?』という疑問が提出されよう。
これに対する答えのカギは、WTCのセキュリティを担当していたのがどんな会社だったのか、ということである。
その会社の名前は『セクラコム』(後に『ストラテセック』の改称)であり、2000年までその社長を務めていたのはマービン・P・ブッシュつまり大統領の弟であり、1999年から2002年の間、ワート・D・ウォーカーつまりブッシュの従兄弟がCEOであった。そして事件の五日前にセキュリティ警報が解除されたことがあり、直前の週末(9月8〜9日)にはWTCサウスタワーのセキュリティは完全に停止したと言う。『配線工事』が実施され長時間の停電になったからである。それでこの間は、ビルへの出入りはまったくチェックされていなかった。(p. 329〜331)
3.ボーイング757は、ペンタゴン外壁の『小さな穴』に吸い込まれた(!?)
ペンタゴンの外壁にできた穴は、直径5.5m程度のものだが、証拠写真は、衝突地点の前には大きな機体の残骸はなかったことを示している。また目撃者もペンタゴンの外部で大型旅客機の残骸を見ていないと証言している。政府によれば、“ボーイング757(77便)は主翼や尾翼の残骸も壁の中にはいってしまったので、壁の外に大きな残骸はないのだ”と言う。しかし、ボーイング757の主翼の幅は38.1mあり、垂直尾翼を含めた高さは12.2mもある。5.5mの穴に主翼や尾翼までがどのようにして入ってしまったのか。
そこで『ペンタゴンに衝突した飛行機は本当に77便だったのか』という疑問が生じるが、ペンタゴン方向に飛んでいったのは、「8人か12人乗りの飛行機のようにみえた」とか「翼を持つ巡航ミサイルのようなものだった」(p.84)という証言もある。
その飛行機は、難しい「下降スパイラル飛行を行い、ほとんど完全な円を描くようにして、最後の七〇〇〇フィートは二分半で下降し・・・」(p.83) 超低空を飛行してペンタゴン西棟の側壁に激突したわけだが、ダレス[国際空港]の航空管制官は「速度、操縦技量、旋回したやり方から見て、レーダー室にいたわれわれ全員は・・・それは軍用機だと思った」(p.83〜4)そうだ。(なお西棟は補修工事中のため死者の多くは民間人であったという。)
ところで、77便を操縦していたといわれる『テロリスト』ハニ・ハンジュールの技量はどうか?飛行学校の元従業員によれば、「いまでもまだ、彼がペンタゴンに突っ込むことができたという報道に驚いている」・・・「彼はまったく飛べなかったのだから」という『技量』だし、アリゾナ航空学校の経営者たちは、9.11の何か月も前に、彼についてFAA[連邦航空庁]に五回も報告しているが、「彼について報告したのは、テロリストではないかと恐れたのではなく、彼の英語力と操縦技術があまりにひどいから」だった。(p.109)
4.9.11事件は事前に『察知』されていた!
ブッシュ政権の高官は、<米国へのテロ攻撃の武器として飛行機が使われる可能性を思いつかなかったと何回も述べている> (p.363)。しかしこれはまったく事実に反する。
すでに1993年の時点で、ペンタゴンによって委嘱された専門家のパネルが、飛行機を使ったテロ攻撃を示唆し(p.151)、1999年には国家情報会議(NIC)が「自爆攻撃者たちは、高性能爆薬を搭載した飛行機をペンタゴン・・・に激突させることがありうる」(p.153)としている。
さらに2001年6月28日には、CIA長官ジョージ・テネットがコンドリーザ・ライスに対して「近い将来、数週間以内に重要なアルカイダの攻勢が大いにありそうだ」(p.155)と報告している。また7月下旬にはタリバンの外務大臣が、8月以降にはアルカイダに潜入していたエージェントと湾岸諸国のある王子の軍事顧問が、それぞれ“アルカイダが米国内で大規模攻撃を計画中である”ことを、米国政府高官やCIAに伝えている。このほか諸外国――ロシア・ヨルダン・エジプト・イスラエル・イギリス――の情報機関もこうした情報を伝えている。 (p.155〜157)
事件直前の9月9日には「二日後にビックニュースを聞くでしょう・・・」というオサマ・ビン・ラディンのメッセージが傍受され、10日には「明日はわれわれにとって偉大な日になるだろう」というアルカイダメンバーのメッセージが傍受されている。 (p.159〜161)。
他にも情報当局が得ていたはずの『サイン』がある。それは、9月11日の直前に、ユナイテッド航空、アメリカン航空、モーガン・スタンレー・ディーン・ウィター(WTCの22階にあった)の株の大量のプットオプション(指定期間内の指定価格での売り付け権利)が購入された、というものである。[これらの株が暴落するという情報を事前に入手していたものがいたということ。]米国の情報機関は『エシュロン』によって「株式取引を綿密にモニターしている」のだから、この情報からもテロを予測することができたのである。(p.158~159)
[各国情報機関の警告やこのプットオプションからすると、9.11は米当局のみならず、『金融資本筋』を含むある程度の範囲の人々には事前に知られていたということになろう。]
5. 『ハイジャック犯』のリストの信憑性
さらに指摘しておくべきことは、米国政府が発表した『ハイジャック犯19名』のリストの信憑性である。
この19名中の4名については、<ワシントンのサウジ大使館は、アブドルアジズ・アル・オマリ・・・、モハンマド・アル・シェフリ、サレル・アル・ハズミ、およびサイード・アル・ガムディはいずれも生存しており、サウジアラビアで暮らしている>としているが、これはどういうことか?
