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(回答先: 死亡男性、旅券に「長井健司」 取材で入国 ミャンマー(asahi.com) 投稿者 茶々 日時 2007 年 9 月 27 日 23:29:11)
茶々さんが転載して下さっていたリンクを開けたら、
内容がちょっと変更されていました(下にコピペ)。
『誰も行かないところへは、誰かが行かなければいけない』
が口癖だったとのこと。
ジャーナリストとして、きっと優秀な方だったのだろうと思いました。
また、後任の方の無事を祈ります。
合掌。
http://www.asahi.com/international/update/0927/TKY200709270653.html
死亡の長井さん、「町にデモ取材へ」通信社に連絡
2007年09月28日00時54分
僧侶や市民らによる反政府デモが続くミャンマー(ビルマ)の混乱に27日、日本人が巻き込まれた。外務省は、東京都のジャーナリスト、長井健司さん(50)が亡くなったと確認した。右胸を撃たれていたという。長井さんを知る人たちの脳裏には、地道に紛争地取材を重ねる姿が焼き付いていた。
長井さんが契約をしていたAPF通信社は東京・赤坂に事務所がある。山路徹代表が午後9時半すぎ、近くの公園で報道陣の取材に応じた。
山路代表によると、外務省から午後8時すぎ、「ミャンマーで邦人1人が流れ弾にあたって亡くなった」と連絡が入った。所持していたパスポートに「長井健司」の名があったという。
山路代表は午後11時半ごろ再び会見。「外務省から遺体の顔の写真が電子メールで届き、うちの長井だと確認した」と話した。写真は顔のアップの角度を変えたもの3枚で、顔には傷の跡はなかったという。「大変残念です」。言葉を詰まらせ、目に涙を浮かべた。
山路代表は写真の確認後、愛媛県今治市に住む長井さんの実家にも電話した。28日、実家に向かい、説明をする予定だ。
山路代表はまた、バンコクにいる別の契約記者がミャンマー入りの準備をしていることも明かした。「長井の口癖は『誰も行かないところへは、誰かが行かなければいけない』だった。この状態で取材が後退することを長井は好まないと思う。別の記者が望むならば社としても支援していく」と話した。
長井さんは別の取材でタイのバンコクに入っていたが、「ミャンマーの民主化運動がどう発展するのか取材したい」と志願して25日、ミャンマーに入った。27日昼過ぎ、通信社に連絡があり、「まだ比較的平穏です。でもこの先デモが始まりそうなので、町に取材に出るつもりです」と山路代表に告げた。代表は「気を付けてね」と言ったという。午後4時半に入るはずの連絡が入らず、同通信社は宿泊先に電話していたところだった。
山路代表によると、長井さんはフリーランスで取材活動をしていたが、97年ごろ同社と契約。イスラエルでの取材経験が豊富で「催涙弾をかいくぐって取材活動をしていた」という。ただ、ミャンマーに入ったのは今回が初めてだった。