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(回答先: イラク化しかねないミャンマー (田中宇の国際ニュース解説) 投稿者 JAXVN 日時 2007 年 10 月 27 日 08:44:18)
「田中宇の国際ニュース解説 2007年10月25日
中国の傘下に入るミャンマー
この記事は「イラク化しかねないミャンマー」の続きです。
http://tanakanews.com/071023myanmar.htm
中国とミャンマーは、歴史的に微妙な関係にある。かつて中国は、ミャンマ
ーで共産主義革命を起こそうと、反政府勢力の一つであるビルマ共産党を支援
していた。中国で毛沢東が文化大革命を起こした1968年には、ミャンマー
で反中国人暴動が起きたのを口実に、中国軍がミャンマー北部に侵攻し、ミャ
ンマー軍と戦闘になった。
http://www.atimes.com/atimes/China/IJ03Ad01.html
1976年に毛沢東が死去し、代わりに経済重視の現実派であるトウ小平が
最高権力者になった後、中国はビルマ共産党に対する支援を打ち切り、ミャン
マー政府との関係を好転させた。80年代以降、中国は、ミャンマーとの国境
貿易を振興させ、ミャンマーの道路や発電所、石油ガス田、農業施設などの経
済開発に対し、さかんに投融資した。中国からミャンマーへの武器輸出も急増
した。
ミャンマー軍事政権は、1988年の国民暴動を鎮めるために90年に選挙
を行ったが、野党のアウン・サン・スー・チーが圧勝してしまったため、選挙
結果を無視して独裁を続けた。この時、欧米や東南アジアなどの関係諸国はミ
ャンマーを非難し、孤立させたが、中国はミャンマーを非難せず、親密な関係
を続けたので、軍事政権は中国への依存を強めた。
トウ小平は、自国で展開していた「政治は独裁のまま、経済だけ先に自由化
する」という改革開放の戦略を、ミャンマーにもやるよう勧めた。しかしミャ
ンマー政府が経済を少しずつ自由化したところ、中国から大勢の人々がビジネ
スをやりにミャンマーに移住し、中国に近い北部の大都市マンダレーなどで、
もともと地元のミャンマー人が展開していた商売を横取りするかたちで事業拡
大したり、地価のつり上げを狙って不動産を買い占めたりした。中国人の流入
は圧倒的で、マンダレーでは、1994年の時点で、人口約100万人の市民
のうち4分の1程度が、中国から移住してきて市民権を裏口申請した人々だった。
http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/HK01Ae01.html
ミャンマーで政権を握る将軍たちは、かつて自国の内戦に中国が介入してい
たことを忘れていなかった。そこに、中国が「先に経済だけ自由化すると良い
よ」と言いつつ入ってきて、気がついたらミャンマー経済は中国人に握られる
展開になったので、中国に対するミャンマー政府の警戒感は根強く残った。
中国では、1980年代から90年代前半まで、沿岸地域と内陸地域の経済
格差の解消に役立てようと、周辺国との国境貿易(辺境貿易)を振興していた。
ミャンマーとの経済関係の強化は、その一環だった。だが辺境貿易は、中央ア
ジア諸国との間では成果があったものの、東南アジア諸国との間では、国境地
帯に売春宿や賭博場がたくさんでき、中国の役人たちが公費旅行で押し掛ける
現象を招いた程度(中国国内では取り締まりの対象だが、国境の向こう側の
「外国」での乱痴気は大目に見られた)で、内陸経済の発展に大して役立たず、
90年代後半にはあまり重視されなくなった。
▼勧められた形だけの中国式民主化
中国とミャンマーの関係が再び動き出したのは、ブッシュ政権のアメリカが、
2001年の911事件後に「単独覇権主義」や「政権転覆による独裁国の民
主化」という、異様に強硬な世界戦略を打ち出してからである。ミャンマーの
軍事政権に対するアメリカからの圧力も強まったが、同時にアメリカは、中国
に対して「国際社会で、もっと責任ある態度をとれ」と要求し、北朝鮮の核開
発疑惑を、6者協議という中国が主導する国際協議で解決させようと仕向けた
りした。
