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http://teanotwar.seesaa.net/article/54199681.html から転載。
2007年09月06日
英軍派遣が最初から失敗する運命だったわけ(Falluja, April 2004 - the book)
イラク南部を占領していた英軍。最初から「民主主義のために占領する」という論理矛盾が(西洋の一部ではなぜか真に受けられても)イラクの人々には見向きもされていなかったことについて、パトリック・コックバーンの短い記事です。
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英軍派遣が最初から失敗する運命だったわけ
バスラからの壊走
パトリック・コックバーン
2007年9月5日
CounterPunch原文(http://www.counterpunch.org/patrick09052007.html)
バスラで英軍が展開した作戦は最初から最後まで、イラク人の支援を得られず失敗した。バスラをはじめとするイラク南部を占領した英軍が述べていた目的は、民主的に選ばれたイラク政府当局が安定し、頼りになる自前の警察と軍を備えるために時間を使うことを可能にするというものだった。
そんなことは実現しそうにない。英軍の占領が始まってすぐの2003年6月、でたらめな武器探索を英軍が行ったあと、アマラの南にあるマジャル・アル=カビルで英軍事警察官6名が殺された。
地元の人々は、サダム・フセインにもこれまで屈服したことはなく、外国勢力の占領をどうして受け容れなくてはならないかもわからないと語る。
トニー・ブレア英首相は、「ごろつき」警官の根強いレジスタンスを前に、イラク治安部隊の訓練に英軍は役に立っていると際限なく言い続けていた。
けれども、当初から、実質上そうした「ごろつき」が支配権を握っていることは明らかだった。
英軍は、アラブ風の服装をして警察署をスパイしていて拘留された兵士たちを救うために警察署を襲撃しなくてはならなかった。
「2004のときに既に、英軍の影響力は急低下していた」とバスラおよびイラク南部を専門とする学者レイダール・ヴィセルは語っている。
「つまり、最近行われた撤退自体は、ほとんど象徴的な行為にすぎない。ずっと前から英軍はバスラの実効的な支配権を失っていた」。
英軍はもっとうまくやれただろうか?
問題は、2003年の時点でイラクの人々はサダム・フセインがいなくなったことを喜んでいたから、外国の占領軍部隊を歓迎するだろうと信じていたことにあった。
イラク中部のスンニ派は2003年から抵抗のために蜂起し、一方シーア派はといえば、占領軍を利用しようとの意志はあったが、占領軍を合法的なものと認めたわけでもない。
実際、ますます多くの人が武装レジスタンスを支持している。
人々は、イラクに民主主義を据えるというジョージ・ブッシュ米大統領とブレア氏のレトリックを、新植民地主義的企てを隠蔽するプロパガンダと見なしている。
パトリック・コックバーンは「The Occupation: War, resistance and daily life in Iraq」の著者。同書は、2006年のNational Book Critics' Circle Awardベスト・ノンフィクション賞の最終選考に残った。
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投稿者:益岡