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終戦記念日の前後に【東京新聞 筆洗】
2007年8月19日
終戦記念日の前後に報道各社が戦争のことを集中的に取り上げる姿勢を「八月のジャーナリズム」と呼ぶ人がいる。年間を通して報道していないと暗に批判している。そういう面が全くないとは言えない。それでも八月が、戦争について考える季節としてふさわしいことに変わりはない
▼古本屋で、評論家の大宅壮一が編者の『日本のいちばん長い日』が目に留まった。終戦から二十年後の本で、天皇による終戦放送までの二十四時間に何があったのかを検証している。八月ならではの本との巡り合いである
▼放送で流す終戦の詔書の表現をめぐる政府内の対立が興味深い。原案の「戦勢日に非にして」のくだりに対して、阿南惟幾陸相が「大本営発表がすべて虚構であったことになる。戦争は敗れたのではなく、ただ現在好転しないだけだ」と訂正を求めたとある ▼米内光政海相らは原案を支持したが、最後は陸相の主張通り「戦局好転せず」で決着した。「栄光ある敗北」にしないと、陸軍内で暴発が起きかねない状態だったのだという。それにしても都合のいい表現を考えたものだ
▼原案には他にも直しがあり、よく知られる「堪え難きを堪え…」のくだりの前には「時運の赴く所」という表現が出てきた。敗戦は誰かの責任ではなく、時の勢いや運命なので仕方がないとの意味にも取れる。「好転せず」と同じ発想だろう
▼戦後は敗戦の教訓を学ぶことから始まったはずだ。だが、終戦の詔書に刻まれた発想は今もなお、この国の組織のあちこちに残っている気がしてならない。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2007081902042165.html