http://tanakanews.com/070216eastasia.htm
「中国が問題解決の主導権をとらない場合、アメリカが軍事攻撃して政権転覆
するぞ」という脅しは、北朝鮮に関してだけでなく、ミャンマーに関しても適
用された。そのため中国政府は、北朝鮮核問題の6者協議を開始した2003
年に、ミャンマー問題でも動き出し、ミャンマーとアメリカの代表を北京に呼
んで、初めての交渉を行った。
中国は、ミャンマーに対し、憲法を改定したり、中国でやっているような、
全国の町内会の役員会で自由選挙(政府の意志決定に影響を与えない範囲の、
基層だけの民主化)を行ったり、スー・チーと交渉する姿勢を見せたり、辺境
の少数民族に形だけの「自治」を与えたりして、これらを「民主化」として世
界に発表してうまくやれ、と勧めた。
http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/IF13Ae01.html
ミャンマーの軍事政権は、数人の有力な将軍を中心に「国家平和発展評議会」
を作り、合議制で意志決定していた。その中で、首相で第1書記のキン・ニュ
ン中将は、中国式の改革を進めたい親中国派だったのに対し、副議長のマウン
・エイ大将は反中国派で、そのさらに上に立つ議長(最高権力者)のタン・シ
ュエ上級大将が、親中派と反中派の対立する言い分を聞き、最終意志決定する
仕掛けになっていた。
2003年以降、アメリカの強硬姿勢に押された中国がミャンマー問題への
介入を強める中で、ミャンマー上層部では、中国の勧めに従おうとするキン・
ニュン派と、それに反対するマウン・エイ派の対立が強まった。一時はキン・
ニュン派の方が優勢で、キン・ニュンは03年8月、中国に勧められた政治改
革案を、7項目の「民主化ロードマップ」として発表した。(キン・ニュンは、
ウォッチャーの間で「ミャンマーのトウ小平」と呼ばれていた)
▼キン・ニュン失脚で影響力を失った中国
「ロードマップ」は、アメリカが当時のパレスチナ和平案に使っていた名称で
あり、アメリカに自分たちの「民主化」を評価してほしいと考えるミャンマー
政府の意志が感じられる。しかしアメリカは、表向きだけのミャンマーの民主
化計画を全く評価せず、2004年7月には経済制裁の延長を決定した。
ミャンマー政府は04年春「間もなくスー・チーを釈放する」という情報を
さかんに流し、アメリカの反応を探ったが、これも不発に終わった。さらに
04年9月、ブッシュ大統領は国連での演説で、スー・チーを絶賛し、ミャン
マーの民主化を強く支援すると表明した。これは、アメリカがミャンマーを、
イラク同様に政権転覆するつもりだという意志表明になった。
http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/FJ22Ae05.html
この後、最高権力者のタン・シュエは、中国式の改革を進めても意味がない
という結論を下したようで、04年10月にキン・ニュンは突然、汚職容疑を
着せられて逮捕され、失脚した。中国は、ミャンマー政府に対する影響力を一
気に失った。
この後、ミャンマー政府は、世界から自ら孤立していく路線を選んだ。自国
と同様、中国・アメリカ両方からの圧力を受けつつ孤立戦略を突き進む北朝鮮
に接近したり、北朝鮮を真似てロシアから実験用原子炉を買おうとしたり、タ
ン・シュエお得意の国民洗脳戦略を強化しようと、首都を密林内のネピドーに
移転したりした。
(首都移転は、中国にも事前に全く知らせなかった。その後、再び中国の影響
力が増した後の今年5月、中国の在ミャンマー大使が、遷都の事前通知がなか
ったと批判する記事を、大使館のホームページに掲載した)
http://www.ft.com/cms/s/0/ee8c7f74-6b92-11dc-863b-0000779fd2ac.html
▼アメリカの突き放しで結束した中国とASEAN
ミャンマー政府は孤立化路線を模索したが、本気で米中の両方と敵対してや
っていく決心はなかったようだ。2005年1月、アメリカが「悪の枢軸」の
「バージョン2」ともいうべき「圧政国家」の6カ国を「アメリカが今後政権
