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2007/07/23
コソボで手を組んでいたアルカイダとネオコン
コソボ独立をめぐり、アメリカとロシアが対立している。7月14日付の「ニューヨーク・タイムズ」によると、ロシアが独立に反対するなら国連の外での解決を目指すとアメリカ政府は脅していたようだが、ロシアの意志は固く、安全保障理事会に提出していた決議案の裁決を欧米6カ国は断念した。20日のことだ。
言うまでもなく、コソボはユーゴスラビアの一部だった。1991年6月にスロベニアとクロアチアが、9月にはマケドニアが、翌年の3月にはボスニア・ヘルツェゴビナが相次いでユーゴスラビアからの独立を宣言、4月にはセルビアとモンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国を結成した。そのモンテネグロも2006年に独立を宣言している。
独立宣言した国々をアメリカや西ヨーロッパ諸国は速やかに承認、ユーゴスラビアの紛争は「国内問題」から「国際問題」に変化、軍事介入への道が開かれた。そして1999年3月にNATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃、5月には中国大使館が爆撃されて3名が死亡している。4月の時点でNATOは同大使館を攻撃禁止目標から外していた。この後、アフガニスタンやイラクも先制攻撃で多くの民間人が犠牲になるわけだ。
ユーゴスラビアの解体で中心的役割を果たしたと言われている人物がアメリカのジョセフ・ディオガーディ下院議員やロバート・ドール元上院議員の側近だったミラ・ラディエボリッチ・バラッタ。ディオガーディとドールは親密な関係にあった。
ドールの周辺には非公式顧問としてリチャード・パール、ポール・ウォルフォウィッツ、ジーン・カークパトリックといったネオコン(新保守主義者)の大物がいた。親イスラエル勢力がコソボ独立を後押ししていたことになる。
コソボ独立を主張するアルバニア系住民は武装集団KLA(UCK、コソボ解放軍)を組織していたが、西側諸国のメディアはこの集団を「善玉」として描くことが多い。そのKLAが資金源にしていたのは麻薬。アフガニスタンから流れてきたヘロインをヨーロッパに密輸していたのである。当時、ヨーロッパに密輸されていたヘロインの約40%がコソボを通過していた。
紛争が激しくなると、オサマ・ビン・ラディンが率いるイスラム武装集団アルカイダはアルバニアで活動を始め、ボスニアやコソボにも手を広げた。コソボではネオコンとアルカイダが同じ側に立っていたことになる。
現在、コソボの首相はアギム・セク。KLAの最高指揮官だった人物だが、その前はクロアチア軍の准将。本人は否定しているようだが、1995年8月にクロアチア軍が行った「嵐作戦」を計画したひとりだとされている。この作戦の目的は「民族浄化」で、約10万人のセルビア人を追い出すことに成功している。
嵐作戦でクロアチア軍は一般市民をターゲットにしていたと国際司法裁判所で証言しているのは、国連平和維持部隊に参加していたカナダ軍の上級将校ふたり。この証言に基づいてクロアチア軍の責任が問われそうになったのだが、そのときに登場したのがアメリカの弁護士や軍関係者。事件を審理しないように上級法務官を説得したのは、アメリカの民間軍事会社MPRIに所属する退役将校だと言われている。嵐作戦が始動する約7カ月前、クロアチアには15名の軍事顧問団が入っていたが、派遣したのはこのMPRIである。
KLAが行った残虐行為は嵐作戦だけにとどまらない。クロアチアが独立を宣言した直後からセルビア人、ロマ(ジプシー)、さらに政敵のKDL(コソボ民主連盟)の支持者を殺害している。第2次大戦中、ナチドイツの将校を戦慄させたという残酷な手段も復活していたようだ。西側諸国のメディアはセルビア側の残虐行為は作り話を含め、誇大に報道する一方、反セルビア側の残虐行為には寛大な姿勢を見せていた。
なお、拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』でコソボ情勢について詳しく解説している。
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77ロンドンテロの黒幕は、バルカン半島工作をしていたMI6
この事件は以下が詳しい
怪しさが増すロンドンテロ事件
http://tanakanews.com/f0719London.htm
米英を内側から崩壊させたい人々
http://tanakanews.com/f0927ukus.htm