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(回答先: 日本人、デモ続くミャンマーで死亡情報 写真家か = 朝日新聞 投稿者 ダイナモ 日時 2007 年 9 月 27 日 20:47:00)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070928-00000902-san-int
「怒り持って現場に入った」長井さん死亡に知人ら呆然
9月28日3時1分配信 産経新聞
大規模な反政府デモが続き多数の死傷者が出ているミャンマーで、ニュースプロダクション「APF通信社」(東京都港区)と契約するカメラマン、長井健司さん(50)の死亡が27日深夜、確認された。長井さんは「戦場ジャーナリスト」として知られる存在。外務省から電子メールで送られてきた遺体の写真を見て、身元を確認したAPF通信社の山路徹代表は「長井を迎えに行かないと…」。知人らも突然の訃報(ふほう)に言葉を失った。
「残念です」。この日午後11時半すぎに報道陣の取材に応じた山路代表は、こうしぼり出すのが精いっぱいだった。外務省から送られてきた3枚の写真。そこには変わり果てた長井さんの姿が写っていた。写真は長井さんの遺族にも同時に送られたという。
長井さんの口癖は「誰も行かない所には誰かが行かないと」。山路代表は「優しい性格だが怒りを持って現場に入った。また、バンコクでHIVに感染した子供を取材するときなどには、温かい目線で取材していた」と語った。「取材経験も豊富で、ある意味では用心深い男でもあったのに」とも。
APF通信社は、日本初の紛争地域専門のニュース取材会社として、平成4年に設立。同社によると、長井さんは愛媛県出身で独身。もともとフリーの記者兼カメラマンとして活動していた。これまでアフガニスタンやイラクといった戦闘地域などで取材し、撮影した画像や映像、リポートが民放で放映されることもあった。
長井さんは25日、ミャンマー情勢が動いたため、それまで取材していたバンコクから空路でヤンゴン入り。ミャンマーは初の訪問で、取材は1週間を予定していた。
長井さんが最後に連絡を入れてきたのは27日昼。「町の取材を続ける」という長井さんに対し、山路代表は「気を付けて」と声を掛けたという。次に入る予定だった午後4時半の定時連絡はなく、それっきり電話は通じなくなった。
長井さんの愛媛県今治市の実家では28日未明、母親の道子さん(75)が「夜8時過ぎに外務省から電話があった。動転している。ミャンマーに行っていたのは知らなかった」と話した。
道子さんは「最後に里帰りしたのは3年前。仕事でアフガニスタンなど紛争地帯に行っていたのを聞いて、危ない所には行かないでと話していたのに…」と語った。
最終更新:9月28日3時1分