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情報規制のためか、パキスタン(&米)政府寄りの報道が多いこの事件。テロ人質事件の割には、人質犠牲が皆無?のごとき発表や、「学生」「人質」の区別が不明など疑問が多い。
この記事ではその疑念が一部納得できる物となっている。
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■パキスタン:「人質ではなかった」少女ら証言
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070714k0000e030067000c.htmlイスラマバード北部で、黒いブルカをかぶったまま取材に応じる3人の女子学生=栗田慎一撮影
【イスラマバード栗田慎一】イスラマバードのモスク(イスラム礼拝所)「ラル・マスジッド」ろう城事件で、政府が「神学生側の人質」と指摘した15歳以下の少女ら25人のうち3人が13日、毎日新聞の取材に応じた。「指導者と行動をともにするのは神学校の教えの一つ。人質ではなかった」と語り、自分の意思で残ったことを強調。「男子学生たちは女子学生を守るために戦った」と証言した。
3人は15〜13歳。いずれも昨年10月に女子用神学校に入校した。ほかの22人は級友で、主任教師は5日に逮捕された同モスク最高指導者アブドゥル・アジズ師の妻ウメハサーン氏だった。
政府はろう城が本格化した4、5の両日、神学生の親たちを呼び出し、子供らに投降を説得するよう求めた。しかし、3人を含む25人は親たちに「残る」と拒否。軍は6日から攻撃を強め、女子用寄宿舎南側の食料庫が全焼し「ほとんど食べ物がなくなった」という。
また、政府が「少女らが人質にされている」と発表したのに対し、アジズ師の弟ガジ師(軍の突入後死亡)がテレビの電話取材に「彼女らは自らの意思で残っている」と反論。人質問題は事件最大の焦点となった。
25人は女子用寄宿舎西側の小部屋で5日間を過ごした。「食べ物は武装した男子学生が探してきてくれたはちみつとわずかなナンだけだった」。爆撃音や破壊音が昼夜続く中、25人は「死の覚悟を誓い合った」という。
「男子学生は女子学生を守るために戦った。私たちは本棚を倒して防御壁を作り、部屋の中で寄り添っていた。寄宿舎内に何人いたか、何人が死んだのかも分からなかった」と3人は話す。
さらに寄宿舎内で武器を見たのは、最初の銃撃戦が始まった3日の前日ごろと言い「外部から来た神学生が銃などを持ち込んだ。それまでは寄宿舎内で武器を見たことがなかった」と証言する。
10日午前にガジ師の母親が負傷すると、ガジ師が神学校の担任教諭を通じて25人に「これ以上いると危ない。出て行きなさい」と伝え、正午ごろに従った。3人は「また同じ神学校に通いたい」と現在も希望している。
毎日新聞 2007年7月14日 15時00分
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