またもう一人のハイジャック容疑者、ワリード・M.アルシェーリも『アル・カド・アル・アラビ』のインタビューに応じているし(p.181)、AP通信も、事件後のワリード・M・アルシェーリの話を伝えている。
また『テレグラフ』紙のデヴィッド・ハリソンによれば、<サイード・アル・ガムディは・・・「私は完全にショックを受けました。過去十か月のあいだ、私はチュニスで・・・エアバス三二〇型機の飛行訓練を受けていました・・・」>と言っているし、五人の他に<九三便に乗っていたとされる容疑者のアーメド・アルナミ>も「ご覧の通り、私はまだ生きていますよ。・・・[飛行機が]墜落したペンシルヴァニアなんて聞いたこともありませんよ」と言っている。(p.313〜314)
そもそも『容疑者たち』を事件と結び付けている証拠とはどんなものか?そのひとつがモハメド・アタの第11便に『積み忘れた』バッグに入っていた『ボーイングのフライトシミュレーションのマニュアル』などであるが、『ニューヨーカー』紙のレポートによれば<情報機関の元高官が・・・こう言った。「残されていた痕跡はみんな、FBIが追跡するように意図的に残されていた」>とのことである。
また<九月十一日の翌日に世界貿易センターから数ブロック離れたところで、ハイジャック容疑者のサダム・アル・スカミのパスポートが発見されている>が、<ある新聞[原注によれば『ガーディアン』紙]・・は、「・・・パスポートが火災地獄から逃れて焦げもせずに発見されたという話そのものが、そもそも信じ難い」と言った>。(p.182〜183)
以上の事実からは“そもそもハイジャック犯のリストなるものが捏造されたものではないか”との疑惑が生じる。
6.オサマ・ビン・ラディンとは?アルカイダとは?
以上見たように、9.11事件の『公式的説明』が疑惑に満ちたものだとすると、『オサマ・ビン・ラディンとは何者か?』ということから、考え直さねばならないことになる。
『オサマ・ビン・ラディン』についての通常のイメージに『疑問符』が付けられるのは、次のような事実があるからだ。@ビン・ラディン家とブッシュ家は二十年以上にわたる関係、Aテロ行為ゆえに勘当されたはずのオサマと一族との密接な関係の継続、Bオサマにたいするサウジアラビア政府の秘密援助の継続、C9.11の直後に、全米規模での飛行禁止にかかわらず、ビン・ラディン一族が乗るジェット機に対しては飛行許可が出されたが、これは極めて例外的な措置であること。
これらについての証拠の細目については、同書を読んでいただくことにして、ここではアルカイダとサウジ政府との関係についての証言を紹介しておこう。
2002年3月パキスタンで逮捕されたアルカイダのメンバー、アブ・ズバイダに対する、チオペンタール・ナトリウムを使った尋問では、<ズバイダはアルカイダのメンバーとして、サウジアラビアの高官のために働いてきたと主張し>、その証拠としてアーメド・ビン・サルマン・ビン・アブドルアジズ王子など三人の王族の名前とその電話番号を言ったという。なお<この情報は米政府内の匿名だが、独立した二人の情報に基づいて>いるものだ。なお同年7月22日にはアーメド王子(43歳)が心臓発作で死に、その後すぐに他の二人の王族も『自動車事故』などで死んだと伝えられる。(p.168〜169)
そもそもアルカイダがどのようにして歴史に登場したのかを考えると、以上のことは不思議ではない。CIAは、世界中からアフガニスタンに急進的なイスラム教徒を集めて、ソ連軍とたたかうムジャヒディンを作りだしたが、オサマとアルカイダがその一部であったことは、隠れもない事実だからだ。[したがってCIAとアルカイダが関係していることが証明されるべきというよりも、本来は『関係が断絶した』ということの証明こそが必要であろう。]
その関係はオサマが公式には「最重要なお尋ね者」になった後も続いていたと思われるのである。そうでなければ、次のような事実をどう説明するのか?@オサマは9.11の二カ月前にドバイのアメリカン病院に入院してアメリカ人外科医の治療を受けおり、サウジ情報機関の長官やCIAエージェントの訪問を受けている(p.166)。Aアフガンへの米軍の攻撃が開始された後の11月16日に約600人のアルカイダとタリバンがトラボラ地方からパキスタンに脱出した際、米軍の爆撃は二つの主要な経路のうち一方しか遮断しなかった。その後も数百人がこのルートで逃走した。「何十もの証言を考慮する限り、トラボラでの戦闘は、大芝居のようにみえる」(『テレグラフ』)。B実際<将軍[ビル・マイヤーズ]は「目標は決してビン・ラディンを捕捉することではなかった」と言ったのだ。>(p.212〜214)[「テロとのたたかい」に日本が参加するのは当然なことだ、と言う人たちは、こういう発言をどう聞くのだろうか?]
CIAとアルカイダを結ぶ「ルート」にパキスタンのISI(統合情報部)が存在している点も重要だが、ISIの役割に触れると長くなるので、この点については、ぜひ「9・11は謀略か」を読んでいただきたい。
(最後に)――やっぱり「今さらなにを」と言われるかもしれませんが・・・
事情に通じている方にとっては、以上の紹介のかなりの部分は、やっぱり「今さらなにを・・・」だったかもしれない。
しかし、たとえば誰かが「王様は裸だ」と言ったときは、――それが真実ならば――みんなが「王様は裸だ」と言うべきではないか。「9.11事件」に関しても、皆が真実を語る『勇気』を持つべきではないか。私自身いま頃になって書いているのだから、ずいぶん臆病者なのだが、そんな私にも『勇気』を与えてくれた「9・11は謀略か」の著者と翻訳者には、御礼を申し上げねばならない。
最後にこの本の原題が「THE NEW PEARL HARBOR」であることも付記しておく。
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://www.chikyuza.net/
〔comment210:071031〕
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