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軍隊は住民を守らない・今、なぜ沖縄戦の事実を歪曲するのか 2007/09/17
山口剛史さん(左)と岡本厚さん(右)筆者撮影
9月11日(火)午後7時より練馬区立勤労福祉会館で「『今、なぜ沖縄戦の事実を歪曲するのか』−歴史教科書の〈集団自決〉検定修正をめぐって」と題し、緊急集会が開催されました。講師は、山口剛史さん(「沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」事務局長・琉球大学准教授と岡本厚さん(岩波書店)です。主催は「沖縄戦教科書検定問題を考える9.11集会」実行委員会。
約15分間のビデオ上映(「命どぅ宝の島から―証言でつづる沖縄戦の真実―第1章「強制的集団死」)のあと、山口剛史さんが「沖縄戦集団死・『集団自決』歪曲と県民の運動について」、岡本厚さんが「大江・岩波『集団自決』裁判の現状について」、それぞれ講演と報告をしました。
●山口さんのお話
教科書の歴史歪曲を許さない
私が事務局長を務めている「沖縄選の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会」は、「大江・岩波訴訟」裁判の支援だけでなく、この運動が大きな歴史歪曲反対運動になることを予感し、幅の広い平和・教育の会を進める会ということで、県民レベルで作ったものです。沖縄だけでなく、全国に会員がいます。
党派を超え、保革を超え、「教科書の歴史歪曲を許さない」この一点で運動を進めてきた結果、沖縄の41の市町村の教科書検定撤回を求める意見書決議がすべて揃いました。県議が全会一致で教科書検定の撤回を求める決議をしました。2度も決議をするまでに盛り上がりました。来る9月29日、全県民を集めた5万人参加を想定している超党派の県民大会を進めています。
この運動は沖縄だけでなく、全国的な広がりを見せています。実は、明日韓国に行ってソウルで話をします。沖縄だけでなく、日本だけでなく、アジア全体の問題としてあの戦争をどう学ぶのか、どう記憶していくのか、という運動になってきています。それが、3月の終わりから9月にかけての運動の成果です。
教科書会社は文部科学省に屈服せざるを得ない
教科書と沖縄記述の問題について考えてみたいと思います。教科書には検定というものがあります。それをやっているのは文部科学省。教科書会社が執筆・編集したものを申請と言い、これを文部科学省に「これでいいですか」と聞く。単純な誤字脱字を含め、文部科学省がチェックをします。その際、今回は内容の書き方までチェックをしてきました。
昔は文部科学省とやり取りをすることができました。何度かやり取りをして、執筆者は自分たちの主張に近い形に踏みとどまる駆け引きができました。いまは一発検定と言い、これを飲むか飲まないかで教科書の合否が決まる。教科書会社は文部科学省の意向に従わざるを得ない。文部科学省の力が強く、教科書会社は文部科学省に屈服せざるを得ない関係の中で今回の問題が起こっている。
基本的な変更は、集団自決に関して「日本軍が」という主語を消したこと。もう1つは、集団自決に「追い込まれ」たり、集団自決を「させられた」という表現にチェックを入れてきた。実況出版の執筆者に話を聞くと、この「させられ」がまずいと言われたそうです。これを変えないと合格させない。その理由として「大江・岩波訴訟」の原告意見を参考と(新聞の)記事には出ているが、現実には文部科学省が教科書会社に説明するときはこの訴訟の話は出ていなかったそうです。
林博文氏の書籍を悪用して書き換えさせる。どこにも軍の命令や隊長の命令があったとは書いていないじゃないか、というのが彼らの主張です。彼らの目的は、日本軍によって集団自決に追い込んだという表記を削除することです。隊長命令があったかなかったかわからない。だから断定的な記述はできない、と彼らは主張している。
軍の強制・誘導がなければ住民は死ななかった
それに対し、軍の強制・誘導がなければ住民は死ななかった、これが沖縄戦の実相なのだという立場で私たちは運動をしてきました。体験者が重い口を開いて話してくれた事実は、軍命があったかなかったかでは片付けられない沖縄の真実です。
