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http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070717/129960/
ハリー・ポッター・シリーズの第5作「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」の映画上映が始まった。私はポッター・シリーズのファンで、原作を読み、映画もすべて観ている。新しい巻が刊行されるたびにポッターやダンブルドアーたちの戦いに引き込まれ、魅せられる。
ローマ教皇がポッター・シリーズを批判
ところが、日本ではあまり報道されないが、ポッター・シリーズに強い反発と警戒感を露わにする人たちがいる。2005年7月、ローマ・カトリック・ベネディクト教皇によるポッター・シリーズへの強い懸念を表す書簡が公開された。これは欧米のメディアで報道され、話題になった。
この書簡は教皇に就任する以前の2003年3月に書かれたもので、『Harry Potter-Good or Evil ?』という著書でポッター・シリーズを批判したドイツのカブリエル・キュービー氏に宛てられた。教皇の許可を得て公開されたそうだ。
書簡は短いもので、ポッター・シリーズへの批判を支持し、ポッター・シリーズは「子供たちが成長する前に、魂の中のキリスト教精神(Christianity)を気づかぬうちに深く歪める微妙な誘惑として働いている」と述べている。
ポッターに関するローマ教皇を巻き込んだ欧米キリスト教徒らの議論は最近始まったわけではない。実は2003年2月に当時のローマ教皇パウロ2世がポッター・シリーズをどう思うかとの記者の質問に答えて、「もし私が著者の意図を正しく理解しているとすれば、それは子供たちが善悪の区別をできるようになることを助けることだろう」と肯定的な評価を与えた。
欧米のメディアは、教皇がポッター・シリーズを是認したとこれを大きく報じた。保守的なキリスト教徒の一部は、これが気に入らない。バチカンの真意を歪めていると、この報道に強く反発した。彼らは反撃の機会を待っていたのだろう。現教皇が就任する前に書いたポッター批判の書簡を公開し、これがローマ教皇の真意だと訴えたのだ。
米国ではキリスト教社会を二分する論争に
米国の事情に目を向けると、キリスト教事情はかなり複雑で、人口分布ではカトリック24%、プロテスタント諸派52%である(2002年調査)。双方にリベラルから保守まで存在している。ポッター・シリーズの是非に関するキリスト教徒らの議論は紛糾し、肯定派と否定派に二分されてきた。保守的なキリスト教徒の一部は何年も前からポッター・シリーズを学校や公共の図書館から排除することを求める運動をしてきた。
いったい彼らはポッター・シリーズの何が気にくわないのだろうか。その共通する論点を要約すると次の通りである。
「愛、友情、勇気を鼓舞する物語ではあるが、魔術と魔法使いを基本的な要素にしている。魔術や魔法使いが、普通のものであるかのごとく、時には救済であるかのように描かれている。反キリスト教的な魔術・魔法使いを普通のものとして受け入れさせる巧妙な仕掛けに満ちている」
もちろん、こうした議論は非キリスト教徒の私たちには全く説得力を持たない。
妖精や魔法使いの登場する物語は昔から数限りないし、超能力や超科学技術の登場するSF映画など、私たちはそうした空想的な要素を物語の道具として子供の頃から楽しんできた。ポッター・シリーズを読んだからといって、子供が魔法使いの実在を信じるわけでもない。「子供がオカルト主義に汚染される」という心配も、進化論も受け入れることのできない人々がそれを言うのか、と思うと笑ってしまう。実際、米国のキリスト教徒でもポッター・シリーズを受け入れている人々の方が多い。
しかし米国のキリスト教組織の運営するウェブサイトを検索すると、ポッター・シリーズをキリスト教徒はどのように受け止めるべきかを論じたサイトが続々と出てくる。彼らにとっては真面目な問題なのだ。
魔法界の世俗化がキリスト教的価値観の至高性を崩す
すべての魔術は反キリスト教的であり、すべてサタンに由来しており、従ってポッター・シリーズはキリスト教の精神にとって有害であるという考え方は、いかにも教条的だと一笑に付すこともできる。しかし、ポッター・シリーズがもたらす文化的な効果を、彼らはある意味では鋭く感知しているのだ。その効果とはキリスト教社会の世俗化である。
そもそも「魔法」「魔法使い」とは何か。古代から中世にかけて、ローマ教会が権力を確立する過程で、教会が利用できる非キリスト教的な文化的要素は「キリスト教起源」のものとして塗り替えられ、取り込まれた。例えば12月25日をキリスト誕生のクリスマスとして祝う慣行も非キリスト教的由来によるものである。同時に、取り込まれなかった一切の風習、知識、技は反キリスト教的、悪魔的、魔術的なものとして抑圧、排除された。
ポッター・シリーズの世界は、こうした反キリスト教的、魔術的要素で構成され、キリスト教的な文化的要素は全く登場しない。教会も、十字架も、神への祈りも登場しない。マグル(非魔法界の人間)の世界と魔術・魔法使いの世界ですべてが構成され、魔法界は完結した世俗社会を構成している。