転覆したい国々」として発表し、その中にミャンマーが入っていることが確認
された後、ミャンマー政府は再び中国に接近する態度をとった。
05年夏には、反中国派だったはずのマウン・アエ大将が中国を訪問し、中
国共産党の首脳陣と親交を深めた。06年2月には、キン・ニュンの後任首相
となったソー・ウィンが北京を訪問した。ミャンマー政府代表団は07年にも
中国を訪問した。これらの訪問の際、中国はミャンマーに、以前にキン・ニュ
ンが進めていた中国式の政治「改革」を再開するよう勧め、ミャンマー側はそ
れに従って、スー・チーとの交渉再開や、憲法改定のための国民会議召集を行
うそぶりをし始めた。
http://www.taipeitimes.com/News/world/archives/2006/02/13/2003292839
この間、アメリカは、ミャンマーを敵視する姿勢を続けると同時に、2005
年夏には、中国に対し「責任ある大国」(responsible stakeholder)として
振る舞うことを公式に求め、北朝鮮やミャンマーの問題を中国主導で解決する
ことを要求する姿勢を強めた。北朝鮮やミャンマーは以前からアメリカやEU
から経済制裁を受けており、すでに欧米との経済関係はほとんど切れていた。
これ以上アメリカが制裁を強めても、北朝鮮やミャンマーに与える効果は少な
かった。アメリカはイラク占領で軍事的に疲弊し、北朝鮮やミャンマーを侵攻
して政権転覆することもできなくなっていた。アメリカは、中国に頼るしかな
かった。
ミャンマーに対してはASEAN(東南アジア諸国連合)も影響力を持って
いた。ASEANはもともとアメリカが冷戦中に「反共産連合」として東南ア
ジア諸国に作らせた組織で、最初からアメリカの傘下にあった。しかしアメリ
カはASEANに対して「ミャンマーに圧力をかけて政治改革させろ」と求め
る一方で、ライス国務長官が2005年の重要な節目のASEAN外相会談を
欠席するなど、ASEANを突き放すような態度を、折に触れてとり続けた
(ライスの欠席は「ミャンマー代表に会いたくないので」という理由だった)。
http://www.nytimes.com/2005/07/25/opinion/25mon3.html
アメリカは、中国とASEANに「ミャンマーは君たちの問題だから、アメ
リカに頼らず解決してくれ」という態度をとった。ASEANは、冷戦中は反
中国(反共産党)の組織だったが、冷戦後は中国と親密になり、特に華人中心
の国であるシンガポールなどは、中国の国際戦略の片棒担ぎ(露払い)をして
儲けようとする傾向を強めた。ASEANと中国は、協調してミャンマーに接
するようになった。
▼反欧米で結束する中露を極悪に描く報道
従来は世界の主導役として信頼できたアメリカが、911後、国際政治の場
で「政権転覆」など無茶苦茶な言動を急に強め、5年以上経っても元に戻らな
いため、それまで「覇権(国際影響力)を強めるにはまだ早い」と考えていた
中国政府は、覇権獲得を前倒しすることにした。06年から07年にかけて、
ロシアと合同でユーラシアでの影響力を拡大する「上海協力機構」をさらに強
化し、イランやインド、パキスタンを取り込むことにしたのは、その一例である。
中国は同時期に、ミャンマーについても、自国の影響圏なのだから欧米は介
入するなという姿勢を強めた。その象徴は、国連安全保障理事会でミャンマー
非難決議を出すことに、中国が強く反対し始めたことである。
国連安保理では、05年後半からミャンマー非難決議が討議されたが、中国
は「安保理は、国際社会の安全が侵害されたときだけ非難決議を出すべきだ。
ミャンマーの問題は国内問題であり、周辺国に難民流出などの問題を与えてい
るものの、それはASEANなど地域諸国で話し合うべきであり、安保理で非
難決議する問題ではない。人権侵害について話し合うのは、国連では安保理事
会ではなく人権理事会である」と主張して反対した。(安保理には国連軍派遣
を決める権限があるが、人権理事会にはその権限はない)
http://www.iht.com/articles/2005/09/19/opinion/edgenser.php
結局、07年1月、安保理でこの問題についての決議が行われ、中国とロシ
アは常任理事国として拒否権を発動した。中露が一緒に拒否権を発動したのは
初めてで、この動きは、欧米が「人権問題」を口実に、覇権と利権を維持拡大
してきたのを、中国とロシアが初めて国連の場で阻止したという意味で、画期
的だった。
(この事件については以前に記事を書いた http://tanakanews.com/070118UN.htm )
中国やロシアも、欧米に負けず、利権の維持拡大に関心がある。ミャンマー
政府は、米露による拒否権発動の2日後、中国企業に石油ガス田の開発権を与
える決定をしている。その後ミャンマー政府は、インド企業に与えてあった石
油ガス田の開発権を剥奪し、代わりに中国とロシアの合弁会社に与える政治決
定もしている。ロシアは、ミャンマーに実験用原子炉を売る商談を再び進めている。
http://www.zeenews.com/znnew/articles.asp?aid=348147&ssid=51&sid=BUS
http://www.atimes.com/atimes/Southeast_Asia/IE24Ae02.html
変化のポイントは、覇権と利権の争奪戦において、これまでの「人権外交」
を駆使して勝っていたアメリカ(とその傘下にいる西欧や日本)の優位が崩れ、
中国やロシアが台頭してきたことである。ミャンマーにおける中国の影響力拡
大は、その象徴である。
対米従属が国是の日本のマスコミでは、中国やロシアは「極悪」で、欧米は
「絶対善」という白黒二元論的な善悪の描き方になっており、それを軽信して
中国やロシアを極度に嫌う日本人が多いが、実際の国際社会は、善悪を超越し
た覇権と利権の争奪戦である。中露より欧米の方が、マスコミ操作がはるかに
上手いというだけの話である。報道による善悪観の操作に、多くの人がいとも
簡単に騙されている。
▼反政府運動の背景にアメリカ内部の暗闘?
今夏にミャンマーで起きた反政府運動は、中国がミャンマーを中国式に安定
させようと本腰を入れ、アメリカもミャンマーが中国の傘下に入ることを、表
向きは非難しつつも現実的には黙認する態勢ができかけていた矢先に発生した。
今年6月末には、中国が仲裁し、アメリカとミャンマーの政府担当者が北京で
会う会合が、2003年以来4年ぶりに開かれた。ミャンマーで反政府運動が
勃発したのは、その2カ月後だった。
http://news.bbc.co.uk/go/rss/-/2/hi/asia-pacific/6251872.stm
前回の記事( http://tanakanews.com/071023myanmar.htm )に書いたよう
に、反政府運動が起きた原因は、アメリカの傘下にある国際組織IMFが、
ミャンマー政府に圧力をかけて燃料補助金を突然に廃止させたことにあったと
推察される。
ここで湧く疑問は、アメリカはミャンマーをイラクのように政権転覆するつ
もりなのか、それとも中国の傘下に入るのを黙認するのか、どちらなのかとい
うことである。アメリカからは、両方のメッセージが同時に発せられている。
これは、米政界の内部に、中国やロシアの台頭を黙認する勢力(隠れ多極主義
者)と、従来のアメリカ(米英)中心の世界体制を守りたいと考える勢力(米
英中心主義者)がいて暗闘しており、米英中心主義の勢力がIMFを動かし、
ミャンマーが中国の傘下に入るのを防ごうとしたとも考えられる。
(北朝鮮をめぐっても、アメリカの国務省は北朝鮮宥和策に熱心なのに対し、
ネオコンのボルトン前国連大使などは、北朝鮮敵視策を復活させようと、共和
党議員を説得して回っている)
http://thehill.com/leading-the-news/bolton-lobbies-on-n.k.-deal-2007-10-23.html
アメリカ内部の権力構造はどうあれ、実際には今夏以降、ミャンマーの事態
は、再び中国主導の流れに戻っている。ミャンマー政府は9月25日に戒厳令
(夜間外出禁止令)を、2カ月間の予定でヤンゴンとマンダレーという2大都
市に敷いたが、それは予定より1カ月早い10月20日に解除された。情勢は
政権転覆に近づかず、安定してきている。