集団自決というと、輪になって爆弾を爆破させたり投身自殺のイメージがありますが、ビデオで金城重明さんが証言していたように、渡嘉敷や座間味で起きた集団死は、家族を自ら手にかけるというものでした。家族同士が殺しあう。家父長制のもとでは男が家族に責任をとる形で家族に手をかける。沖縄で集団自決といえば家族の殺し合いを指しています。醜い家族同士の殺しあい。これを指して自決と言うのは実態を表していない。最近は集団死という言葉になっています。沖縄では言葉通りの意味で集団自決はなかった、というのが研究者の認識です。
軍官民・共生共死
金城さんの証言にもあるように、1944年に渡嘉敷に軍隊が入ってきました。渡嘉敷は主戦場。飛行場や陣地をつくるため、たくさんの住民が動員された。食料拠出、物資運送など住民が借り出される。このとき、行政が一番の役割を果たします。徴兵事務をするところは兵事係。こういう人たちを通じて臨時徴集をする。軍官民共生共死。そういうシステムを軍を頂点としてつくる。住民の末端が軍隊から命令を受けるわけがない。行政を通じた命令。戒厳令の一種で、民政の行政をストップして軍政を敷く。最終的にはその地区の司令官が責任を負う。
渡嘉敷の場合、守備隊長は絶対的な権力をもっていました。彼らの許可なしにはなにもできない。金城先生が言う「一木一葉にいたるまで日本軍の支配下にある」。住民に生きるか死ぬかの選択肢はない。軍隊が防衛隊を通じて住民に手榴弾を配った。訓示の中でいざとなったら自決せよと刷り込む。片方で日本兵が鬼畜米兵を刷り込む。生きて捕虜の辱めを受けるな。住民は追い詰められていく。直接部隊長が住民に何月何日に自決せよということは、軍隊の組織形態からみてあり得ない。
沖縄県民は根こそぎ動員で、どこに穴があってどこに陣地があるかわかっている。1日でも長く生存を引き伸ばしたい日本軍にとって、これを知られると困る。いかに住民がしゃべらないか。住民を信頼しない。いざというとき住民に死んでもらわないと自分たちの居場所がすべてばれてしまう。(集団自決や住民虐殺は)こういうことが根底にあるといわれています。
集団自決は住民虐殺と同根・同質
渡嘉敷や座間味は特攻艇の秘密基地だった。秘密がもれてはいけない。秘密を知っている住民を自由にさせることはできない。裁判は部隊長の命令があったか否かに問題を矮小化させている。そういう命令があろうがなかろうが、住民を死に追い込んでいく構造が、軍規の問題も含め、バシッとつくられていた。住民は生という選択肢を与えられていない。それが沖縄の戦場だった。軍官民共生共死の思想が徹底的に刷り込まれたことによる悲劇。集団自決は住民虐殺と同根・同質という理解。
82年に住民虐殺を書こうとしたら、数が特定できないということで検定が通らなかった。大きな県民運動が起こり、沖縄県民感情に配慮し、書き加えてよいと言った。そのとき、集団自決も書けと指示された。教科書執筆者は住民虐殺と集団自決と言われているものはまったく同根・同質だとしており、工夫して書いたのが「日本軍によって集団自決に追い込まれたり、虐殺されるなどした」という一文で表現した。これがほぼ20年続いてきた。
彼らは戦略を練って、着々と進めてきた
00年、宮城晴美さんが書いた「母の遺したもの」に、当時青年団長をしていた宮城初枝さんは、自決の夜、梅沢隊長は命令を出さなかったと言っていたと書かれていた。しかし、それは個人的な経験であり、これが全体を現しているわけではないというのが私たちの理解。この本が悪用された。
産経新聞は毎年6月23日になると、「集団自決をまだ書いていない。まだ軍命と言っている」というキャンペーンをはる。05年、沖縄プロジェクトを立ち上げ、自由主義史観研究会の藤岡信勝氏が歴史歪曲の策動をはじめた。渡嘉敷に来た。視察旅行。県内で緊急シンポジウムをやった。報告集会をやって、「すべての出版社に軍命のあるものについては訂正を申し入れる。文部科学省にも要請する」とぶち上げた。
