★阿修羅♪ > 戦争96 > 376.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: ミャンマー関連ニュース:【デガラシ総理、これは自己責任か?ポンジンはミャンマー人民ば収奪すてるんだすがや】 投稿者 竹中半兵衛 日時 2007 年 9 月 27 日 23:05:22)
【ビデオ】ビルマ軍政はなぜ僧侶のデモを恐れるのか 非暴力の闘いに国民の支持
日刊ベリタ9月22日
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200709221729586
燃料費の大幅値上げに対するビルマ(ミャンマー)国民の抗議行動は、多数の僧侶が全国各地で抗議デモを展開するにつれ、反軍政の政治的性格を濃くし始めている。旧首都ヤンゴンでは22日も少なくとも2千人の僧侶がデモが行ったが、軍政は2003年以来自宅軟禁に置かれている民主化運動の指導者アウンサンスーチーさん宅前の道路封鎖を突然解除、スーチーさんが自宅前を通過する僧侶たちを見て涙をこらえきれなくなる姿が見られた。なぜ僧侶は反権力闘争の先頭に立つのか。軍事政権はなぜ僧侶の行動に手荒な対応を控えているのか。民主化運動と仏教はどのような関係があるのか。日本人には分かりにくいこれらの点を、現地から送られてきた僧侶のデモ行進のビデオを観ながら考えてみたい。(永井浩)
(以下略)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
ミャンマーでは、伝統的に僧侶ポンジーの中でも、ポンジーラジカルといわれる部分が時代を引っ張った時期があるんだす。19世紀前半の第一次ビルマ戦争(反英)、第二次ともにビルマ軍は惨敗しているが、軍隊はめちゃくちゃ勇敢、ゲリラ戦にもちこんで英軍ば困らせたとばい。まだコンパウン王朝があったときだすが、軍隊が勇敢だったのは「捕虜禁止。捕虜の家族は皆殺し」っつう王朝・軍部のやりくちから勇敢にならざるをえなかった、どっかの国みてだ。19世紀末には英領ビルマさなって王朝が消滅すつまった。ほいからだよ、長い独立闘争(この部分はあまり詳しくはねだすが)がはずまったのは、日本軍がこいば利用すて例のスイーチーさんのおやずもたぶらかすて反英ば煽ったども英軍がいねぐなった途端約束をホゴさすた。んで、インパールで日本軍が白骨化すて絶滅。その後反英闘争が再燃すてなんとかイギリスから独立すたども、ひとつには民族問題が複雑だす、っつう話だ。んで、軍部がボナパってクーデター。伝統的にモン族対ミャンマー族(今の軍部)、ヤカイン族(アラカン)、などがかつて流血すあってた。部族だけでも100以上あるお国柄。ほいばみごとに軍政のもとでも人民ば「一つの心」に保っているのが上座仏教なんだす、とおらは解釈すてる(詳しくねえもんで)。んだから、デモさ参加すてるポンジーたちも顔の色はみな日焼けすて黒い(修行の徹底ぶりがわがる)んだども、顔の形が微妙につがう。ヤンゴンはモン族とミャンマー族が長らくいがみあってたはずだすが、英領となったときにはモン族ばイギリスは重用すたっつ話だ。ま、いまやミャンマー人民は飢餓の縁さ立たされて、ラジカルなポンジーば中心に平和的な決起が為されたと見てる。ミャンマーはおっかねえ虎が居って、日本軍も大分食べられたらすいが、ほいが、ミャンマーの家は竹とヤシ葺きの家だで、屋根から襲うらすい、で、ポンジーも写捨身飼虎ばくりかえすてきた、その伝統ば、今人民の前で示してるんだ。んだから、ポンジーの戦いは強い。鉄砲ぐれじゃひるまねべ。
ミャンマーでは労働運動も閉塞状況だべつが、日本みてなブルジョワ民主主義ばめざすてもろくなこつねだから、坊さんがたの徹底すた平和主義と市民主義者が団結すて軍政ば打倒するこつさなんべす。すがす、軍部ば甘く見てはんげね。スターリニスト中国の指導のもと軍部は天安門前の虐殺とおなずこつもばいとわぬべすから(スターリニストの本性だ)、これさ対しては労働者的な戦いば組織すて生産ばストップするこつすかあんめえ。帝国主義国が涎ばたらすて、ブッシュはずめ西洋・日本が介入の機会ば伺ってるし、ミャンマー人民は気を緩めず、みずからを軍政の呪縛から解放する戦いばすすめてゆくべきだ。