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http://blog.livedoor.jp/manfor/archives/50970348.html
2007年07月01日
やはり被害者でいたがる日本人
「原爆投下しょうがない」と発言した久間防衛相へのマスコミや関係団体からのバッシングは、思いのほか激しかったようです。
防衛相はのちに、「しょうがないという言葉だけ独り歩きしている。内容の前後関係で判断してほしい」と語りましたが、これは確かにその通りだと思います。
しかし、右も左も躍起になっていたようで、聞き入れる冷静さは示してもらえませんでした。
原爆発言、事実上撤回=「大変申し訳ない」と陳謝−久間防衛相
久間章生防衛相は1日昼、長崎県島原市内のホテルで記者会見し、米国の広島、長崎への原爆投下を「しょうがない」とした自身の発言について「これから先、一切そういうこと(発言)はしない」と述べ、事実上撤回した。さらに「長崎、広島、全国の皆さんに大変申し訳なかったという気持ちだ」と陳謝した。久間氏の発言に関し与党内でも参院選への悪影響を懸念する声が強まったため、事態の早期収拾を図った形だ。
久間氏は会見で「米国は米国としてそういう選択(原爆投下)を、戦争を終わらせるためにしたんだなという感じで言った。その言葉が非常に誤解を生んでいる。ああいう言葉を使うこと自体がいけなかった」と述べ、発言が不適切だったと認めた。
その上で「一貫して核兵器は使ってはならないという姿勢は微動だにしていない。決して米国の原爆(投下)を是認したわけではない」と表明。「米国を恨んでいるかといえば、恨んでいない。ああいうことを2度と起こさないでもらいたい。日本も先頭に立って世界の核兵器廃絶に向けて努力したい」と述べた。
久間氏はこれに先立つフジテレビの番組では、自らの発言を訂正しない考えを示した。これに対し同じ番組で、自民党の中川昭一政調会長は「謝罪すべきところは謝罪した方がいい」と指摘。公明党の斉藤鉄夫政調会長も「日本国民の神経を逆なでする発言だ。訂正していただきたい」と求めた。
(時事通信/2007年7月1日)
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007070100146
実際、発言への反応は国民的にヒステリックと呼んでいいものでした。
とにかく久間防衛相には、右派であれ左派であれ容赦なしという感じで、どこか狂熱的なところさえ感じたのはぼくだけでしょうか?
この騒動を眺めて得たのは、やはり日本人は自分達のことを被害者にしておきたいんだなあという感慨です。
反核とか人類愛から防衛相の発言を批判した人がどれだけいたでしょうね?
ぼくは広島・長崎の被災について何とも思わないということはないですが、あの出来事を特別視しようとする姿勢で右も左も一致してしまうところがどうにも異常に思えて仕方ありません。
「日本の子どもが知っているのは原爆被害だけ」
オランダ人元慰安婦が痛烈な批判
米国下院の外交委員会アジア太平洋環境小委員会で15日(現地時間)に行われた、旧日本軍の元従軍慰安婦に関する聴聞会で証言台に立ったオランダ人の元慰安婦ヤン・ルフ・オヘルネさんは最近、和解のために日本を訪問した際、とても失望した、と述べた。日本の子どもたちが、第二次世界大戦当時に日本軍が行ったことを全く知らなかったためだ。
オヘルネさんは「日本の子どもたちが知っている第二次大戦当時の出来事は原爆投下だけだった。自国が受けた被害だけは知っていたが、ビルマなど海外で日本軍が犯してきた数々の悪行による被害者たちについては全く知らなかった」と批判した。
そして「二度とこういうことが起こらないようにするためにも、日本人は過去を正しく理解しなければならない」と強調した。
(崔宇晢(チェ・ウソク)特派員)
(朝鮮日報/2007年2月17日)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/17/20070217000020.html
実際には、原子爆弾の投下はアジアの人々から歓迎されました。
海外から日本はどう見られているか
最近のアジアの人は日本に警戒していますが、レジュメの1ページにあるのはフランス人が「3発目の原爆も日本に落とされるだろう」と言ったという 1989年の朝日ジャーナルの記事です。日本は世界では異質で何かやらかすのでは? と見られています。エコノミックアニマルで、世界共通の倫理観が日本にはない、アジアに対する差別を戦後も総括していないと思われています。
……(中略)……
レジュメ3ページ目は原爆投下についての教科書の記述です。「The End of the War」というタイトルで2つの原爆の絵が大きく載っており、焼け野原となった広島ときのこ雲の絵があります。よくぞアメリカは日本に原爆を落としてくれた、これで仇が討てたという内容で、被爆者にとっては大変な説明です。シンガポールでは「No More Hiroshima」ではないのです。シンガポールだけでなく、日本が占領した地域の人々はほとんどが同じ考えです。広島の人にそう言ったら、「やっぱりそうですか」と言っていました。広島の慰霊祭でアジア代表団は「No More Hiroshima」に拍手しないそうです。自分たちは被害ばかり言っているが、本当にそれでいいのかと内々に議論していたそうです。マレーシアの戦争記念館で戦争の最後の説明が広島でした。どうして広島なのかと質問したら、ガイドさんが逃げてしまいました。次に行った時には絶対に答えてもらおうと、ガイドさんをみんなで取り囲んで質問したら、日本のみなさんは気を悪くすると思うが、と前置きして、上記のようなことを話してくれました。学校でそう教えているそうで、みんなそういう考えだということでした。これはシンガポールだけではなく、日本に侵略された国はどこでもそうなのです。このことを被爆者に言わなければと思い、言いました。冷静な受け止めもありましたが、家族の死などを思い出すと、やはり抵抗感があるようでした。個々の被爆者の捉え方と社会全体の捉え方とは違って当然だと思います。
(渡辺容子)
(JANJAN記事「消せるものか沖縄戦「集団自決」 高嶋琉球大教授が講演」より抜粋/2007年6月12日)
http://www.janjan.jp/area/0706/0706117120/1.php
もう、被爆者達の惨状を強調して日本の侵略行為を有耶無耶にしたり、アメリカを非難する口実に使うのはやめてほしいです。
歴史的経緯からいって、原爆が落ちた責任の半分は日本側が負わなければならないのだし、もしも被爆の地獄絵を言い立てるのが加害の事実を稀釈する意図によるならば、それこそ被爆者への最大級の冒涜というものでしょう。