パンフも作ると言っていた。パンフの代わりに「大江・岩波訴訟」が出てきた。05年の運動が教科書執筆を意図しながら着々と進められていた。裁判をつくり、軍命が争われているかのように法廷劇を展開している。今回、文部科学省はこの意見陳述書を1つの理由として教科書検定にケチをつけてきた。教科書検定を睨みながら、着々と歴史歪曲のために裁判を位置づけてきた。彼らは戦略をきちんと練って、タカ派の政治家を抱きこみながら一緒になってやっている、というのがいまの動き。
それに対する県民の動きについてですが、実際、沖縄のことがどれぐらい書かれているのか。06年3月の教科書の記述を見ても、今回の検定が起こる前から教科書会社の自主規制が始まっていることがわかる。どんどん沖縄戦が薄められていく状況を止められないままここまできた。沖縄の教師は教科書をベースにしながら沖縄戦の実相を教えることができるかもしれないが、全国の教師はそれができるか。そこまできてしまったことに危機感をもっています。
軍隊は住民を守らない
あの戦争をどう総括するかというとき、沖縄戦で住民が体験したことは、軍隊は住民を守らなかったということでした。軍隊は日本の政治体制を守るために存在しているもので、住民の生命や財産を守ってくれる存在ではない。国民をタテにしてでも自分たちは生き残る。渡嘉敷だけでなく、南部に逃げ惑う住民が体験した、それが体験的な教訓であり、真実。
それをさも軍隊は偉いものだと60年経ったいまも言おうとしても認められない。歴史の真実が認めない。天皇の軍隊は天皇の名においてなにをやってきたのか。沖縄だけでなく、アジアの国々の人たちに何をしたのか。その記憶を消すような歴史学習はあってはならない。
汚辱に満ち、不名誉なことでも、乗り越えなければならない
どんなに汚辱に満ち、不名誉なことであっても、乗り越えなければならない。それが21世紀の私たちに課せられている歴史学者のあり方。戦争の教訓を学ぶということはそういうことなのではないか。それを何月何日に隊長から自決の命令はなかったということで軍命はなかったということにもっていこうとしている。そういうことではない。
自虐3点セット
彼らは日本軍を貶める自虐3点セットは、「従軍慰安婦」「南京虐殺」「沖縄の集団自決」だと言っている。「従軍慰安婦」は中学の教科書から完全に消えた。「南京虐殺」は3万という少ない説を出してきて、いかにも論争があるようにつくって、文部科学省は、諸説あるんだから2つ書けと言った。事実を薄める。「集団自決」が終わったら「住民虐殺」。
なぜ自国の軍隊が住民を殺すのか、あり得ない。彼らの論理からすれば、せっかく教育基本法を変え、愛国心を盛り込み、憲法を変えようとするとき、こんな不都合な歴史の教訓はない。有事法制で国民保護法をつくろうとする中で、軍隊が住民を守らないという教訓は、彼らにとってはあってはならない。そこまで見通して沖縄戦の歴史を抹殺したいと思っている。
教科書検定は体験者のつらい生き残った経験も否定する
沖縄ではたくさんの証言が出てきました。おじいさんやおばあさんがこのまま黙っては死ねないと動いている。この教科書検定は体験者のつらい生き残った経験も否定してしまうことを実感しています。文部科学省は教科書審議会が学問的に公正に研究した結果だと言っているが、それは違うと思う。この裁判を利用してきたことも含め、恣意的に教科書を書き換えさせている。
先の国会で明らかになったが、文部科学省の原案が審議会でその通り可決されている。文部科学省、官邸主導。政治的圧力があって今回の検定はあった。国会議員に要請しながら、政治決着をしてもらう。全国の声で文部科学省を追い詰める。沖縄だけでなく、日本の歴史をどう伝えるのか、という観点から全国共通の課題、アジア全体で日本はどうなのか、という観点。記述復活で終わりではない。きちんとした教科書を作っていく。
●岡本厚さんのお話
本土と沖縄の報道のギャップ
私は「大江・岩波裁判」を担当しているので、毎回、裁判(大阪地裁)の傍聴をし、弁護団との折衝、大江健三郎さんの相談などにのっています。昨日、沖縄に出張法廷で、金城重明さんの証言を聞くために弁護団と大阪から裁判官が行って話を聞きました。沖縄のメディアの関心は高く、テレビ、新聞は圧倒的に取材し、たくさん報道があったが、本土の新聞で報じたのは「赤旗」だけでした。情報のギャップが本土と沖縄ではあることを感じました。
この裁判は名誉毀損にかかわる民事訴訟で、原告は当時座間味守備隊長だった梅澤豊さんと、渡嘉敷島の第三戦隊長をしていた赤松義嗣さんの弟さん。被告は岩波書店と大江健三郎さん。訴えられた書物は大江さんの「沖縄ノート」と家永三郎さんの「太平洋戦争」。原告はこの2つの書物によって名誉を傷つけられたとして、「謝罪」「出版取りやめ」「慰謝料」を請求しています。
家永さんの本は1968年、大江さんは1970年刊行で、事件からいうと62年、本からいうと40年以上も前の本が名誉毀損で訴えられたというのは大変珍しい。それ以前なんの抗議もなく、いきなり訴えられたので、「なんなんだろう」と疑問に思いました。山口さんの背景があったことがわかった。原告団の1人が「正論」に書いていますが、訴訟を起こす前にこれは名誉毀損になるからと梅澤さんのところにわざわざ行って訴訟を起こしましょう、と言ったそうです。
政治的な訴訟であることがわかった
梅澤さんは年(90歳)なので、このまま墓場まで持っていくとためらったそうです。それを、赤松さんの弟さんを説得し、赤松さんの弟さんがやるなら自分もやらざるを得ないと梅沢さんが名を連ねた。そういう形で起こされた政治的な訴訟であることがだんだんわかってきました。
主な論点は、米軍が上陸した夜、座間味では梅澤さん、渡嘉敷では赤松さんが住民に対して集団自決を命じていない、ということと、それを命じたと書かれ、非常に名誉を傷つけられた。言いたいことはなにか。それは、彼らの準備書面に出ています。
住民は軍の足手まといにならないために、そして軍が後顧の憂いなく戦うことができるために自ら死を選んだということを言いたい。つまり、軍命があったから死んだのではない、住民は自ら死んだのである。美しい死ではないか。それを軍命があったからとか、隊長命令があったからというのは、住民たちの名誉、あるいは軍隊の名誉を傷つけるものであるということを言いたい。
沖縄戦の教訓を引っくり返すのが裁判のねらい
沖縄戦において沖縄県民が得ていた教訓であるところの、軍隊は住民を守らない。むしろ、住民をタテにしたり、壕から追い出したり、食料を奪ったり、スパイという形で処刑をしたり、集団自決に追い込んだりする。軍隊は住民を守らない。むしろ、犠牲にしていた。沖縄戦観全体を引っくり返そうとすることが訴訟の背景にある。隊長命令という非常に小さな、米軍が上陸した3月25日とか、あるいは3月27日の何時に隊長は言った言わなかった、そのことによって全体の構造を引っくり返してやろうとしている。
私たちの主張は、隊長命令はあったとしています。様々な資料や証言によって、仮に隊長命令ではなかったとしても、軍官民共生供死という教えによって、住民は捕虜になってはいけないと教えられた。戦えるものは戦い、米軍の本土進攻を遅らせる。捕虜になればスパイとして処刑する。あらかじめ、大切な武器である手榴弾を住民に渡している。捕虜となったらひどい殺され方をされると刷り込む。恐怖によって支配する。大きな意味の軍命はすでにあったと主張しています。
原告側も、死んでいった住民たちは軍命があって死んでいったということを認めました。上陸した米軍が住民たちから聞き取りをしたところ、住民が日本軍から捕虜になるより死になさいと言われていたことを、1945年3月に言っています。資料に出ている。彼らが出してきた資料の中にも書かれていたので認めざるを得ない。
裁判の進捗状況について
現在、お互いの主張はほぼ終わり、夏から証人尋問が始まっています。第1回の証人尋問は7月に行われました。原告側の証人は赤松さんの2人の部下。被告側の証人は宮城晴美さん。「母の遺したもの」という本を書いた方です。訴訟のキッカケとなった本を書いた方です。
原告側の証人は2人とも隊長が命令したとき横にいなかったことがハッキリしました。渡嘉敷で第1回の集団自決があったとき、住民が軍の壕になだれ込んできたことも知らなかった。いろんな事実を知らない、矛盾点が出てきた。2人は赤松氏が命令したかしなかったかを証明する証人になりえないことがわかりました。
宮城さんについては、軍の命令は戦隊長であったことをハッキリ言いました。自分の書いたものについては、表現として誤っていた。戦隊長でなく助役があたかも命令したかのように書いてしまったが、その書き方は誤っていたと言いました。
