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http://masima-ik.mo-blog.jp/rhi/2007/09/post_6c3f.html
より引用開始
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2007-09-16
イラク年表+
テロ対策特措法の国会審議を前に、一夜漬けであっても一応の復習しておいた方がよさそうだ。そのため簡単な年表を作ってみた。その要所にコメントや引用文を入れておく。
2001/09/11 米国同時多発テロ。国防総省、世界貿易センター等で3000人近くが死亡。
2001/10/07 米・英の率いる連合軍がアフガニスタンに軍事介入(不朽の自由作戦)。約3500人の民間人と連合軍側420人の犠牲者が出る。
2001/10/26 米議会、国民の自由を制限する「パトリオット(愛国者)法」を可決。
2002/01/29 ブッシュ大統領がイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び対抗策を確約。
2002/06/14 カラチのアメリカ領事館へテロ攻撃。死者12人。
2002/10/11 米議会、イラクに対する武力使用を承認。
2002/10/12 バリ島でテロ事件。死者約200人
2003/02/05 コリン・パウエル米国防長官が、安保理で映像や盗聴テープを使い説明。以下は最上俊樹著『国連とアメリカ』による。
【引用】USニューズ・アンド・ワールド・レポート誌(2003/3/9号)に掲載された記事)によれば、最初チェイニー副大統領のスタッフたちによって作成された演説草稿は、裏付けに乏しい「言いがかり」に満ちた、「ごたまぜのイラク非難」に類するもので、パウエル周辺の政府関係者があきれるほどだった。それでもその草稿の中から使える部分は拾いつつ、2月5日に使うための草稿作りを試みたが、なお無根拠な箇所がたくさん残ったのであろう、2月1日に予行演習をした際、怒ったパウエルが「こんなばかげたもの(bullshit)が読めるか」と言って数ページを宙に放り出したという。
【コメント】その使える部分に残ったのが次の3項目である。
1.生物兵器
・数万人単位の人間を殺傷できる量の炭疽菌およびボツリヌス菌を1カ月以内で製造可能。
・そのための移動式製造装置を保有。
2.化学兵器
・100トンから500トンの化学兵器用物質を保有。
・イラン−イラク戦争時からの行方不明兵器も多量。
・死刑囚を使った人体実験も実施。
3.核兵器
・1995年に簡単な核兵器製造の緊急計画に着手。
・1998年には核分裂物質入手計画を本格化。
・製造計画を続行中。
2003/03/20 イラクへの軍事侵攻(イラクの自由作戦)、米軍24万人、英軍26000人。
【コメント】ほかにオーストラリア、スペイン、ポーランド、日本などが派遣したが、2007年の今日までにスペイン、イタリア、オランダなどがすでに撤退。その他の派遣各国も英国をはじめ多くの国が一部撤退または撤退を検討中。
2003/05/01 ブッシュ大統領、戦争終結宣言。
2003/12/13 フセイン元イラク大統領、米軍により国内で拘束。
2004/03/11 スペインで列車に対するテロ事件。死者191人。
2004/03〜04 米兵によるイラク人捕虜に対する虐待写真流出、公開される。
2004/09/30 CIAダルファー報告(上記の「大量破壊兵器の隠匿と実戦配備の即応性」を否定)。
【コメント】侵略を先に決め、無理矢理理由付けしたダーティな戦争だということがはっきりしている。現在叫んでいる「テロとの戦い」も後付けにすぎない。米軍の行動がテロを分散蔓延させてしまっているからだ。(以下次回)
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引用終わり
http://masima-ik.mo-blog.jp/rhi/2007/09/post_2ea4.html
より引用開始
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2007-09-17
続・イラク年表+
前回の年表の一部を拡大、日本と国連決議の動きを付け足して観察したい。
1990/08/03 イラク軍クウェート侵入、全土制圧。
1990/08/30 日本、多国籍軍の後方支援に10億ドル支出を決定。
1990/11/29 国連安保理決議678。【コメント】クウェートに軍事侵攻したイラクに対し多国籍軍が武力行使することを授権した。その撤退期限が切れた1991/01/17、多国籍軍による戦闘を開始。
1991/04/03 国連安保理決議687。【コメント】イラクが大量破壊兵器を廃棄し国連の査察に応ずることを義務づけた。
1991/04/06 湾岸戦争終結(国連安保理確認)。
1991/12/30 ソ連解体
1993/01/01 EC発足
1994/04/10 ボスニア紛争でNATO軍が空爆
1998/08/07 ケニア、ナイロビの米大使館付近で爆発。274人死亡。
1998/08/20 米、アフガニスタン、スーダンの「テロ関係施設」を報復攻撃。
1998/08/31 北朝鮮「テポドン1号」発射、三陸沖に落下。
1998/12/17 米英軍、査察妨害等を理由に20日までに97ヶ所に対し「湾岸戦争」時を上回る巡航ミサイル数でイラク攻撃、「砂漠のキツネ作戦」。日本政府は攻撃支持を表明。【コメント】イラク攻撃はこのころからの既定方針か。
2001/09/11 米国同時多発テロ。国防総省、世界貿易センター等で3000人近くが死亡。
2001/09/12 国連安保理決議1368。【コメント】9.11の翌日ななされたもの。テロの非難と「テロリズムと闘うため必要な手順をとる用意がある」という内容で、特定の武力行使をさしたものではない。
2001/10/07 米・英の率いる連合軍がアフガニスタンに軍事介入(不朽の自由作戦=OEF)。
2001/10/26 米議会、国民の自由を制限する「パトリオット(愛国者)法」を可決。
2001/10/29 日本で「テロ対策特措法」成立。安保理決議1368を根拠にしている。
2002/01/29 ブッシュ大統領がイラク、イラン、北朝鮮を「悪の枢軸」と呼び対抗策を確約。
2002/10/11 米議会、イラクに対する武力使用を承認。
2002/11/08 国連安保理決議1441。
【コメント】イラクが安保理決議違反を繰り返しているとして、大量破壊兵器対する査察再開の受け入れと、査察妨害など重大な義務違反をしないよう命じたもの。重大な義務違反があった場合「安保理は直ちに招集され、事態を検討する」とのべており、自動的な武力行使を避ける趣旨を含んでいる。大量破壊兵器へのでっち上げは前回の年表を参照。
2003/03/20 イラクへの軍事侵攻(イラクの自由作戦)、米軍24万人、英軍26000人。
【コメント】国連決議のない戦争突入として、自衛権行使、先制攻撃、人道的介入、体制変更そのいずれも合法性が認められない。そこで直前の国連決議1441に、湾岸戦争当時の国連決議687、678を結びつけ3つの決議をセットにして合法性があるという主張をアメリカも日本もしている。7年前の青信号は黄色から赤に変わり、また青になるに決まっているから無視して当然、というしろうと考えでも無茶な話なのである。湾岸戦争は一旦終わっているのだ。
2003/07/26 アメリカの圧力のもと、日本のイラク特措法成立。【コメント】目的は人道復興支援活動と安全確保支援活動で陸自のサマワ派遣部隊は撤退したが、航空機による物資、人員の輸送活動はいまだに続けている。
2003/05/01 ブッシュ大統領、戦争終結宣言。
2003/12/13 フセイン元イラク大統領、米軍により国内で拘束。
2004/03/11 スペインで列車に対するテロ事件。死者191人。
2004/03〜04 米兵によるイラク人捕虜に対する虐待写真流出、公開される。
2004/09/30 CIAダルファー報告(上記の「大量破壊兵器の隠匿と実戦配備の即応性」を否定)。
漫然と延長してきたテロ特措法、イラク特措法に即時破棄でなくとも本年度末程度で目途をつけるようアメリカに進言したらどうか。多くの国から(国際的な)非難を浴びるなどウソである。特売期間はもはや終わっている。アメリカも何かの機会を待っているはずだ。
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引用終わり
(引用者注)
コンパクトに年表としてまとめてくれたのはありがたい。ただまだここに入れるべき
ものがあるような……。
ちなみにこの「反戦老年委員会」は10月1日よりURLを変更し「反戦塾」として
再出発するとのこと。