http://www.allheadlinenews.com/articles/7008891015
▼再び中国式の流れに
ミャンマー政府は、スー・チーと交渉する姿勢(ふり)を再び強め、国連の
人権調査員のミャンマー訪問も受け入れるとも表明した。背後で中国が動いて
いるという確たる証拠はないものの、流れとしては中国式のシナリオどおりと
いう感じである。
http://news.independent.co.uk/world/asia/article3021341.ece
9月6日には、オーストラリアで開かれた国際会議のかたわらで行われた米
中首脳会談で、ブッシュ大統領が胡錦涛主席に対し、中国の影響力を使ってミ
ャンマーの人権問題を解決してほしいと要請した。
http://www.atimes.com/atimes/China/II21Ad01.html
10月9日には、国連安保理でアメリカのカリルザド国連大使が「ビルマの
軍部は、今後の(民主化への)移行期やその後の時期において、一つの役割を
果たすことになるだろう」と述べ、初めてミャンマーの軍部を容認する姿勢を
見せた。これはアメリカが、軍事政権を転覆しようとする従来の姿勢から転換
していることを示している。
http://news.yahoo.com/s/nm/20071009/ts_nm/myanmar_un_dc
現実の流れとしては、今回も、アメリカがミャンマーの政権転覆を狙った言
動をして失敗した後、中国の影響力が拡大するという展開になっている。これ
は、2001年の911後にアメリカが強硬姿勢になった後と、2005年に
米政府がミャンマーを「圧政国家」に名指しした後に、結局は中国の影響力が
拡大したという展開の繰り返しである。
同じパターンは、アメリカが北朝鮮に政権転覆の圧力をかけた後、結局は中
国主導で6者協議が進められていることにも表れている。これほどの失策の繰
り返しは、アメリカの当局者が無能だから同じ過ちを繰り返すのではなく、意
図的に失敗して中国を台頭させているようにも見える。
▼日本政府の反中国・孤立化路線
ミャンマーをめぐるここ数年の流れの中で、日本も大きな転換をした。以前
の日本は「ミャンマー問題はアジアの問題で、ASEANや日本や中国などの
アジア諸国が協力して解決すべきであり、国連安保理で非難決議をすべき問題
ではない」と主張していた。日本は、長らくミャンマーに対する最大の経済援
助国で、欧米の「人権外交」の圧力を受け、ミャンマー支援を減らす方向をと
ったものの「アジアで解決すべき問題」という姿勢は貫いていた。
http://www.atimes.com/atimes/Japan/FC26Dh01.html
日本の姿勢が変わったのは、06年9月の国連安保理での議論からである。
安保理では、アメリカが欧州の賛成を受けてミャンマー制裁を提案していたの
に対し、中国やロシアなどは国連での制裁に反対していた。日本は従来、制裁
反対の立場だったが、06年9月から一転してアメリカに同調し、ミャンマー
制裁を支持し始めた。この転換が起きたのはちょうど、日本が小泉政権から安
倍政権に代わった時期であり、対米従属(日米同盟)の強化を最重要課題に掲
げた安倍首相が、方針転換を決めた可能性がある。
http://tanakanews.com/060917reuters126.htm
とはいうものの、日本がミャンマー問題でアメリカ支持に回った時期は、ア
メリカがミャンマー問題を中国に任せる姿勢を強めた時期でもあった。アメリ
カがミャンマーや北朝鮮の問題解決を中国に任せるにつれ、日本の戦略は、対
米従属の強化ではなく、中国に協力しない孤立化戦略として機能するようにな
っている。
北朝鮮に対しては、日本政府は「拉致問題が解決しない限り、日本は北朝鮮
を支援しない」という孤立化戦略をとっているが、ミャンマー問題でこれと同
じ機能を果たしたのが、今夏ミャンマーの反政府運動を取材していた日本人カ
メラマンが撃たれて死亡した事件である。「日本人を殺したミャンマー軍事政
権を許さない」という世論を日本で拡大しようとした政府(外務省)の意を受
けて、日本のマスコミは、この事件をことさら大きく報じた。同時に「ミャン