第2回の証人尋問が昨日行われました。渡嘉敷島の生存者の金城重明先生が証言をしてくださいました。自分が家族を手にかけ、殺してくれと言った人に手をかけたと、証言をしました。金城先生はハッキリと軍命はあったと言いました。まわりから軍命が出たらしいと聞いています。防衛隊がなにか伝令できたあと、村長が「天皇陛下万歳」と叫んでそこから自決がはじまったということを言いました。
最後の証人尋問は11月に行われます。原告である梅澤さんと赤松さんの弟と大江健三郎さんが出廷し、尋問に答えます。12月には結審し、来年の3月ぐらいには地裁の判決が出るのではないでしょうか。非常に大きく局面を展開したのは、教科書検定。私事性のものだったのが、教科書検定によって一気に公のものとなりました。教科書検定の理由にこの「大江・岩波訴訟」が使われた。
「沖縄自決えん罪訴訟」と書いた文部科学省
向こうの資料の中に「沖縄自決えん罪訴訟」と書かれていました。文部科学省が出した資料です。「えん罪」という言葉を使うのは原告か原告の支援者しかいない。ここに教科書検定の正体があからさまに出ている。現在の行政のずさんさ。「えん罪訴訟」として出してしまう迂闊さ。さすがに伊吹文科相も国会で指摘を受け、不適切であると謝罪をしました。この裁判がどういう形で起こされたか、この教科書検定がどのような形で行われたか、端無くもあらわにしています。
教科書検定は沖縄のトラの尾を踏んでしまった
教科書検定によって裁判が大きく変わりました。これまで証言をしてこなかった人たちが座間味や渡嘉敷の人たちが、「こんなことは許せない、こんなことは黙っていられない」と次々と証言を始めました。県民全体の大きな運動によって、逆に原告側の証人になろうとした人たちが証言をやめてしまった。ある意味でトラの尾を踏んでしまった。
教科書検定を見て、原告側は目的の半分は成し遂げたとして勝利宣言をしました。しかし、いまの沖縄の怒りの前に彼らは非常に戸惑っています。最近は、「自分たちは大きな意味ではなく、軍命があったことは否定しない。隊長命令があったかなかったか、それだけを僕らは言ってるんだ」と言い始めています。
沖縄だけの問題ではない
訴訟にとって、沖縄の人たちの怒り、運動が大きな役割を果たしました。教科書問題、裁判、辺野古。全部つながっている問題。本土と沖縄の問題。沖縄だけの問題ではない。訴訟を勝ち取って、従軍慰安婦の轍を踏まないようにしたい。従軍慰安婦、南京虐殺の反転の大きな力としたい。
●筆者の感想
ビデオで集団自決の生き残りの方が証言していたお話は大変ショッキングなものでした。当時11歳だったという宮里哲夫さんは、校長先生が目の前で自分の奥さんの首に剃刀を当てると血がドッと噴き出して、自分と横に座っていた母親や弟たちの衣類が真っ赤に染まったとか、奥さんが首から血を流しながら「お父さん。まだ死んでいないよ」と言ったとか、大変生々しい証言で悲惨な光景が目に浮かび、話を聞きながら大変痛ましい思いがこみ上げてきました。
また、金城重明さんのお話も大変痛ましいものがありました。父が防衛隊に徴集されていたため、当時16歳だった金城さんと2つ違いの兄がお母さんと幼い弟と妹に自ら手をかけたこと、お母さんをどのように殺害したか覚えていないが、ただ一つ鮮明に記憶しているのはこれで叩けば確実に死に至ると思われる石でお母さんの頭部を殴打したこと、母の死を前にし、ショックで号泣したことなど、金城さんはつらい体験を話してくださいました。
教科書問題について今後の展開を参加者に問われたとき、「かりに政治決着して文部科学省が検定を取り消したとしても、教科書会社が自粛して集団自決に軍の関与があったという記述をしない可能性がある。文部科学省への働きかけだけでなく、教科書会社にも働きかけをすることが求められている。歴史の歪曲・改ざんを許さないという一人ひとりの声が教科書会社を動かす」と答えた山口さんの言葉に、まったくその通りだとの感想をもちました。
(ひらのゆきこ)
おもな関連サイト:沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会
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