魔法界は教育システム(ホグワーツ魔法学校)、政府組織(魔法省)、メディア(日刊魔法新聞)などすべての世俗的な要素を備え、子供たちは人文、社会科学を習うのと同じように魔法体系を学校で学ぶ。人々がサッカーの試合に興じるのと同じように、ほうきで空を飛びながら行う団体戦、クィディッチ競技に興じる。そして、悪と善、邪悪と正義の戦いが展開する。
こうした魔法界の世俗化は、キリスト教徒がその対極に置くキリスト教的な価値規範自体の世俗化につながるのだ。宗教的な権威やイデオロギーにとって、権威の反対物(=魔法界)を世俗化して許容することは、権威それ自体を相対化し、その至高性を掘り崩すことになる。友愛や正義の価値観が「魔法界」において成り立つならば、キリスト教倫理の至高性は崩れる。
ポッターを批判するハードコアなキリスト教徒にとっては、それはキリスト教の価値観を骨抜きにする文化的相対主義であり、受け入れ難いのだ。彼らにとって今日最大の脅威は、異教徒ではなく、文化的相対主義のもたらす世俗化であることを彼らは敏感に感じている。
米国の親イスラエル政策の根にあるエバンゲリカルズの台頭
現代のキリスト教国家米国を考える時、問題は小説、映画の是非にとどまらない。米国の今日の外交政策が保守系プロテスタントに分類されるエバンゲリカルズ(福音派)の世界観の影響を強く受けていることを指摘した論考が、外交政策分野の権威雑誌であるフォーリン・アフェアーズに昨年掲載されて話題になった(Walter Russell Mead, “God's Country?” Foreign Affairs, September/October 2006.)。この論考の執筆者は、米国の外交評議会のシニア・フェローであるウォルター・ラッセル・ミード氏である。
イスラエルによるパレスチナ人迫害を非難するようなリベラル・プロテスタントや世俗的な知識人が、過去20〜30年の間に米国政治において影響力を低下させてきた。一方、「ファンダメンタリスト」と呼ばれるキリスト教原理主義とルーツを共にし、それと一部重なりつつもやや中道的な傾向を持つ保守派であるエバンゲリカルズ(福音派)の社会的、政治的影響力が拡大した。
その結果、米国の外交政策は大きく変質してしまったと同氏は言う。例えば、連邦議会では、1970年にエバンゲリカルズ諸派の教会に所属していた議員の数は全体の10%程度であったが、2004年には25%以上に増加した。
エバンゲリカルズは政府を通じたイスラエル支持を強めてきた。その背景には次のような彼らの宗教的世界観があるという。
キリストが再臨し世界が最後の審判の日を迎える前に、ユダヤ人が聖地エルサレムに復帰する。ユダヤ人によるイスラエル建国は「神の計画」の必要な一部である。そしてキリストの再臨までにユダヤ教徒が一斉にキリスト教に改宗する時期が訪れる。ユダヤ人がイスラエルを建国した事実は予言の一部であり、神が存在することの証しでもある。またアラブ諸国の多くが貧困に瀕しているのは、神がイスラエルを苦しめる者を罰している証しである──。
ユダヤ人の米国における人口シェアは2%未満である。そのため、米国の親イスラエル政策をユダヤ人の影響力で説明しようとする論者は、“ユダヤの陰謀”や“ユダヤ人のロビー活動の力”を語ってきた。そうした見解に対して、ミード氏の認識は米国の有権者層に広範な親イスラエルの政治的・宗教的基盤が存在することを指摘した点で興味深い。
米国の宗教的原理主義の暴走を防ぐ現代の福音?
ミード氏は、エバンゲリカルズが勢力を拡大している事実はリベラル派や世俗人にとっては危惧すべき兆候であると認めている。その一方で、米国は多様な社会であり、1つの宗派が国政を完全に支配するような事態には至らないだろうと比較的楽観的結論を導いている。
だが、欧州社会では総じて世俗化が進行したのと反対に、米国ではリベラル思想が影響力を後退させ、聖書に書かれていることは文字通り真実であり、キリスト再臨による最後の審判の日が到来すると信じている宗教的保守派が増加してきた。このことは、21世紀が宗教的和解か、宗教的抗争の激化か、どちらに向かうのかを考える時、やはり大きな懸念である。
ただし、希望がないわけではない。ハリー・ポッター・シリーズの物語としての強い魅力のおかげで、米国の保守的なキリスト教徒の家庭でもポッター・シリーズを読んで楽しむ子供たちが急速に増えてきた。子供にポッター・シリーズを読んではいけないと諭す理由を確認しようと物語を読んで、そのまま魅了されてしまった親もいる。
ポッター・シリーズは宗教的原理主義の暴走から世界を救う現代の福音だと言えるかもしれない。
竹中 正治
国際通貨研究所、経済調査部長・チーフエコノミスト
1979年東京大学経済学部卒、東京三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)の為替資金部次長、調査部次長などを経て、2003年3月よりワシントン駐在員事務所所長。ワシントンから米国の政治・経済の分析レポート「ワシントン情報」を発信する傍ら、National Economists Club(WDC)役員を務めるなどエコノミストとして活動。2007年1月に帰国、2月より現職。著書に、『通貨オプション戦略』(日本経済新聞社、1990年)、『米国経済の真実』(共著編、東洋経済新報社、2002年)、『素人だから勝てる 外貨投資の秘訣』(扶桑社、2006年11月)など。