マーの軍事政権は、中国からの支援を頼りに、圧政を続けている」という点も
報道で強調された。
これらの報道によって日本人は、中国主導でミャンマー問題を解決する動き
が本格化しても「憎きミャンマー軍事政権と、極悪の中国に協力することはで
きない」という世論を持つように仕向けられた。アメリカが、北朝鮮やミャン
マーの問題解決の主導権を中国に移譲する中で、日本政府はそれに協力しない
態勢を、世論の誘導によって作り出している。
もし今後、ブッシュの次のアメリカの政権が、米英中心の世界体制の復活に
努力するのだとしたら、ここ1、2年の日本政府の孤立化戦略は一時的なもの
で、ブッシュが中国に渡したアジアでの覇権を、米次期政権が取り戻そうとす
る際に、日本はアメリカに協力するつもりなのかもしれない。
しかし、米次期政権も現政権のような失策を繰り返したり、次期政権が頑張
っても覇権の回復に至らなかった場合、アジアの覇権は完全に中国に移転する。
その場合、日本の孤立は一時的ではなく、恒久的なものになっていく。
▼日本の孤立は自然な伝統
日本の特徴は、日本人自身に覇権(国際影響力)を持とうとする意欲が全く
ないことである。日本人は、覇権(国際影響力、国際貢献)について、大きな
勘違いをしている。覇権とは利権(金権)であり、国家や国民を金持ちにする
ための対外影響力なのだが、日本では政府にも言論界にも「日本が世界で尊敬
されるよう、国際貢献しよう」といった漠然とした概念があるだけで、利権と
結びつけた発想が全くない。
世界を見ると、米英仏中露など明白に覇権を気にする国々以外にも、ドイツ
や韓国、オーストラリアなど、覇権に対してひそやかな野心を抱く国が多い中
で、日本は例外的に、覇権を希求する動きが全く存在しない。戦前の日本は野
心的だったが、覇権を捨てた後の戦後の日本人は、覇権について理解する知力
も失い、自分たちが覇権を求めないことの異例さも感じていない。覇権を知覚
できないので、日本人は国際政治を理解できない。(これが「敗戦」の最大の
意味かもしれない)
日本人に覇権を忘れさせたのは、第二次大戦終結時の英米の戦略だったのか
もしれないが、日本人は、その戦略にうまく適合しすぎて、覇権のことを忘れ
たまま、高度経済成長とその後の先進国としての生活を楽しみ、もはや覇権な
しの国家体制の方が性に合っている。
日本が覇権を求めないのは「平和主義」の具現化であり「悪い」ことではな
い。だが同時に日本は、アメリカがアジアの覇権を日本に渡したくても、それ
を拒否して、受動的な対米従属の状態だけを甘受したがっている。日本政府は、
アメリカが中国に覇権を譲渡し(押しつけ)ているのを見て、対米従属が続け
られなくなるので困ると思っているだろうが「その覇権、中国にやらず、俺た
ちによこせ」とは決して言わない。アメリカは、日本が固辞するので、仕方な
く中国に覇権を委譲している。
アメリカは、北朝鮮やミャンマーの問題で、日本政府に国際指導力を発揮し
てほしいはずだ。日本が中国と覇を競い、日中の良きライバル関係がアジアの
国際政治ダイナミズムになれば、アメリカは安心してアジアの覇権を日中に譲
渡できる。しかし、日本の決定的な野心の欠如(平和主義)が原因で、それは
実現していない。どこかの国が覇権を担当しないと、世界は安定せず、平和も
維持されない。今後のアジアの覇権は、中国が持つことになる。
日本は、アジアが中国中心の覇権体制(冊封体制)にあった19世紀まで、
冊封体制にほとんど入らず、おおむね孤立に近い状態にあった。元寇を例外と
して、中国は特に日本を自分の覇権下に置こうとはせず、各時代の日本の政権
は、都合の良いときだけ中国に接近し、それ以外の時は中国と疎遠にして、孤
立状態を享受していた。
このような伝統的な日本の状態を考えると、アメリカがアジアから撤退し、
新冊封体制とも言うべき中国の覇権体制が復活していく中で、日本が中国の覇
権下に入らず、自ら孤立状態へと移行していくのは、自然なことであるとも思
える。日本とは対照的に、朝鮮やミャンマーは、伝統的に冊封体制下の国であ
り、中国の覇権下に入るのが伝統的に自然である。」
http://tanakanews.com/071025myanmar.htm