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65年前消えた米潜、遺族探査へ 神戸からネット情報
2007年08月17日03時02分
太平洋戦争初期、日米が激しい攻防を繰り広げたアラスカ・アリューシャン列島付近で1隻の米海軍の潜水艦が消えた。半世紀以上、その原因はわからなかったが、インターネットのサイトへの神戸市の男性による書き込みがきっかけで、輸送船に撃沈されていた事実や沈没場所が最近明らかになった。父の行方を捜し続けてきた艦長の3人の息子はこの情報をもとに、この夏、艦が沈んだとみられる海底の探査を始める。
この潜水艦はグラニオン(水中排水量2424トン)。1942年7月15日、当時日本占領下のアリューシャン列島西部で日本の駆逐艦など3隻を撃沈した後、同30日に交信が途絶えた。
マナート・L・エイブリー艦長(当時39)ら70人の乗組員が行方不明となり、戦後も米海軍は「この時期に日本の対潜攻撃の記録はなく、行方不明の理由は謎」と乗組員の家族らに回答していた。
謎を解く鍵は日本側にあった。01年、コロラド州の骨董(こっとう)店で1ドルで売っていた艦船の古い図面を米国人が買い上げ、模型ファンが集まるインターネットのサイトに掲示した。神戸市北区在住の会社員で海事ファンの岩崎裕さん(50)が同年、この図面を見て、戦時中の日本の民間輸送船「鹿野(かの)丸」の図面だと指摘した。
キスカ島沖で米潜水艦グラニオンを撃沈――
サイトに岩崎さんが英語で書き加えたこの解説が、米海軍太平洋艦隊潜水艦軍のホームページ(HP)に転載され、半世紀以上もグラニオンの消息を追い求めてきたエイブリー艦長の3人の息子の目にとまった。
02年3月、三男のジョンさん(70)が岩崎さんにメールで出典を尋ねたところ、鹿野丸に乗船していた元海軍大佐の故・相浦誠一氏が63年に雑誌「丸」に寄せた手記の存在を伝えられた。
鹿野丸はアリューシャン列島のキスカ島付近で7月31日午前5時47分、グラニオンとみられる米潜水艦の魚雷を受けた。浮上を始めた潜水艦に、逆に鹿野丸の8センチ砲が命中し、直後に爆音と共に重油が海面に浮かんだ、という内容だった。相浦氏は「撃沈を確信した」とも書いていた。
ジョンさん、長男のブルースさん(77)と次男のブラッドさん(74)の3人は、岩崎さんから潜水艦の沈没予想地点の図も手に入れ、艦の探査を決意。私費で海洋調査会社にソナー探査を委託し、昨年夏には同島の沖合約10キロの水深約千メートルの海底で、グラニオンとほぼ同じ大きさの船影をとらえた。3人は今月にも無人探査機を使って船影を詳細に撮影し、船影がグラニオンであることを確認する予定だ。
また、ソナー探査では同時にグラニオンに撃沈された日本の駆潜艇2隻や、別の米潜水艦に沈められた駆逐艦「霰(あられ)」とみられる船影が見つかり、今回はこの3隻の撮影も予定しているという。
ブルースさんは「善良な人々が誤った理由で戦うのが戦争。日米双方の犠牲者を追悼したい」と話す。エイブリー兄弟はグラニオンの遺族たちで追悼集会を計画をしており、日本側の遺族の出席も希望している。活動は英文のホームページで紹介している。