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(回答先: 外交部「アフガンで韓国人約20人ら致」 [中央日報] 投稿者 white 日時 2007 年 7 月 20 日 16:45:29)
□アフガン拉致:タリバンは韓国人の動きを知っていた? [朝鮮日報]
▽アフガン拉致:タリバンは韓国人の動きを知っていた?(上)
http://www.chosunonline.com/article/20070721000016
記事入力 : 2007/07/21 10:51:57
アフガン拉致:タリバンは韓国人の動きを知っていた?(上)
「カンダハルを目指し、貸切りバスで移動中、首都カブールから175キロ離れたガズニ州カラバグ地域を通過していた際、道路上にタリバンの武装隊員数十人が現われ、バスを停止させた。そしてタリバンはバスを砂漠に向かわせるよう指示、どこか分からない場所でバスに乗っている人々全員を降ろした」
韓国人を乗せ、カブールからカンダハルに向かっていたアフガニスタン人のバス運転手は、韓国人が拉致されたときの状況をロイター通信などにこう説明した。タリバンは韓国人を拉致した後、砂漠の上を1時間ほど歩かせ、運転手だけを近くの村の方面に解放した。
韓国人医療・奉仕団は19日にアフガニスタンの首都カブールを出発した。メンバーの1人、イさんは午後12時30分(韓国時間午後5時)ごろ、携帯電話で南部最大の都市カンダハルで「セム幼稚園」を運営するチェさん(女性)に電話した。そして「午前10時40分に出発した。今カズニ州を移動しているので、午後5時ごろにはカンダハルに到着するだろう」と告げた。イさんらは、この電話の直後に拉致されたものと思われる。アフガニスタン警察は、韓国人が乗っていたはずの無人のバスを発見しただけだ。現地では「タリバンは韓国人がカブールからカンダハルに向かうとの情報を事前に入手し、このバスを狙ったものとみている。
この団体は幼稚園や病院に援助物資を渡すため、カンダハルに向かっているところだった。拉致現場のカブールとカンダハルを結ぶ幹線道路は、タリバン勢力が出没し外国人を拉致することが多く、現地の人々でさえ「死の道路」と呼ぶほど危険だという。この拉致事件は京畿道盆唐のセンムル教会奉仕団員が13日から9泊10日の日程でアフガニスタンを訪問している最中に起きた。
カンダハルに滞在している韓国NGO(非政府組織)所属のペクさんは「拉致された方々はこのほど韓国が支援した資金で拡張工事が行われた“セム幼稚園”を見学し、現地の困難な状況にある子供たちを助けるため、鉛筆・ノート・せっけん・医薬品を渡そうと向かっているところだった」と唇を噛んだ。
センムル教会に所属する韓国人奉仕団がカブール入りしたのは13日午前10時。奉仕団はすぐに車で9時間の北部バルフ州マザーリシャリーフに向かい、医療・奉仕活動を行った。マザーリシャリーフは韓国企業・三換が高速道路工事を行っている地域だ。
奉仕団は19日未明、マザーリシャリーフからカブールに戻り、朝食後すぐに最後の目的地カンダハルに向け出発した。日没となればカブールとカンダハルを結ぶ道路がさらに危険になるため、8時間もの道のりを急いだのだ。この時、マザーリシャリーフで活動していたNGO「アジア協力機構(ICAD)」の看護師イさんら3人が合流した。
奉仕団がカンダハルで行おうとしていた奉仕活動は大きく分けて2つある。同じ教会に通う韓国人医師が運営しているカンダハルのヒラ病院を視察してから医薬品などの援助物資を渡すことと、このほどカンダハル郊外から中心部に移転された「セム幼稚園」を訪れ、追加援助について話し合うことだった。
ヒラ病院は1日約150人の住民を実質無料で治療してきた。ヒラ病院の内科医師クォンさんは「月3000ドル(約3万6000円)前後の運営経費を支えてくださる方々がいらっしゃると聞いて待っていたのに、こんな事が起きるとは」と無念そうだった。
ニューデリー=李仁烈(イ・インヨル)特派員
キム・ソンイル記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
▽アフガン拉致:タリバンは韓国人の動きを知っていた?(下)
http://www.chosunonline.com/article/20070721000017
記事入力 : 2007/07/21 10:53:13
アフガン拉致:タリバンは韓国人の動きを知っていた?(下)
◆タリバンとは?
アル・カイーダを支援、米軍に追放されたアフガニスタンのイスラム組織
タリバン(Taleban=「学生」の意)とは、1994年にアフガニスタン南部カンダハルでイスラム教スンニ派の中でも原理主義的な性格の強い学生が中心となり結成された武装・政治勢力。2万5000人で発足したタリバンは、指導者ムハンマド・オマル師の指揮の下、96年9月に軍人との内戦を終結させ首都カブールを制圧、政権を握った。その後、米同時多発テロを起こした同じイスラム教スンニ派原理主義集団「アル・カイーダ」と結託、イスラム教の律法「シャリーア」に基づく恐怖政治を行った。男性は必ずひげを生やし、女性が教育を受けることは禁止された。また、「偶像崇拝禁止」を理由に、2001年にユネスコ世界遺産のバーミヤン遺跡の石仏を砲撃し破壊した。
タリバン政権は米同時多発テロ後の2001年末、米国がアフガニスタンを侵攻し、壊滅された。だが、それ以降も南部カンダハルや北部山岳地域を拠点に米軍やNATO軍を攻撃しており、市民を対象とした大規模テロを行っている。
◆海外で拉致された韓国人
▲ 2003.11.30=オム電機社員がイラク北部チクリートの高速道路を車で移動中に襲撃される。2人死亡、2名負傷。
▲ 2004.4.5=「地球村助け合い運動」職員ら2人がイラク南部ナシリアでシーア派武装勢力に14時間拘束される。
▲ 2004.4.8=牧師7人がイラク西部高速道路でスンニ派武装勢力に拉致され、9時間後に開放される。
▲ 2004.5.31=金鮮一(キム・ソンイル)さんが武装組織「アル・タウヒード・ワル・ジハード(イラク内のアル・カイーダの前身)」に拉致される。同年6月22日に遺体を発見。
▲ 2006.3.14=KBS特派員がパレスチナのガザ地区で武装勢力PFLFに拉致されたが翌日解放される。
▲ 2006.4.4=東遠水産の遠洋漁船がソマリア近海で武装勢力に拉致される。チェ・ソンシク船長ら韓国人8人など計25人が拘束される。4カ月後に開放。
▲ 2006.6.7=大宇建設・韓国ガス公社職員ら5人がナイジェリアの遺跡地ポート・ハーコートの大宇建設現場で拉致される。41時間後開放。
▲ 2007.1.10=ナイジェリア南部バエルサ州で大宇建設労働者9人が武装勢力に拉致される。3日後開放。
▲ 2007.5.3=ナイジェリアのポート・ハーコートの火力発電所建設現場で、大宇建設社員3人が武装勢力に拉致される。6日後開放。
▲ 2007.5.15=ソマリア周辺海域で韓国人4人の乗り組んだ遠洋漁船2隻が武装勢力に拉致される。
▲ 2007.7.19=韓国人18人がアフガニスタンでタリバン勢力に拉致される。
ニューデリー=李仁烈(イ・インヨル)特派員
キム・ソンイル記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS