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(回答先: UFOに関する投稿はいずこに? 千早@オーストラリア に答えて、UFO問題はアメリカでは重要な問題です 投稿者 ヤハウエハのタタリ、祟りじゃ〜!! 日時 2007 年 10 月 31 日 01:31:05)
矢追純一と言う人の問題提起より、はるかに高度な意味を持ちます。
穂高三郎はUFO見た (紫電改と戦ったのはUFOだったのか!?)
昭和20年、日本の敗戦のまじかに迫った時のことです。当時の私はゼロ戦のパイロットとして南海の島々で戦っていましたが、アメリカ軍の猛攻で日本本土が危ないということで、内地に戻り特殊任務につく命令を受けました。
日本の空は空の要塞B29が縦横無尽に暴れまくっていました。広島や長崎に原爆を落としたのも、この爆撃機です。高度一万メートルから無差別爆撃を行うので、高射砲は届かず、ゼロ戦でも高高度まで息切れしてしまい手に負えません。
そこで開発された2000馬力のエンジンを搭載した紫電改。帝都防衛の最後の頼みです。私が配属を命じられたのも、歴戦の強者で構成されたこの部隊でした。
そんなある日のこと。私たち4機編隊は横浜上空から木更津に向って高度8000mで飛行していました。東京湾上空、高度一万メートルで”光るもの”を発見。B29のお出ましだと判断して戦闘体制に入り、速度を増してぐんぐん接近して行きました。
敵機に近づくと、何か様子が変。胴体はB29を大きくしたようなものですが、翼もプロペラもない。その巨大な胴体には窓がいくつも並んでいて人影が見えました。私たちは恐らく敵の飛行船ではないかと判断しました。
味方の一機が攻撃を開始。通称「たこ爆」と呼ばれる黄燐爆弾をこの上で爆発させたのです。タコの足のように敵機を包み、焼いてしまう秘密兵器です。みごとに燃えてその巨大な胴体を包んだ瞬間、私は自分の眼を疑いました。
何とその姿が消えてしまったのです。そのとたん、攻撃した紫電改は空中爆発。残りの3機は編隊を組みなおして飛行船の行方を捜しましたが、なかなか見つかりません。しかし、約10分後、前方の雲の中にいるのを発見・
全速力で突っ込み、先頭の一機が機銃を撃ち込みました。すると、突然、飛行船から目も眩む光が出たかと思うと、前を飛んでいた2機が爆発したのです。こんな撃墜のされ方をしたのは初めて。敵はこんな凄い兵器を開発していたのかと恐怖に駆られました。
しかし、私は任務のために死ぬ覚悟は出来ていました。味方三機が撃墜された悔しさも手伝って、なおも飛行船に食い下がっていきました。だが、飛行機の速度は驚くべき速さ。紫電改の時速600kmでも追いつきません。
その時、頭の中で声がしました。
「追うのはやめろ。やめなければ撃墜するぞ。われわれはアメリカ軍ではない」
私が驚いて躊躇している間に、点のようになって消えました。今思うと、あれはいわゆる「UFO」ではなかったかと思います。
学研ムー 1997年1月号 P166 読者体験談より引用。
@日本軍のパイロットにも戦闘でUFOに遭遇した人がいる。同じようにアメリカ軍、イギリス軍、ドイツ軍のパイロットも見たらしい。これがUFOの存在が浮き上がるきっかけになったらしい。
A穂高三郎さんが見たUFOは飛行船の姿をしていた。これを今風に言えば、こんな形のUFOを「葉巻型母船」と呼ばれている。アダムスキー型の小型の円盤を格納して惑星間を移動するとアダムスキーは言っている。
BこのUFOの正体は結局地球人の作ったものではなかったらしい。
このUFOの乗組員すなわち宇宙人は攻撃をするな。すればこちらも攻撃するといっている。地球の上空で何かをしていたことになる。
CこのUFOからテレパシイが送られてきた。彼らはそんな意思の伝達手段を使うようだ。近頃のUFOに誘拐された人たちの中にそんな声を聞いた人たちがいないだろうか?
以上のことが問題として浮かび上がってきます。