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http://anarchist.seesaa.net/article/49087839.html
映画「TOKKO -特攻-」
日系アメリカ人の監督リサ・モリモトが特攻の生き残り日本人と特攻された生き残りアメリカ人に迫ったドキュメント。
いままでの「お涙ちょうだい」悲壮感だけの特攻映画とは違う。
これは、イシハラのセンズリ特攻映画
http://anarchist.seesaa.net/article/45727130.html
とは違い、日本の明日を生きる若者や子供たち必見の国民映画。お子さんがいらっしゃるなら、是非観せてあげてください。
映画館は、渋谷の渋谷シネ・ラ・セット。正直、あまりに狭く貧相な映画館なのでガッカリした。札幌のシアターキノよりも狭い。
今後、上映館は増える予定ですがね。
http://www.cqn.co.jp/releaseinfo/#tokko
さてさて、内容は素晴らしいもので、インタビューされた特攻隊員は4人おられたが、中でも中島一雄さんの話がホンネが伺えて興味深かった。「生きたかったよ 死にたくはなかったよ」というのは中島さんの言葉だ。
彼は、ラバウルでの歴戦の勇士であった浜園重義さんと特攻当時は旧式となっていた九九式艦上爆撃機(ドイツ・ハインケル社のコピーといわれている)たった3機で沖縄に向けて出撃した。中島さんは後部の対空機銃を担当。操縦は浜園さんだ。
当然のことながら途中で米海軍コルセア戦闘機に遭遇(特攻機のほとんどは突入せずに撃墜されている)。
ラバウルで空中戦を数多くこなし多数撃墜していた浜園さんとしたら「特攻なんぞバカらしい。俺なら撃墜させてみせる」という考えもあったのだろう。「帰ろうか」と中島さんに言い、爆弾を投機、なぜか米軍が見逃してくれたおかげもあって鹿児島までたどり着き不時着することに成功する。
いままでの特攻映画だと悲壮感ばかりでイヤになるのだが、浜園さんや中島さんたちの行動が、やけに人間らしくて思わず笑ってしまった。
中島さんは、インタビューでハッキリと昭和天皇の戦争責任を糾弾しているし、「原爆被害者には申し訳ないが」と前置きした上で「これで死ななくて(特攻しなくて)すんだ」と本心を語っているのが良かった。
見る前は、インタビューの場面ばかりの絵図ラ的にツマラナイ地味な映画かも、と危惧したが、それは製作者によって発掘されたワシントン国立ライブラリー所蔵の貴重な当時のフィルムによって払拭されている。
特攻第一号神風隊の関大尉の別れの杯、特攻隊員に対する昭和天皇の「よくやった」というお言葉を隊員に紹介する隊長、「見事に死んでもらいたい」と訓示する上官、そして昭和天皇は大元帥であったことを再確認する馬に騎乗し閲兵する姿……驚きの映像が満載である。
私たちが問いたかったのは、その若い青年たちをこういう場に追い詰めた軍部です。その軍部は今、姿を変えてアメリカに現れイラクを攻めています。日本の過去を責めるのではなく、軍事主義、軍政権というものを考えていきたいのです(プロデューサー:リンダ・ホーグランド)