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S.ジョーンズが「特に優れている」のではなく他の科学者がひどすぎるのだ
http://www.asyura2.com/07/war95/msg/693.html
投稿者 バルセロナより愛を込めて 日時 2007 年 9 月 17 日 17:52:41: SO0fHq1bYvRzo
 

S.ジョーンズが「特に優れている」のではなく他の科学者がひどすぎるのだ
(話の性質上、ここだけではなく議論板にも案内を貼っておきます。)

(参照)
http://www.asyura2.com/07/war95/msg/684.html
実際に起こった現象を無視する輩を科学者と呼べるのか!
http://www.asyura2.com/07/war95/msg/669.html
専門家のようですよ
http://www.asyura2.com/07/war95/msg/681.html
いわゆる「専門家」特有の逃げ方
http://www.asyura2.com/07/war95/msg/683.html
自分の「理論」のシミュレーションを作っても、事実の分析は決してしない「専門家」


私は科学というものを次のように理解しています。

●「事実」とされるものを徹底的に調査し、
●そこから確実な根拠を持つ事実として何があるのかを選び、
●それらの事実を精密に調べ観察し、
●その調査と観察に基づいてその原因や理由について仮説(hypothesis)を立て、
●仮説を元に「それが正しいとすればこのような新たな事実が確認できるはずだ」という予想を立て、
●それを、事実として確認できること(実験、観察の結果)と照らし合わせ、
●もしその仮説に基づく予想と異なる事実が存在する場合には仮説を修正し、
●その修正を繰り返して、存在する(観察できる)事実を全て説明できるまで洗練させ、
●「何が真実なのか」に近づけていく。

そして、これらは全て公開されて多くの人々のチェックを受けなければなりません。その結果として、ある出来事に関して観察できる全ての事実に対して十分に説明が可能であるようになった仮説は「理論(theory)」と呼ばれ、それがより一般的な幅広い現象の全てに通用するのなら「法則(law)」と呼ばれるようになります。(なお、100%の事実であると断定のできない情報などに関しては、上の過程で「傍証となるもの」「参照すべきもの」「信憑性に乏しいもの」などに分類していく必要があります。)

またその際に最も解りやすい判断の仕方を申しますと「ある一つの事実と附合しない仮説は修正あるいは廃棄」という「消去法」です。「ある一つの事実を説明する」のではなく「説明できない事実が存在しない」仮説が《正しいもの》と認められるべきだということです。

だから「これは間違っている」あるいは「不完全である」という判断は意外と簡単なので、その説では説明できない事実があるかどうかを見れば良いのです。これは特に専門の科学者でなくても可能なことでしょう。理屈を理屈で判断するほど馬鹿馬鹿しいものはありません。宗教論争じゃないのですから。小難しい数式などを並べまくって煙幕を張る「科学者」に対しては「一つの事実」をぶつけてやればすむことです。(ただし、一つの事柄が本当に事実であるのかないのかの判定は厳密に行わねばなりませんが。)


●私はたまたまいくつかの国の学校教科書を調べる機会を与えられたのですが、例えば、英国や米国の理科(Science)の教科書(小、中学生用、高学年用の各分野に分かれたもの)では、最初の章に必ず上に書いたような
「科学とは何をすることなのか」
「科学的な考え方とはどのように考えていくことなのか」
という方法論が説明されています。

科学とは理屈でも知識でもなく何よりも上記のような認識の仕方である、ということです。学校の先生がそれをきちんと教えているのかかどうか、生徒が理解しているのかどうかはともかく、一応、理科の教科書には真っ先にこれが書かれており、それだけで一つの章になっています。

一方、日本では、小学校〜高校の理科の教科書にそのような記述を見た記憶がありませんし、実際に、いきなり各単元の「理屈と暗記事項」から始まることが多いように思います。(各教科書会社の本の全てを調べたわけではないのですが。)中には「身の回りにある科学」「社会で応用されている科学」などから始まる教科書がありますが、上記のような「科学とは何をすることなのか」という最も根本的で必要不可欠なものは書かれていない(少なくとも強調されていない)ように思えます。

まあこれは、明治時代に欧米からその科学を取り入れて、いかに素早くその成果を身につけて応用していけるのか、ということに血道を上げざるを得なかった事情があるのでしょうが、それから100年以上もたっているのに延々とそれが続いているのです。これはあきれ果てたことです。

またこれは「理論や筋道よりも直感性や実用性を重んずる」日本人の感覚に沿っているのかもしれません。さらに、私はこの「科学的方法論」が「万能である」とも考えていません。それにはそれなりの限界があると思います。

しかし、少なくとも目に見え経験できる範囲の事柄であれば十分に信頼に足りる方法論であろうと思います。

私は科学の専門家でも無いし何かの地位や立場のある人間でもありませんが、よくNatureとかScienceとかScientific Americanなどの科学雑誌は目にしており、やはり優れた研究として取り上げられる論文には上記のような方法論が貫かれており、「科学者とはこのような態度を貫くものだ」という認識を持っています。


●ところで、9・11でのWTC「崩壊」に関して、一体誰が今までに述べた科学的な方法論で調査・研究を行っているでしょうか。私はスティーヴン・ジョーンズの仮説を常に取り上げるのですが、それは、決して彼の説が「絶対的真理」であるからではなく、上記の方法論をきちんと踏まえたものであるからです。これは「特別に優れている」というものではなく「科学者を名乗るのなら当たり前のレベル」ということを意味します。

逆に言えば、他の「科学者」を自称しそれなりの地位を持つ者たちのほとんどが、上記の科学的方法論をことごとく踏みにじり、投げ捨て、曲解し、その結果「事実とは似ても似つかぬ虚構」を世界中の人間に押し付けていることを意味します。何百年間もかけて犠牲者も出しながらキリスト教会と戦ってようやく手に入れたものを、現代の科学者のほとんどがいとも簡単に踏みつけて破壊している。

こうだから「当たり前のこと」をしているジョーンズ一人が目立ってしまうわけなのですが、これがどれほど異常な事態なのか、よくご認識いただきたいと思います。

これはもう、中世の天動説以前の世界です。その中で「ガリレオ的な立場」に立っているのがジョーンズだから、私は彼の立場を支持しているのです。ガリレオやニュートンは上記の科学的な方法論を確立させたのですが、現在の科学者のほとんどが、自分の地位や立場を守り、またある者は新たな利権を手に入れるために、この方法論を投げ捨て世界をガリレオ以前に引き戻して平然としています。

それがNIST関連の学者・大学教授の姿です。「科学者も人間なのだから」で済まされるものではありません。世界をペテンにかける詐欺師として告発され、その社会的、法的な責任を厳しく追及されるべきです。

さて、日本でも筑波大学の某教授がその醜い姿をさらすことになるのでしょうか。

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